8. 移動手段


 最も困難に思われた家屋の売却は、拍子抜けする程あっさりと完了した。

キサラなどは仲介を請け負った顔馴染の商人を呑気に称賛していたが、テイザには凡そ裏で何が起きていたのか見当が付いている。


 掛け持ちでの仕事を全て辞めたテイザは村人たちからの激しい引き留めにあったが、出稼ぎだと適当に流せば一転、村一番の稼ぎ頭になるだろうと大いに盛り上がったのだ。

この騒ぎは魔女の耳にも届くだろうと踏んでいたが、キサラも共に出立することをどこかから聞きつけ、手を回したに違いない。


 テイザはキサラに「近しい間柄であるとはいえ、王都を目指し村を離れることは魔女に伝えてはならない」と厳しく言い聞かせてある。別れの挨拶は抜きで手紙を書くべきだと助言した。

魔女に甚く気に入られ、並々ならぬ執着を向けられているキサラは「付き纏われかねない」と釘を刺せば困惑気味に手紙を書いていた。


 比較的目立たない時間、見送りに村人が現れない早朝を狙っての出立だが、そこは半成のタスラやシーラを人目に晒さないためだと納得し、上手く誘導出来ている。

シーラの「お願い」から実に三日後。想定を遥かに上回る早さで支度を終え、一行は慌ただしく旅立ちを迎えた。



「乗り合いの馬車が出ているのは三つ隣の村からだ。まずはそこを目指す」


 目立たないよう民家の辺りや畑は避け、朝靄の中茂みをかき分けて進む。外へ出る一本道だけは避けて通れないのでここは駆け抜ける予定だった。


「げ」


 先導していたテイザが後ろから来る三人に止まるよう合図を出す。見れば道を塞ぐように魔女が立っていた。


「皆様ごきげんよう」


 実に貴族らしい優雅な一礼だ。ご機嫌がよろしかったのはお前を目にするまでだ、という暴言を飲み込みテイザもまた一礼を返す。


 この村に一つだけある貴族の屋敷。伯爵家別邸に住んでいるご令嬢は魔女だという噂があった。

勿論村人たちは半信半疑であるが、その噂が事実であることをテイザもキサラも知っている。幼い頃に出会ったこの魔女は実年齢が知れず、姿形も当時とほとんど変わりない。

聞いた話では「シュヒアル」という名前すらも偽りで、伯爵家の養子であることだけが魔女について知り得る唯一だった。


「魔女がこんなに早い時間からご起床とは珍しい」

「あら、そう堅苦しく構える必要はなくってよ。ワタクシたちの仲じゃない」

「確か俺たちは『幼馴染』ってことになってるんでしたね、全く俺なんかよりもアンタ様の方がよっぽど年がいって……ッ、何をする!」

「あらごめんあそばせ、手が滑りましたわ」


 テイザは咄嗟に横へ避けたが何かが投げつけられた。しかし魔法で造ったものだったのか、足元を見渡したところで何も落ちていない。

野蛮だ。令嬢と言うにはお淑やかさが足りない。まだその辺りに居る村娘の方が大人しいと内心悪態をついて魔女・シュヒアルを見据える。


 ひらひらとレースをあしらった黒のドレスを身に纏い、首元には紅色の宝石が一粒付けられたチョーカーが輝いている。

貴族たちのことなど知りようもないが、夜会などに居ても浮くであろう装いだった。全身黒など墓地に居た方がまだ違和感がない。


 もしや侍女が全く付いていないのはその辺りが関係しているのか? などとテイザは邪推する。


「ワタクシ、耳を疑ったわ。風の便りによればお二人は遠くへ旅立つのだとか。けれどこの様子ではワタクシに何の挨拶も無く出立しようというのね? せめてキサラくんの口から直接お聞きしたかったわ」

「あ、でも僕手紙を」

「そうだキサラは手紙を出した。届いていないのか?」

「嫌だわお義兄様、お手紙なんて毎日何通も届いていますのよ。順当にお返事していたら何日かかるかわかったものではないわ」

「誰がお義兄様だ。いや、ゴホン、俺たちは本来身分の違いから傍に寄ることすら許されない身の上ですのでこれにて御前を失礼」

「提案があるのだけれど」


 横を通り過ぎようとしたテイザに向け、シュヒアルは目をやる。


「実はワタクシも所用があって王都へ行くの」

「俺たちは行き先を明かしていないが」

「ええわかっているわ。魔女に隠し事など出来ると思わないことね」

「話を聞く気あるか?」

「皆様をワタクシの馬車に乗せて差し上げるわ」


 パッと二人が顔を見合わせる。乗り継ぎ無しで馬車に乗って行けるのならそれに越したことはない。


「良いの?」

「ええ勿論。一人では退屈だもの」

「それで対価は。魔女の取引には対価が要るだろう」

「必要ないわ。ついでに乗せて行く程度で物を強請る程卑しいと思っていて?」

「護衛は」

「あら、普段から居ないでしょう? ワタクシには執事一人で充分だわ」


 表情から裏を探るが嘘は無さそうだった。しかし魔女の暴挙は挙げればキリがないというのに、何をしたところで一向に伯爵は顔を出さない。行き過ぎた放任主義のせいかシュヒアルは助長し好き放題している。


 例えばある日何の前触れもなくキサラに惚れ薬を飲ませようとしたり、屋敷へ招いては帰らないでと盛大に駄々をこね、挙句小部屋に軟禁したりと次々に問題を起こした。その分キサラの方は遠慮がなくなり気安く物を言い合うようになったのだが、もう少し危機感を持つべきだと繰り返し言い聞かせている。特に効果はない。


 思えばシュヒアルはこの村へ来たとき既に魔族と契約を交わしており、それ以前に一体何をしていたのか、キサラですら知らないという。


「でもタダで乗せてもらうのはやっぱり、居心地が悪いよ」

「どうして……?」

「シュヒを便利な相手みたいに使いたくない、友達だから」

「私、キサラくんにとって便利な存在になりたいわ」


 困ったように眉を下げたキサラを見れば、それ以上固辞することも出来ない。魔女は星を宿した少年にはどうしても弱かった。


「本当に、気にしなくてもいいのに。……ワタクシは料理が出来ないから、食事を分けてもらえれば嬉しいわ」

「庶民的なものしか用意出来ないよ」

「それで充分よ。けれど覚えておいて欲しいの、キサラくん。ワタクシはキサラくんのためなら例え水の中でも、炎の中へだって飛び込んでみせるわ。ワタクシ、何だって出来るんだから」

「すごく気持ち悪いな」

「貴方には言ってないわよ」


 全く、と息を吐きながらシュヒアルがパンパン、と手を叩く。木の後ろに隠れていたタスラとシーラがソロソロとキサラの近くへ寄って行った。


「初めましておチビさんたち。ワタクシは見ての通り魔女よ。かなり強いから侮らない事ね」

「初めまして、魔女様」

「はじめまして」

「こちらがタスラでこちらがシーラね。ワタクシの名前はシュヒアル。シュヒアル様で良いわよ」

「はいシュヒアル様」

「どうして私たちの名前を知っているんですか? シュヒアル様」

「魔女は何でも知っていてよ」


 途端にタスラとシーラの瞳が尊敬で輝き出すのを良いことに、ふん、と得意気に鼻を鳴らしたシュヒアルが扇子を取り出した。


「ワタクシの実力を見せて差し上げるわ」


 閉じたままのそれを振るうと扇子の先へ光が集まりだす。魔素が光っているのだ。

タスラとシーラは揃って小さな感嘆の声を漏らし、前のめりで様子を見守っている。


「アナタたちのお気に召すかはわからないけれど、これがワタクシたちの足となる馬車よ」


 ひゅ、と扇子が前方へ大きく振られる。その勢いのまま開いたそれをくるりと回して光を飛ばした。


「“辿れ”“手繰れ”」


 呪文を唱える声は不思議な響きを持っていた。反響を起こしてズレ、重なって行く。まるで二人の人間が詠唱を唱えているかのような音だった。

 シュヒアルの前方、地面に魔法陣が輝きながら現れると、紫色の光が扇子の動きに合わせてぐるりぐるりと回りながら大きくなっていった。

繰り返し「“辿れ”“手繰れ”」と唱えているが、重みを増した言葉は注意深く聞いていてもところどころ上手く聞き取れない。ボカされているかのような、或いは全く意味のない音なのか。


「“来たれ”」


 シュヒアルが扇子を持った腕を突き出すと、魔法陣が一際強く光った。見ていた全員が眩しさに目を閉じるが、光が収まって前を見ればそこには馬車があった。


「こ、こんなに立派な馬車に?」

「パッと見四人乗りなんだが乗れるのか? 執事を御者にしても五人は居るぞ」

「すっごいピッカピカだぁ」

「今まで見たことあるのと全然違う」

「それはきっと幌馬車ね。貴族の仕様とは違っていてよ」


 テイザとキサラは揃って額を抑えた。こんなのに乗るんだ。


 現れた馬車は黒の車体に赤の差し色、そして金の装飾が施してあった。灯りを入れるランタンらしきものにまで凝った細工がされており、それだけでも「芸術品」のようだ。

大きな窓は車体と同じくらいピカピカに磨き上げられており、繋がれている馬も立派な体躯をしている。商隊が引き連れていた馬よりも毛艶も良い上にどことなく気品があるような。


 どこからどう見ても手入れの行き届いたそれは、一目で貴族が乗っているとわかる見た目だった。


「こんなの平然と乗れる気がしないよ、うっ、急に緊張して来た」

「大丈夫よ、その内慣れるわ。気分が悪いようなら手でも繋ぎましょうか?」

「なるほどこれは俺たち早まったかもしれないな」

「中見ても良い?! あっ、良いですか?」

「一番乗りの栄誉は貴女に差し上げてよ。ラギス、こちらの淑女をご案内して差し上げて」

「かしこまりました。どうぞこちらへ」


 キサラはテイザを見上げた。中も貴族仕様のはずである。絶対豪華だ、どうしようと目が訴えるがテイザは諦めろと言わんばかりに首を振る。そんなところに平然と座っていられるほど人生経験豊富ではないし達観してもいない。まだ村を一歩も出ていないのに、兄弟は揃って疲れ切っていた。


「あ、あー、シュヒ、伯爵家の方々に怒られないかな。ほら、僕らって平民だし」

「大丈夫よ、何を乗せても良いと許可は取ってあるわ」

「養子の癖にやりたい放題だな」

「これまで大人しく過ごしてきたんですもの、慎みが突き抜けているくらいだわ」


 慎み!? とキサラが目を見開いてシュヒアルの顔を凝視しているが、当の本人は熱く見つめられたことにご満悦である。


「無事に話がまとまってワタクシも嬉しいわ。それと私用で悪いのだけど途中で人を拾って行きたいの。良いかしら」

「えっと、僕たちは構わないけど、どんな人?」

「そうね、貴族に近しい方ではあるけれど、少なくとも差別的なことはしないから安心して良いわ。あの子たちは大丈夫よ」

「そっか。……シュヒ、ありがとう。歩きのつもりだったからすごく助かるよ」

「いいのよ、ワタクシこそ、強引に着いて行くようで申し訳ないわ」

「強引である自覚は持っていてくれ」


 でも断られなくて良かった、とシュヒアルは横目でテイザを見た。キサラが中を覗こうと離れたので遠慮なく「内緒話」が出来る。


「早くキサラくんの体から出て行けば良いのに、彼」

「それは同感だが、随分なやり口だな」

「あら、貴方に拒否権なんて無くってよ。わからない? ワタクシがわざわざ来た理由が」


 シュヒアルはキサラを見つめたまま眩しそうに目を細めた。愛おし気な眼差しにテイザの顔は引き攣る。


「悪魔を御しきれるのはワタクシしか居ないわ。そして万が一悪魔憑きが露見したところで、魔女が傍に居れば」

「魔女の仕業になる、か。まさかお前」

「言ったでしょう、ワタクシはキサラくんのためなら何でも出来るのよ。悪し様に言われたところで今更痛む心もない」


 だからワタクシを撒いて行こうだなんて考えない事ね。シュヒアルは今まさにそのことを考えていたであろうテイザに釘を刺した。



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