第39話 たったひとつのバカなやり方



 異変を感じたのは、しばらくルトとアレス達の戦いを陰から眺めていた時だった。

 最初こそアレス達を圧倒していたルトであれが、だんだんと動きに精彩さを欠いてきたというか、どうにもキレが無くなってきているのだ。

 喩えるならトップスピードで道を駆けていたはずが走行車が、途中でガソリン切れを起こしたかのような。

 そんな何とも言えない疑念が靄状のものとなって、カケルの胸中をじわじわと覆っていた。

「なあ。なんか魔王の奴、様子がおかしくないか?」

「そう、デスね……」

 訝しむカケルに言葉に、隣りにいるミランも賛同しつつ、眉間にシワを刻む。

 今のところ、どうにか拮抗した状態を保ててはいるが、それもいつまで続くか分からない。ルトの突然の変調に、カケルもミランも戸惑いを隠せないでいた。

「一体どうしたんだよ魔王は。疲れが溜まってきたのか?」

「そんなはずありませんヨ。ルト様は重量百キロ近くにもおよぶ亀の甲羅を背負って、一つの島を何十週と走れるお方なんデスよ?」

「なんだその亀仙流的修行風景は」

 ウルトラハードにも程がある。

「だとしたら別の要因か……。途中で足を挫いたとか?」

「デスが、どう見ても足を庇っているように見えませんヨ」

「だよなあ。顔が濡れて力が出ないってわけでもなさそうだし」

「どこのアンパンの英雄デスか」

「趣味と実益を兼ねてヒーローをやっている人か」

「それはワンパンの人デス。元ネタはアンパンの方デスけれど」

「オレ幼稚園の頃、メロンパンの子が一番好きだったんだよなあ。あの子になら貞操を捧げてもいいなって思っちゃうくらいに」

「幼児が菓子パン相手に純潔を散らそうと考えているだなんてご両親が知ったら、さぞや悲哀に咽び泣くことでしょうネー」

「オープニングの『アンアン』という導入部でムラムラした野郎どもは、決してオレだけではないはず」

「その理屈デスと、旧猫型ロボットのオープニングにもムラムラしていたことになりますネ。さしずめ、喘いでいるのはお風呂好きのヒロインの方でしょうかネ」

「おいやめれ! 藤子プロを敵に回す気か!?」

「藤子プロどころか、すでに各方面にケンカを売ってますヨ、アンタ」

 お互い、かなりギリギリなネタで会話をするカケルとミランなのだった。

「閑話休題。だったらあいつのどこが濡れているんだ? 股間か? 股間なのか? 愛の蜜で溢れているのか!?」

「『閑話休題』という言葉をよく調べてから口にしてくださイ。ここが下ネタという概念が存在しない退屈な世界だったら、真っ先に淘汰されてますヨ、カケルさん」

 そうじゃくて、とミランは妄想を爆発させるカケルを鋭利な視線で咎めつつ、脱線した話を戻す。

「ルト様の様子を見るに、どこか体調を悪くされているようデスね」

「体調?」

「ええ、ルト様の顔に注視してみてください」

 言われて、カケルはミランからルトへと目線を移す。

 依然としてルトは、アレスの剣を避け、リタの魔法を相殺し、カンナのトンファーを受け流して各攻撃を見事にやり過ごしている。動作こそ鈍くなっているが、それでもさして問題は無いように見える。

 が──



「…………え?」



 と。

 不意にルトが取った挙動に、カケルは違和感を覚えた。

「気付かれましタ?」

 ミランが怪訝に眉をひそめるカケルに、緊張を孕んだ声でもって問う。

「ルト様、先ほどから仕切りに手を口に当てているんデスよ」

 ミランの言う通り、ルトはアレス達の猛撃を躱しながら、度々口許へと手をやっていた。

 顔色も悪く、その様子はまるで嘔吐感を堪えているように窺える。

「お、おい。なんだあれ? あいつ風邪でも引いてるのか?」

「いえ、そんな話は聞いていないはずなんデスが……」

 動揺するカケルに、ミランも困惑を隠せず目元をかげらす。

 アレスもルトの変調に気付き始めたのか、それまで以上に剣撃の幅を広めて攻め立てていた。同調するように、リタとカンナの追撃も俄然勢いを増していく。

 その度に顔を苦渋にしかめるルトを見て、カケルは徐々に不安を覚えてきていた。



 ──どうしたんだよ魔王。最強無敵のお前が、あんな奴らに押されるだなんて……。



「まさか──……」

 ルトとアレス達の戦闘を固唾を呑んで目を凝らしていると、唐突にミランが白髪を搔き乱して歯を食い縛った。

「迂闊でしタ! 医者であろう者が、こんな事すら予期できなかっただなんて……!」

「い、一体なんだよ急に? 何か分かったのか?」

 いつになく動揺を露わにするミランに、カケルはイヤな予感に苛まれながらも問い掛ける。

「……分かりませんカ、カケルさん」

「な、何がだよ?」



「ルト様はアナタの子を……!」



 その言葉に。

 カケルは、三日ほど前にルトと共に池のほとりへと出向いた時の事を一瞬で回想した。



『どうにもここ最近、つわりが酷いんだ』────



か!?」



 それまであったルトに対する安心感が、この瞬間一気に雲散霧消した。

 そうだ。何故気が付かなかった。

 ルトは妊婦なのだ──しかもまだ妊娠初期。つわりなどの体調不良を訴えてもおかしくない時期のはずなのだ。

 いや、厳密には既にカケルに対して不調を告げていた。あの時ルトは、確かに『つわり』だと告げていたではないか!

 ルトの母親──フレイヤとの邂逅やアレスらの襲撃でつい意識の外に追いやっていたせいもあるが、そんなものは言い訳に過ぎない。誰よりも早く察するべきだったのに、一体何をしているんだ自分は。

 勝手にルトの最強性を信用して。結果の見えた勝負だと現状に胡座を掻いて。ただでさえ新しい命を宿している身に、重い責務を押し付けて。



 本当にどうしようもなく──頭をかち割りたいほど愚鈍過ぎる!



「おいミラン! 薬とか持ってきてないのかよ!?」

「都合良くつわりを治す薬なんてありませんヨ! だいたい薬なんて、胎児にどんな悪影響を与えるか……!」

「だからってこのまま見過ごせって言うのかよっ! こうなったら今からでも魔王を連れ出して──」

「待ってくださイ! カケルさんが今ここで飛び出してしまったら、ルト様が涙を堪えてまでアナタを魔王城から遠ざけようとした気持ちはどうなるんデスかっ!」

「────────っ!」

 ミランの叱責に、カケルがぐっと言葉を詰まらせた。

 ミランの言う通り、カケルがここで乱入しようものならアレス達に魔族の一味と疑われて、ひいては全人類を敵に回す事に繋がりかねない。

 そうなれば、きっとルトは悲しむ。

 世界中の誰よりもカケルを想っている彼女だからこそ、カケルの身が危険に晒されるのを良しとしないだろう。

 けれど。

 けれども──!

「待っていてくださイ。すぐにでも応援を呼んできて──」



「隙あり!!」



 一際高く上がったアレスの声に、カケルとミランは弾かれたようにルト達の方へと向き直った。

 そこには、ぼたぼたと流血した左腕を右手で押さえながら、アレス達からじりじりと後退するルトの姿が見えた。どうやら剣先で斬られたらしい。

 傷自体は深くなさそうだが、つわりも相俟って苦痛に顔をしかめており、当初の余裕綽々といった雰囲気は影も形もなく無くなっていた。

「ようやく捉えたよ、魔王」

 勇ましくミストルティンを振り払って、アレスは勝機を垣間見たように微笑を湛える。

「何故かは分からないけれど、察するに体調を崩しているようだね」

「……ふん。ちょっと優勢に立てただけでもう勝利者気取りか? ずいぶんと調子に乗っているではないか」

「強がっても無駄だよ。目に見えて君は憔悴している」

 アレスの言う事はもっともだった。

 気丈に振舞ってはいるが、その顔は青ざめており、絶え間なく汗が頬を伝っていた。これで無理をしていないだなんて、誰が信じようか。

「はん。そういうお前達もだいぶ疲弊しているではないか」

「否定はしない。予想はしていたけれど、正直予想以上だった。規格外過ぎたよ、君は」

 鼻白むルトをよそに、アレスは深く息をきつつ、フッと柔く口許を綻ばせる。



「でも、勝利の女神は僕らに微笑んでくれたらしい」



 リタとカンナが、導かれるようにアレスの元へと寄り添う。

 小窓から零れる陽光が──いつもなら薄雲に包まれている空から日差しが降り、アレス達三人を淡く照らす。

 それはまるで、本当に天上から祝福されているかのようでいて──



「終わりにしようか、魔王」



 アレスがミストルティンを突き出して、断罪の時を告げる。

 勇者と魔王──その敵対関係に終止符を付ける瞬間が、じわじわと訪れようとしていた。

「戯言を。私はまだ戦え──っ。ごほごぼげほっ!」

 途中で唐突に咳き込み始めるルト。呼吸が安定しないのか、ついには膝を付いて俯いてしまった。

 そうこうしている間にも、アレスがルトへと彼岸の距離を縮めていく。あと数分もしない内にアレスはルトの元へ歩み寄って、その刃を振り下ろすことだろう。

 そんなやり取りが、カケルの視界にはとても遅く映って見えた。

 遅々として動く時間の中で、カケルは双眸を剥きつつ、今までのルトとの記憶をフラッシュバックさせていた。



『ククク……。勇者よ──よくぞここまで辿り着いた……』



『良かった。生きていてくれて、本当に良かった……』



『私はお前の事が好きだ。自分でもどうしようもないくらい──勇者の事が大好きだ』



『昨日よりもっとずっと大好きになっているカケルへのこの想いが、夢や幻なんかじゃなかったっていう事が、何よりすごく嬉しいんだ』



『あ、あんまりジロジロ見るな。恥ずかしい……』



『うにゃー! 見るな~! 頼むからこんな私の恥ずかしい姿を見ないでぇ~ッ!』



『わ、私! に、妊娠したみたいなんだ……!』



『カケルの苦しむ姿を見るのは、もっと辛い』





『バイバイ。カケル──……』





 ルトの様々な姿が、脳裏に次々と浮かんでは移り変わっていく。

 出会って間もない頃は、いつも鬱屈したようにぶすくれた顔をしていたけれど。

 次第に怒るようになって、だんだんと笑うようにもなってきて。

 泣いたり寂しがったりはにかんだり困ったり喜んだり苦しんだり辛そうだったり幸せそうだったり──。

 その忙しない表情は、いつだってカケルにだけ向けられていて。

 カケルだけを、心から想っていてくれていて。

 誰よりも愛してくれていて。

 だから、カケルは。

 カケルは。



 カケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルはカケルは。



 カケルは──────!!





「魔王、覚悟──!」

 ついに至近距離へと肉薄したアレスが、大喝と共にルトの首元目掛けてミストルティンを振り上げた刹那──



 アレスの頭部目掛けて、赤い球体が猛然と飛来してきた。



「────っ!?」

 突然の事に驚愕しつつ、アレスは反射的に背を反らし、投擲された球体を躱した。

 直後壁にぶつかり、音を立てて粉々に割れたガラス玉。

 それは転移装置が作動する為にミランがカケルに手渡した、魔法石の一つだった。



「うおおおおおおおおおッッ!!」



 間髪入れず、謁見の間に響き渡るカケルの咆哮。

 カケルは全力で疾走しながら、流れるような動作で抜剣してアレスの元へと突っ込んだ。

「そいつから離れろおおおおおッ!」

「くっ──!」

 鬼気迫る表情で刃を振り下ろしてきたカケルに、アレスはとっさにミストルティンで受け止めた。

 ギィン! という剣戟が互いの耳朶を打つ。魔族でもない見慣れた人間の姿に、アレスは大いに動揺を隠せないでいる様子だった。

「離れろっつってんだろがあ!」

「ぐっ!」

 一際重い一撃が、やむなくアレスを飛び退かせる。

 そのままリタとカンナの所まで一旦後退したアレスは、未だ眼前の光景が信じられないと言った風に唖然としていた。

「カ、カケル? 何でここに……。だってもう出て行ったはずじゃあ──」

 アレス同様、呆気に取られているルトを背にして守りながら、

「悪りぃ悪りぃ。ついうっかり戻ってきちまった」

 と軽口で応えつつ、カケルは剣を構える。

 自分でも何をやっているんだろうなあと思う。

 あれだけルトに温情を掛けてもらったというのに。

 あれほどミランに『行くな』と警告されていたはずなのに。

 そういえば、こうして飛び出す前にも『あの──バカっ!』とミランに初めてみる憤怒の表情で罵倒していたっけか。

 けどまあ、仕方ない。



 だって、ミランが言うようにバカなんだから。

 気が付いた時には、体が勝手に飛び出していたのだから。



 多分バカだから、後先考えず勝手に脳がGOサインを命じたのだろう。まったく、困ったスポンジ脳だ。

 だが、不思議と悪い気分ではなかった。

 むしろ、清々しいくらいだ。

 これまで何度もバカな事ばかりしてきた人生だったけれど、今回に限ってはとても愉快だった。

 バカがいくら悩んだところで、どうせバカな解決方法しか思い付きやしないのだ。

 反省すべき点は多々ある。ルトと話し合う事も山ほどある。

 けれど、今だけは愚考にも愚直に愚行して。

 大切な人のために、足掻いてもがいてジタバタして。

 ルトに降りかかろうとしている災厄災難災害何もかもを、全て──



「全て、オレが薙ぎ払う──!!」


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