〇〇
秋雨
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「君はこの本を読んだことがある?」
なんの前触れもなく、隣で読書をしていた少年が声をかける。なぜこのタイミングで? と思わずにはいられないが、とりあえず、少し前に読んだことがある本だったから質問に答えることにする。
「あのタイトルがない小説のこと?」
一応聞かれた本が間違っていないか確認を取ると、少年は無言で頷く。どうやら、話の続きをする羽目になったようだ。
「なら読んだことあるけど……書き手の伝えたいことっていうのかな? 展開は面白いんだけど内容がありきたりすぎてあんまり面白くなかったかな」
率直な感想を述べる。客観視して感想が辛口気味かもしれないが、正直どうでもいい。そこに彼が突っかかってくることはないだろうから。
「ありきたりだから面白くないの?」
彼もまた率直にとでもいうように質問を続ける。話はここで終了、なんて僕の都合のいい流れにはならなかった。正直、かなり面倒くさい。
そもそも、なぜ僕に本の話を投げかけたのだろうか? 彼とは面識はあるものの、まともに話したことは数える程度しかない。それに、僕も彼もいわゆるボッチというやつで会話を自分から持ちかけるほどの勇気を持っているとは思えない。僕と彼は友達という関係ではなく、ちょっとしたことを話すほどの気軽さはないはずだ。同種だからいけるだろうとでも思ったのか? 真偽はどっちでもいいけど、僕自身人との会話は嫌いだからなるべく早く終わらせてしまいたい。そして、今すぐにでもしていた読書に戻りたい。現在進行形で読んでいる小説はまだ読み終わっていないし、なんならこれからが山場で密かにテンションが上がっていたというのに。タイミングから何もかも僕にとって不都合すぎる。
けれど僕の中にある微小な善意がなおざりな対応をするべきでないと訴えているから、ここは律儀に返答をする。
「まあ、そういうことになるかもね」
至極簡潔な言葉。僕みたいな人間に合うありきたりな、常套句。
「そうなんだ……君はさ、ありきたりだからこそのよさがあるとは思わない?」
「ありきたりだからこそ?」
彼は何を言っているんだ?
「そんな世に溢れに溢れたもののなにがいいっていうの?」
思考を咀嚼するよりも先に、口が動いていた。これを衝動的とでもいうのだろうか。
僕が静かに感心している最中でも、会話というものは躊躇うことなく続いていく。
「確かに、世間に知れ渡ってるものはなんの新鮮味もなくて読んでてつまらないと思う。だから君のいう面白くないは納得できる」
何かしらの反論を言ってくると思ったら、意外にも肯定から入る。少々面食らってしまう。しかし、彼が再び開いた口から紡がれた言葉で、その言葉は譲歩だと知る。
「けどさ、物語の真髄の方はちゃんと見てあげたほうがいいと思うんだ」
真髄? 急に何を言い出すんだ。真髄の意味くらいは理解できる。けど、そこに隠された真意とでもいうのか、それがよくわからない。よくわからないから、否定から入る。
「ちゃんと見た結果がありきたりなんじゃないの?」
「そうだよ」
意外にも、すんなり受け入れられる。一体何を言いたいんだ?
……ますますわからない。
「なら、君はなにが言いたいの?」
「それがいいんだよ、って意味」
「さっきとなにも変わってないじゃないか」
「それはそうだよ。こんな短時間で考えが変わるわけがないでしょ?」
何当然のことを言っているんだ。半目になりそう。
「君が聞きたいのはなぜ僕がそんな考えを持ってるか、ってことだよね」
言ってることがなにも間違ってないから、とりあえず頷く。
どこか上からを感じるのは僕の気のせいだろうか。
反応から察するに、少なくとも、今の僕が見せている反応は彼の想像通りなのだろう。順調に進んで悦にでも入っているのか?
彼は僕に何か大仰なことを言って、且つ僕を納得させる自信がある。だから、人によっては癪に障るような態度をとっているのだろうか。
それとも、ただ純粋に僕なんかを下に見ているのか。
僕の低俗な思考の存在など露知らず、彼は変わらず言葉を繋ぐ。
「世界に溢れてるってことはさ、みんなにとって大切って意味なんじゃないの?」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。例えば、君が毎日学校帰りに買ってるあのジュース。あのベストセラーと言える飲み物は今や世界中に溢れてる。他には君が大好きな映画や小説やアニメ。これも世界には数えきれないほど存在している」
「その物と物語でいう真髄? は違うでしょ」
「大方同じだよ。ただそれが物体として現れているかいないか。たったそれだけの違いだよ」
意味がわからなくて、うまく反応ができない。というか、彼の例えと物語では根本的な何かが違う気がする。けど、頭から否定できる材料は持っていない。
眉を顰めることも、視線を明後日の方向に向けることも、出来なかった。
そんな僕を見かねたのか、又、彼が口を開く。
「もう一つ例をあげよう。小学校や中学校の先生、もしくは子をもつ親とやらは、目の前にいる子どもたちに挨拶をしましょうという。人とすれ違う時とかね。学校だったら廊下を歩きましょうとか。学校という制約からは外れちゃうけど、他に挙げるとしたら笑顔でいましょうとか、人に優しくしましょうとか」
「それが?」
「これら全部、世の中に溢れている……ありきたりのものだと思わないか?」
「ありきたりだとは思うけども……」
「そうだろ? だから、いいんだよ」
よくわからない。なんというか、回りくどいというのか。いまいち、彼がなんでそんなにも“ありきたり”に魅力を感じているのか、わからない。
だから、今度はこっちが見かねてしまったように、
「もっと簡単に言えないの?」
少し、悪態付いたような口調で。
けど、それを気にもせず。微風が吹いたかのようなあの澄んだ顔を見せて、諭すように、告ぐ。
「みんなが同じことを思うから、みんなが大切で守っていかなければいけないと思うから、そのものたちは世の中に溢れるんじゃないの?」
はじめて、意味がわかった気がした。
そして、なんでそんな大切なこと……ありきたりなことを、”物語“は別だと括ってしまったのか。
気づかなかったのか。
……わからなかった。
けど、今思い出した
「ありきたりな考えだね」
そう、はにかんで終わった。
〇〇 秋雨 @tuyukusa17
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