内と外

萩谷章

内と外

 遊びたい盛りなのに、高校生にはとかく金が足りない。金が足りないからこそ、工夫して遊ぶのが一種の楽しみなのでもあろうが、裕太はそう思わなかった。居酒屋で人生初のアルバイトを始め、その日は新人としてあれこれと説明を受けていた。

「裕太くん。今日からよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

「緊張してるかい」

「ええ、まあ……。何しろ、初めてのバイトですから」

「大丈夫さ。一日目から全部を覚えようとしなくていいからね。徐々にやっていけばいい。今日はあまり忙しくないから、のんびりやれるだろう」

 店長は笑顔の絶えない人で、裕太に与えた印象は非常によかった。

 裕太は順を追って仕事内容を教えられ、やがて酒の棚の前に連れてこられた。居酒屋なだけあって酒の種類は非常に多く、裕太はたじろいだ。その様子に、店長は笑いながら声をかけた。

「やっぱり、驚くよね。ただ、さっきも言ったように、徐々に覚えていけばいいから。今日は、とりあえず『こんなのがあるんだな』って眺めてくれればいい。それに、君は未成年だ。酒が飲めないのに酒を覚えろなんて少し無理があるから、分からなければ遠慮なく聞いてくれよ」

「分かりました」

 裕太は、日本酒と焼酎の何が違うのだろうと思いながら、しばらく棚を眺めていた。自分も飲めるようになれば、ここにある酒がほとんど分かるようになるのだろうか。彼は、数年後に迎える成人がはるか遠くにあるような感じを覚えた。店長はその横で、笑顔を崩さぬまま裕太の視線がどこに向かっているのかを観察していた。

 しばらくして、店長は再び口を開いた。

「よし、じゃあ次へ行ってみよう」

「はい」

 裕太は次に店の奥へ案内され、店長は小さなカゴを持ってきた。中には、小さな瓶がいくつか入っている。

「これも酒と一緒で、徐々に覚えてくれればいいよ。ただ、かなり大事なものだってことは知っていてほしいな。あ、プレッシャーをかけるわけじゃないよ」

「これは何ですか」

「うちも客商売だからね。色々なお客さんを迎えるわけ。中には迷惑な人もいるんだよ。ちょっと言い方は悪かったかもしれないけど」

「迷惑なお客さんですか」

「そうそう。例えば、忙しいときに長居されると困っちゃう。それから、必要以上に飲んで体調を悪くされちゃ、介抱が面倒だ。あとは……。酒の勢いに任せて嫌がる異性の気を引こうとする人もいるね」

「なるほど」

「必ずしも悪い人ばかりじゃないんだけど、あんまりそういうことをされちゃうと、店としては『迷惑』と言わざるを得ない」

「それで、その瓶が役立つんですか」

「そういうこと。この瓶に入ってるのは、薬さ。それぞれ作用が違う」

 裕太は、なかなか話が見えてこない店長の話しぶりにもどかしさを感じた。

「作用?」

 店長は、瓶を一つずつ取り出しながら、説明してみせた。

「これは、酔いを一気にまわす薬。ただし、気分悪くはならない。こっちは、満腹になる薬。これは、居心地が悪くなる薬……」

 カゴに入っていた瓶は八本で、店長はそれを裕太の前に並べた。

「お客さんに直接、『申し訳ありませんが……』って注意しにいくと、いくら平身低頭でも悪い印象を持たせてしまうことがある。ところが、この薬たちを使えば、それぞれの効果によって、自然とお客さんを帰すことができる。使い方は簡単で、酒や料理に少しだけ入れればいい。味に変化はない」

 世間には、まだまだ俺の知らないことがあったんだな。裕太はそう思い、八本の瓶をしげしげと眺めた。とりあえず、それぞれの作用をメモしておいた。

「お客さんの性質に合わせて、使い分ける。難しいが、慣れれば何となく分かってくるよ」

「頑張って覚えます」

「頼もしいね」


 店長による仕事内容の紹介が終わると、裕太はホールに立たされた。店長が時折笑顔を投げかけてくれるので、緊張はだんだんとほぐれていった。

 客のもとへ料理を運んだり、客の帰ったテーブルを片づけたりと、簡単な仕事をこなし、それに対して店長は「いいね」とか「その調子」とか声をかけてくれた。小さな自信をつけた裕太は、少しずつ仕事を楽しめるようになってきた。同時に、思いのほか瓶の薬を使う機会は少ないのかもしれないと考えた。裕太が接した客は、どの人も感じがよく、酒に「のまれる」ようなことはなかった。「薬は、めったに出ないんだろうな」とつぶやき、「新人くんか。頑張れ」と言ってくれる客たちの温かさに感動を覚えた。

 閉店の時間が近づき、客足が落ち着き始めると、店長は裕太に声をかけた。

「落ち着いてきたね。初日にしては、いい働きぶりだったよ。分からないことはすぐに聞いてくれたから、問題も発生しなかった。何より、僕としては薬を使う必要が生じなかったのが安心だ」

「それならよかったです。この調子で、頑張ります」

 裕太は胸の前で拳を握り、店長に笑顔を投げかけた。その瞬間、店の入り口で来客を告げるチャイムが鳴った。

「お客さんだね。裕太くん、行けるかい」

「はい」

 店は地下にあり、客は地上から階段を使って下りてくる。したがって、店員が客を認めるのは階段を下りきった瞬間であった。裕太は階段の最終段のところで客を待ち、足音が目の前まで近づいたところで、声を出した。

「いらっしゃいませ」

 しかし、その直後に裕太は悲鳴をあげた。やってきた客は、全身が緑色で、耳は尖っていて大きく、目がない代わりに口が三つもついていたのである。驚き、腰を抜かした裕太に対し、その緑色の生物は何やら分からない言葉で話しかけた。

「あ、あ……。て、店長。助けてください」

 ただならぬ声を聞きつけ、店長はすぐに厨房から飛んできた。

「どうした」

 裕太は緑色の生物を指さし、緑色の生物は何やら分からない言葉で話し続けている。しかし、その様子に店長は全く驚きを見せず、裕太の肩を抱いてゆっくりと立たせ、つぶやいた。

「宇宙人か……。最初っから手に負えないとは困ったな。どの薬が効果的かな」

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内と外 萩谷章 @hagiyaakira

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