シーン6 [我那覇]

 計画通りと言うべきか、実力通りと言うべきか、本は売れた。大層売れたため、編集長とアオシマくんとわたしの三人で食事をしながら打ち合わせをすることになった。

 呼び出された高級レストランに着くと、入り口で編集長とアオシマくんが待っていた。アオシマくんが盗作のことを編集長に伝えていないのは、編集長のご機嫌な態度を見ればわかった。

「ごめんなさいね。なんか、アオシマが酔ってビンタしちゃったって聞いてます。今日はお詫びさせてください。ほら、アオシマも謝れ」

 なるほど。アオシマくんはそう説明しているのか。

「いえ構いません。わたしの方こそ酔って立小便してしまうところだったので。アオシマくんがわたしを止めたのは適切でした」

 わたしは過剰に話を合わせていく。真実など、もはやこの場には不要なのだ。

 席につくと、編集長は改まった口調で言う。

「今すでに書かれているストックも含めて、作品を読ませていただきました。本当に素晴らしい作品です」

「ありがとうございます」

「どこであのような知識を?」

「倫理学、哲学に関しては大学の恩師の薫陶の賜物です」

 ここで編集長から作品を褒める会話が行われたのだが、作品を読んでいない読者諸君は退屈であろうことから作品概要を解説する。

『ファントム・オーダー』はポリティカルフィクションだ。ニンジャに憧れるアメリカ人の青年エドワードは、アメリカ海兵隊特殊部隊の隊員となる。それこそが現実的な意味で、ニンジャになる方法だと思ったからだ。エドワードの学生時代からの親友、ナカムラ・ロビンはCIAのエージェントとなり、エドワードと共に日本で暗殺任務を行う。任務は成功し、核汚染物質の脅威からアメリカを守ることに成功する。しかしその後ロビンは自身の信条のため、環境保護を目的としたテロを起こす。エドワードは親友の裏切りにより、窮地に陥るが……。


 概要だけ書かれても面白く思えないという読者のために一部を作品から引用しよう。

 やや長くなるが、是非とも飛ばさず読んで欲しい。面白さは保証しよう。

 それでは、わたしの人生観にも大きく影響しているシーンを紹介する。主人公の親友でテロリストになるロビンが、核兵器の研究者レイチェルと接触するシーンだ。


 ―――引用開始

〈あの人〉はフード付きのパーカを着て、リュックサックを背負っていた。手に持ったカメラのレンズが緑色の光を反射していた。細くて長い指がレンズを掴んでいた。手の甲に浮かび上がった静脈の血管まで見えた。ピントを調節しながら、〈あの人〉は言った。

「レイチェルという名前を聞くと、僕は二人のレイチェルを思い出します。一人はレイチェル・ローゼン。『ブレードランナー』のヒロインで、自分のことを人間だと思っていたアンドロイドです」

〈あの人〉はシャッター・ボタンを押して、フィルムを巻き上げた。私は動くことができなかった。

「もう一人はレイチェル・カーソン。生物学者で、『沈黙の春』の作者です。僕はあの本を十五歳のときに読んで、感銘を受けました。レイチェル・カーソンはあの世代の代表者として、農薬の使用をストップできなかったことを深く悲しんでいました。未来の子供たちは決して許さないだろうという言葉が心に残りました。『沈黙の春』が書かれたのは一九六二年です。僕たちはすでに未来の子供たちなのです」

 シャッターを切る音が続いた。私は無防備に写真を撮られ続けた。

「そういうわけで、ミズ・レイチェル・バックランド、名前の持つ不思議な力によって、僕はあなたをナンシーやメアリーと同列に置くことができません。レイチェルは僕にとって特別な名前です。レイチェルと聞くと特別な感情を抱いてしまいます。あなたのように化粧をしていないレイチェルの場合はなおさらです」

 名前の持つ不思議な力……特別な名前……特別な感情。

「何の根拠もありませんが、僕の直観はあなたが仲間だと告げています。だから僕はあなたに向かってダイレクトに語りかけます。段階を踏まずに一気に核心を語ります。あなたは考えてください。何が正しいのか、何をなすべきなのか」

 〈あの人〉はカメラを縦に構え直した。愛犬のジョンが〈あの人〉のそばに寄って、その脚を舐めた。ジョン、やめなさい。私たちは今、大事な話をしている。

「ミヒャエル・エンデという作家が死ぬ前にこう書いています。第三次世界大戦はもう始まっていると。それは領土を奪い合う戦争ではなく、時間の戦争であると。それは、僕たちの子孫を破滅させる戦争、親が自分の子供を死に追いやる戦争であると。彼のメッセージを初めて読んだとき、僕は暗いSFだなと思いました。あるいはブラック・ユーモアだと思いました。でも何度も読み返しているうちに、リアルな話だと思うようになりました。さらによく考えてみると、とてつもなくリアルだと思うようになりました。僕の実感では、戦争は確かに始まっています。そしてこの戦争は一方的な戦争です。強い者が一方的に、弱い者、貧しい者、抵抗できない者、まだ存在しない者を殺戮する戦争です。四六億年の地球の歴史の中で、わずか一五〇年の現世代が資源をすべて使い切ってしまう。あとから来る者に破壊された生態系と莫大な借金を残す。これは本当に一方的な戦争です。しかもこの戦争の加害者には罪の意識がない。資源を使い切ることに対して罪の意識が発生しないシステムが作動している。だから大半の人々にはこの戦争が見えません。犠牲者は銃弾で撃たれるかわりに、病気や飢餓で死んでゆきます。加害者と犠牲者の間には時間と空間の開きがあります。時間と空間に隔てられた他者の死は、加害者にとって、自分とは無関係な、どこか遠い国の出来事にすぎません」

 〈あの人〉はそう言って写真を撮り続けた。私は故障したアンドロイドのようにそこに立っていた。時間の戦争……どこか遠い国の出来事……

「ミヒャエル・エンデは、原因はマネーにあると考えました。すなわちこの戦争の根底には、利子が付き、マネーが増えてゆく経済システムがあると。時間とともにマネーが増えるシステムがあるから、人々はマネーを増やしたくなる方向に誘導されるのだと。そして人々はマネーで『豊かさ』を手に入れようとします。しかしその『豊かさ』は資源の消費と交換して得られる豊かさです。人々はその『豊かさ』を手放すことができません。だから戦争を始めてしまうのだとエンデは分析しました。ならば、経済システムを変えればいい。経済システムを変えれば、戦争を回避できる。経済システムが変われば、人々はマネーを稼ぐことに喜びを見出すマインドセットから解放されるにちがいない。そして人間の思考様式はそれよりももっと大切なこと、例えば、共同体の存続、地球環境の維持、他者との共生などに喜びを見出す新たなマインドセットへ移行するにちがいない。エンデはそう考えました。けれども……」

 〈あの人〉の指がレンズの鏡胴を回した。ジョンは脚をそろえて〈あの人〉の横に座っている。

 マネー……経済システム……

「僕はそうは思いません。戦争が始まっているというエンデの指摘は正しいと思います。しかし戦争の原因を経済システムに帰することには同意できません。エンデはある意味で人間をバカにしています。彼は人間を経済システムに操られるロボットか動物のような存在と見なしています。言い換えれば、エンデの解決策には倫理に対する信頼がありません。経済システムを変えれば倫理も変わると思っているようです。人間の持つ倫理に対する信頼がないから、経済システムを変えるしかないと発想しているようです」

 私は優雅な声が好きだ。〈あの人〉の声には優雅さがあった。

 倫理……倫理に対する信頼……

 悪魔の声には優雅さがあるにちがいない。

「僕はエンデという作家の発言には興味を覚えますが、究極のところでは好きになれません」

 〈あの人〉は写真を撮るのをやめて、私の目を見て言った。

「それは人間観のちがいだと思います。僕は現行のシステムのままで問題は解決できると思っています。資本主義は完成されたシステムです。このシステムのままで問題は解決できます。倫理さえ変われば、経済システムは資本主義のままで問題は解決できます」

「あなたは人間を信頼するのですか?」

 私は尋ねた。

「ええ、僕は人間を信頼しています。真実を知れば、人間は変わります」

「あなたは誰ですか?」

「僕の名はナカムラ・ロビン。未来からやってきました。この戦争のもう一方の側につく者です。未来の子供たちとすべての生物の側につく者です」

「何か悪いことをするつもりなのですか?」

「ええ、反撃をしたいと思っています。なので、原子爆弾が三個ぐらい欲しいのですが、何とかなりませんか?」

 そのとき銃声が響いた。〈あの人〉は空を見上げた。

 銃声は続けて何発も鳴った。森の中にいた鳥たちが一斉に舞い上がった。パパたちが射撃場で銃を撃っている。

 〈あの人〉は、飛び立った鳥にレンズを向けてシャッターを切った。私は質問を返した。

「お友達も仲間ですか?」

「エドのことでしたら、彼は何も知りません。彼と僕の立場は正反対ですから、近い将来、彼とは対決することになるでしょう」

「本気なのですか?」

「もちろん本気です。冗談を言っているように見えますか」

「いいえ……」

 私は首を横に振った。

 〈あの人〉は微笑んだ。

「二十世紀はパーティーの時代でしたが、パーティーはもう終わりました。われわれは後片づけをしなければなりません。けれどもパーティーを続けている人々がいます。これからパーティーを始めようとする人々もいます。その人たちに向かって、僕はやめましょうと言いたいのです。やめましょうと言うことができない者たちの声を代弁して」

「そのために核兵器が必要なのですか?」

「そうです」

「もし人々がパーティーをやめなかったら」

「核兵器のスイッチは絶対に押しません。環境を守りたいのに環境を破壊したら、本末転倒ですから。目的は警告です。隠されている情報を人々の目に触れるようにすることです。想像してみてください。核兵器で都市を占拠したら、どれだけの視聴率がとれるでしょう。その視聴率は一〇〇パーセント近いのではないでしようか。僕のターゲットはメディアです。資本主義の下では、企業はメディアと結託して、僕たちの心を操作しています。それは巨大なマインドコントロールシステムです。企業は大量生産・大量消費・大量廃棄の流れを作り出し、なおかつ罪の意識を発生させないようにしています。僕はそのシステムを核兵器で奪い取って別の流れをつくり出したいのです」

「あなたはまちがっています」

 私は反論した。

「レイチェル・カーソンやミヒャエル・エンデは本を書いてメッセージを伝えようとしました。メッセージを伝えたいなら本を書くべきです」

「ええ、僕はまちがっています。テロという手法は正しくありません。でも僕はテロリストになります。理由は時間です。ぐずぐずしていると、被害は拡大します。急げば、飢餓で死ぬ数百万人の子供の命を救うことができます。あるいは、今一年間で四万種の生物が絶滅していますが、急げばそのうちの何パーセントかを救うことができます。本当に残念なことですが、被害を最小限にするには、この方法が最も有効であるという結論に達しました。だから僕はテロリストになります。テロリストになって人々に情報を届けます。それが僕の役割です。真の解決は正しい手段を行使する人々に委ねます。僕はテロリストとして、最後は処刑台に上るつもりです」

「わかりました。でも協力はできません」

「当然です。知り合って間もない相手から、核兵器をくれと言われて、はい、どうぞと言うのはおかしな話です。だからこれは、ご挨拶です」

「挨拶?」

「ええ、挨拶です。ミズ・レイチェル・バックランド」

 ―――引用終わり

 どうだろうか? 引用しておいてなんだが、もしあなたが『ファントム・オーダー』本編を読む前に、わたしの粗雑な引用を読んでしまった読者なのだとしたら、大変申し訳ないことだと思う。本編では、先程の引用部までの間に、エドワードとロビンの爽やかな友情が描かれる。そしてこのシーンで暗躍するロビンの姿が初めてはっきりと描かれるという衝撃的な展開なのだ。

 先生は哲学と倫理学、論理学の授業を行っていたので、その分野に関する知識が物語に深みを与えている。わたしにはこんな物語はとても書けない。同じジャンルで物語を書ける人さえ、そう多くはないだろう。

 こんなに面白いものが世に出ないまま消えるなどあってはならないと思う。

 そして何よりも、わたしは物語の続きを読みたい。

 編集長とは本の感想で意気投合し、今後サイン会の開催や、ラジオで生放送の対談番組に出てほしいとの依頼を受けた。

 この会の目的はわたしの人格のジャッジと業務連絡ということだったのだなとわたしは理解し、快諾した。

 対談ではノーアルコールという条件が出たが、わたしは元々アルコールをほぼ取らないので問題ない。酒癖が悪い、といううそのプロフィールが編集長に記憶されてしまったことは覚えておこう。何かに使えるかも知れない。

 食事会は大層盛り上がったが、アオシマくんは終始目を合わせてくれなかった。悲しい話だ。

 悲しみを乗り越えてわたしは進む。

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