もう一つの極を求めて

紫鳥コウ

 二時間も前から違和感を覚えていた腰を揉みながら会場の外へ出ると、入口の前から駅に向けて長蛇の列が形作られていた。眩暈めまいがするくらいの光景だった。電車に乗ることができるのはいつなのかということすら、想像することができない。


 いままで一度も列に並んだ試しはない。そのときも今日と同じく、会場の片付けを手伝った後だったのだが、おそらく過去一番の来場者数ということが、このような結果として目の前に現れているのかもしれない。


 一度、腰を強く押してみたが、歩けないことはなさそうだ。二十分ほど歩けば、べつの駅へと行くことができるらしい。空を見上げると、かすかにきらめいている星々が見えそうに思えたが、どうやら薄く曇がはっているようだった。


 雨になることはなさそうだが、十一月ともなればこの太平洋側の大都会でも寒さは厳しい。今年の春に買ったベージュ色のコートのボタンをすべて止めて、会場の裏手の方へと回ると、寂しく暗い夜道があった。この夜道を前にして、わたしは自分への皮肉を感じざるを得なかった。


 わたしはこの日に合わせて、ある同人誌を作成した。それは、既に投稿サイトに発表済みの短篇小説に、書き下ろしの短い小説二篇を加えた「私小説集」だった。


 その表題作である既発表きはっぴょうの小説というのは、自分の将来がまったく暗いものにならないように抵抗し、夢を実現するために絶え間の無い努力をしようと決心する、ある時期のわたしの姿を写し取ったものである。


 私小説という性格上、あえて書かなかったこともあるし、脚色したところもある。登場人物のパーソナリティも大きく乖離かいりさせてある。しかしわたしは、あのころの自分の心情を、ほとんど正確に写し取ったつもりでいた。


 いまどき「私小説」に需要なんてないだろうと考えていたのだが、今思えばそれは言い訳にすぎない。ほんの少数部しかない新刊が、半分近く売れ残った事実からして、これはあくまでも、わたしの力量のせいだと断じるほかはない。もし、読者をきつけられるような「私小説」を書くことができたならば、このような結果にならなかったはずだ。


 夜風は吹いてこない。歩くぶんだけ身を切るような寒さが感じられてくる。スマホの地図機能を使っても、自分の居場所が、ほんとうに駅へと向かっているのかどうか確証が持てず、不安にさいなまれた。人気のない裏道のようなところを何度も通った。


 しかし、いよいよ道が分からなくなったなら、だれかに聞けばいいのだと思い直し、月の出ない夜のたもとを、感傷に浸りながら歩んでいく。吐く息はまだ白んでいない。完全な冬というわけではないのだろう。たしかに薄着の上にコート一枚でも、ぶるぶる震えるほど寒いわけではない。


 駅に近づくにつれポツポツと明かりが見えはじめた。信号の数も行き交う車の量も増えたような気がする。大勢のひとの声が聞こえてくる。暖かい色が、夜のカンバスのなかに彩られていく。地図を読むかぎりだと、駅に着くまではもう少しらしい。しかし、心に染みこんだ寂しさのようなものは、いつまでも変わらずそこにあった。


 駅の改札を抜けて階段を上がると、間もなく電車が来るところだった。広いとはいえないホームの自販機でペットボトルのお茶を買った。暗やみの中からふたつの光が現れると、敢然と力強く、快速電車が迫ってきた。一陣の風が吹き、コートのなかに冷風が入ってくる。時刻は7時に迫ろうとしている。


 快速電車は混雑していた。暖房のなかに身を置いてから間もなく感じだした猛烈な睡魔を慰めようと、吊革をぎゅっとつかんで目をつむった。乗り換えのY駅までは、それほど時間がかからないはずだったが、早く蒲団ふとんにもぐりこみたいという焦燥感からか、苛立ちを感じるほど、長く電車に揺られている気がした。


 窓の向こうはすっかり夜の景色となっており、遠近感パースペクティヴが変われば、くたびれたわたしの姿がうつる。明日は一日寝て過ごすことになるだろうという予感があったが、一方で、ある文学賞に応募する小説を書き進めたいという気持ちから、たとえ疲労に襲われようとも気力をき立たせたいという意志もあった。


 今日は推しのイラストレーターさん(わたしは「イラストレーター」という表記に抵抗があり、「さん」をつけたり「イラストレーターの方」や「絵師様」と書いたりする。新刊の私小説集でも、そのように記載されている)のひとり、R先生とその「娘」のコラボ配信があることを思いだした。


 もちろん「娘」というのは、R先生がビジュアルを担当した「V-Tuber」のことである。わたしはその「娘」に関する情報はひとつも持ち合わせていなかったが、コラボ配信があるというR先生の投稿をSNSで見つけて記憶していた。


 今夜十時からのライブ配信なのだが、その時間は、昨日わたしが睡眠から目覚めた時間でもあった。「気にしい」かつ、いくつかの「こころの病」を抱えているわたしは、絶対に遅刻できないイベントの前日は、緊張で眠れないのが常だった。


 だが昨晩は、夜ごはんの後に飲んだ抗うつ剤の副作用もあり、すぐに眠りに落ちた。しかし熟睡とはいかず、十時あたりに目を覚ますとそこから二度寝はできず、結句、徹夜の形となってしまったのだ。


 ようやくY駅に着いた。もちろん「ようやく」というのは、焦燥感に駆られているわたしの感覚であって、実際はそれほど時間を要していなかった。乗り換えの前に、家の冷蔵庫が空であることを思いだし、一度改札を出て駅チカの食堂街へと向かった。


 平日の朝夕と変わらないほどの人の数で、真っ直ぐに進むことはできず、こちらへと歩いてくる人を避けていく。どの店の前にも列ができていた。それは会場から見た待機列より圧倒的に短いものであったが、到底並ぶ気になれなかった。歩き回ったすえに、リーズナブルかつ唯一待ち時間のなかったカレー屋さんを見つけて、チキンカツカレーの普通盛りを注文した。


 舌の上に広がる辛みさえも、睡魔を払いのけることはできず、いまにも熟睡ができそうだった。猛烈な眠気のなか、むかし見たR先生の作業配信のことが思いだされた。その配信で、R先生は「ガチ恋」についてこのようなことを語っていた。


「わたしの仕事に指図するような人たちは、ファンでもなんでもないんだよね」

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