鬼の子どちら、人の子はいずこ

しぎ

人と鬼が出会うとき

「あなたは……鬼?」

 たき子は木々の向こう、草木の生い茂る中にいた存在を見つけて、思わずそう問いかけた。


 沈んでいく陽が放つ橙の光に照らされるその存在は、数えで十才になるたき子と同じぐらいの背格好、質素な浴衣、痩せた肌色。

 それだけなら、たき子からこの言葉は出なかっただろう。



「あんた……人?」

 そう返してきた彼女――とりあえずたき子は、顔からそう判断するしか無かった――の後頭部には、短いながらはっきりと、角のような突起物が見られた。



「ええ……」


 問いかけたは良いものの、鬼の特徴を前にたき子は次の言葉が出てこない。

 どうすれば。


『決して村の北側の林へ行ってはいかん、特に夜はな。……鬼に食われるぞ』

 村の長が何度も言っていた言葉をたき子は思い出す。


『鬼って、こわいの?』

『ああ。村の若者衆が束になってかかってもどうにも止められないようなやつじゃ。子供なんか、とんびの急降下のようにこうじゃ』

 そう言って、村の長は右手を素早く動かして自らの首に当てた。


 普段は冗談ばかり言って、しわくちゃの顔で自分だけ笑っていた村の長が、その時はかつてないほど真剣な眼差しだった気がする。



 ……その鬼が、今目の前にいるのだ。


 言葉が出ない。

 足も動かない。



 しかし、鬼って意外と見た目が自分たちと違うわけではないのかな……などという、今考えるべきではないようなことばかりがたき子の頭に浮かんでは消える。


 あれが鬼というのなら、もしかしたら村に鬼が潜むこともできるのかもしれない。


 ああ、最近来た、あのやることなすこと全てが傲慢でしゃくにさわる、東京から来たとかいう親子。あれは鬼なんじゃなかろうか……



「あんた……何も、持ってない……?」


 ところが、たき子の想像に反して、目の前の鬼は何かを恐れているかのように、木々に身体を隠しながら、少しずつたき子の元に近づいてきて言った。


「そうだけど……うん。一銭も、持ってない。食べ物も、持ってない」

「……鉄砲も? あの……ぴすとる?とかいうのも?」

「もちろんよ……」


 ぴすとるって、あれだろう。駐在さんがいつも大事そうにしてる、黒と茶色のやつ。危険だから子供は絶対触っちゃいけません、とか言われてるやつ。


 

「……良かった……ねえ、あんた……あたしと……話さない……?」



 ***



 数刻の後、たき子は自らの家の玄関前にいた。


「どうしたのよこんな遅くまで。もう真っ暗じゃないの」

 生まれたばかりの末の妹を背負いながら、母親が出てくる。


「ちょっとその……山菜を取りに……」

 これは本当だ。元々そのつもりで家を出ていったのだから。


「……もう、気をつけなさいよ。夜は鬼が出るんだから。獣ならいざとなれば火を見せれば追い払えるけど、鬼はそうはいかないの。たき子、変なのに会ってないでしょうね?」


 

「……うん、大丈夫」


 ああ、久々に、母さんに嘘をついたな。


 でも、初めて見た鬼は、変というよりは……




『あたしは……さくら』


 茂みの中に転がっていた小さな岩に座った、鬼の彼女の声。

 その声は今思い返しても、たき子がいつも遊んでいる同い年ぐらいの女の子と変わりない。


『さくら……?』

 そして名前も普通じゃないか。

 というより、見た目も何も……自分たちと変わらない。


 ……鬼って、末恐ろしいものじゃ……なかったのか……?


『うん。あなたは……?』

『……たき子』


 たき子は少しの距離を取りながら、でもさくらの声が辛うじて聞こえる位置に腰を下ろす。


『……襲わないの……?』

『何を……?』


 たき子が何とか絞り出した声に対し、さくらは顔をきょとんとさせて返す。

 何って、そりゃあわたしたち人のことではないのか。


 ……しかし、確かにさくらからは、恐ろしさが全く感じられない。

 獣を追い払うために近所で飼ってる犬のほうが、よっぽど敵意の眼差しを向けてくる。


『それよりも、あなたたちは鬼を見ると、すぐ鉄砲とか、いろんなのを取り出して襲ってくるじゃないの。……そうしないの?』


 そして、さくらから出てきたこの言葉に、たき子はなんと返せばいいかわからなかった。


 人が鬼を襲う。そんなことがあるわけない。

 鬼というのは、変なことを言う生き物なのか。


『……よかった。……あたしね、人間とも話してみたかったんだ』


 そう言って笑ったさくら。


 ……垣間見える角以外、鬼には見えなかった。



 ***



 さくらが鬼……そう思えなかったから、たき子は今布団の中で目を開けたまま悩んでいるのだ。


 あの後たき子は、さくらともう少し話をした。



 春の花が散り、木々の緑が色濃くなっていくこと。

 村の西側の湖に魚が増えてきたこと。

 たき子の村に、東京から開発?とやらのために来た親子が横暴で困っていること。


 ……その間、たき子は目の前にいるのが鬼であることを忘れそうになっていた。

 それほどまでに、さくらは人らしかったのだ。


 最後には、『明日も同じ場所で会わない?』などと約束してしまった。

 これではまるで、山へ行く約束をする男たちと変わりない。



 ――だけども。

 どこか、その約束を無下にできない、したくない思いがたき子にはあった。


 鉄道はおろか、大きな街道からも遠く離れたこの集落。

 四方を山に囲まれ、外からやってくるような人はほとんどいない。


 そんな場所では、数が少なくないとは言えど、同年代の子供はみんな顔見知りだ。



 ……だから、たき子にとってさくらは、新鮮だったのだ。

 しかも、あれだけ村のみんなから恐れられていた鬼が、いざ会ってみるとわたしたちと、そこまで変わらないのかもしれない。


 その思いが、たき子を駆り立てた。



 ……鬼って、なんなのだろう。

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