勇者(オレ)が魔王(アイツ)を孕ませてヤバい

戯 一樹

第1話 思い返せば、この時からすでにフラグは立っていた



「ククク。勇者よ、よくぞここまで辿り着いた……」



 魔王城玉座の間──その広々とした空間の中、隅を縫うように何百と並ぶ蝋燭の灯りが、向かい合う少年と少女を淡く照らしていた。

 腰まで届く黒い艶髪。華奢な体躯を覆うように纏っている真紅のマント。その背中には、可愛いらしい外見とは裏腹に、西洋の絵画に出てくる悪魔のような、実に禍々しい羽が凛然と生えていた。

 そんな背中の羽以外はどう見ても美少女にしか思えない彼女──魔王は、豪奢な玉座に悠然と座ったまま、その金色に光る瞳を可笑しそうに細めながら、勇者に向かって言葉を続ける。

「我が精鋭部隊をモノともせず、あっさりと突破してみせるとは。正直ここまでやるとは、さすがの私も思わなんだぞ。褒めて遣わそう」

「ハッ。それが最後の言葉にならないよう、せいぜい胸中で祈っておくんだな」

 尊大な態度を取る魔王にまるで怖じ気づく事も無く、少年は片手で握っている剣先をスッと魔王に向けて、勝ち気にほくそ笑む。

 少し癖っ毛気味の黒髪に黒い瞳。この世界、、では見慣れない身軽そうな平民服を来た彼──勇者は、片腕で持っていた剣を両手で握り直した後、声高に魔王向けて言い放つ。

「さあ魔王。そろそろ決着を付けようぜ。世界の命運を賭けた、命懸けの勝負をな!」

「フッ。良かろう……」

 そうニヤリと口角を吊り上げた後、魔王は羽織っていたマントをバッと取り払い、悠々と玉座から立ち上がって言った。

「その自信、私がいとも容易く打ち砕いてくれよう。その命もろともな!」

 キンと針で刺したような空気が魔王と勇者の間に流れる。互いに相手の出方を見定めるかのように瞳を凄め、距離を狭める事なくその場で構えを取り続けている。まるでどちらかが先に動いたかで勝負を決すると言わんばかりに、言葉に出来ない緊張感がそこはかとなく漂っていた。

 長く重苦しい沈黙が刻々と続く。そんな延々と続くかと思われた静寂を破り、「まあ……」と魔王は不意に口を開いた。



「ぶっちゃけ、この会話も二十回目くらいになるのだがな」

「やめて! そういう事言うの!」



 一気に緊張感が霧散した。

「今まで数多くの者達が私に戦いを挑み、その度に負かしてきたものだが、お前ほどしつこい奴は初めてだぞ。しかもその二十回とも私が完勝しているにも関わらず、毎回まるでこれが初戦だと言わんばかりに挑んでくるその根性に、もはや呆れを通り越して尊敬の念すら禁じえない心境だぞ」

「バカぁ! どうしてそんな余計な事まで言うの! せっかくのカッコいいセリフが台無しじゃないのォォォ!!」

 と、剣を振り回しながら地団太を踏む勇者。今までの勇ましい雰囲気をあっさりと払拭してくれるかのような勇者の言動だった。

「つか仕方ないじゃん! お前を倒さないと国に帰れないんだもん! お姫様とそういう約束しちゃったんだもん! それ以前に元の世界に戻る方法も知らないしぃー!!」

 そう──。

 このいかにもダメそうな感じの少年は、元々はこの世界の住人ではなく、勇者の住んでいた日本から本人の許可なくこの異界の地へと召喚された人間なのである。彼が言う、勇者を呼び出した張本人(お姫様)の手によって、だ。

 そんなテンプレのごとく召喚された少年は、これまたテンプレ通りこの異世界を救う勇者と間違われ、くどいようだがまたしてもテンプレさながら魔王討伐を命じられてしまったのだ。テンプレにも程があるだろうと言う話でもある。

 さて、普通ただでさえ状況が呑み込めない中、これだけ無茶難題ワケワカメな事を言われたらすぐ拒みそうなものだが、この勇者は深く考えもせず、一も二もなくあっさりと承諾してしまったのだった。「テンプレ展開ならびにオレの時代キタコレ!」と、むしろ大手を振るって喜んだほどだった。この勇者、アホである。

 それだけでなく、自分を召喚した絶世の美少女に一目惚れした勇者は、仮にも一国の姫に──それも王や側近を見ている前で堂々と求婚してみせたのだ。だが驚くべきはこれだけでなく、なんと勇者は本当に姫との婚約を見事交わしてしまったのである。

 姫やその王に見る目が無かったのか、はたまた魔王の元へとこうして五体満足で来る事ができたほどの強運のおかげなのか。何にせよ、なかなかどうして侮れない所のある少年だった。

 とは言え。

「婚約つっても正式な結婚は魔王を倒した後って事になっちゃってるし。だったらせめてその間だけ美少女剣士や美少女僧侶とパーティー組んでウフフぱふぱふウフフしようかと思っていたら、旅に同行させる戦士や僧侶が不足しているからとか何とか言われて、まさかのオレ一人で旅立つ羽目になるし。旅立つ時も魔王を倒すまでは帰れそうにないくらい盛大に見送りされちゃったし……」

 まさしく。

 この勇者の言う通り、魔王を倒すまでは念願の姫との結婚もままならず、それどころか姫のいる城に帰る事すらままならない現状下にいるのである。つまり魔王を倒すまでは帰る所も無く、元の世界にも戻る事すら出来ないのだ。まさに八方塞がりと言った状態だった。

「だいたい、一人で魔王に立ち向かえって、それなんて初期ドラクエ? パーティー組まずに魔王倒せって無茶過ぎるっしょー。しかもその魔王はめちゃ強いしさー。これ無理ゲーにもほどがあるんじゃね? つか、これじゃあ17の間に童貞卒業するっていうオレの夢はどうなんの? むしろこのままだと勇者から魔法使い(スラング的な意味で)にジョブチェンジする未来しか待ってなくね? あ、なんか、目から涙が……グスン」

「……さっきから言っている意味がさっぱり分からぬが、えっと──なんか泣かせちゃってゴメンね?」

 急にうなだれて、頼まれてもいないのに自らの心境をブツブツ呟いたかと思えば、不意にボロボロと人目もはばからず泣き出した勇者を見て、何故か責任の一端を感じて素直に謝罪を述べる魔王。終始傲岸不遜な態度を取っていた割には、意外と優しい一面のある魔王なのだった。

「べ、別に泣いてなんかねぇし! 目から鼻水が出てきただけだしぃ〜!」

 そんな魔王に対し、勇者は未だ止まらぬ涙を袖で乱暴に拭いて、幼稚な言い訳と共に再び立ち上がった。

「今回はこれくらいにしておいてやる! これで勝ったなんて思わないでよねっ!」

「え! 帰るの!? まだ戦ってすらいないのに!?」

 思いっきり負け犬なセリフを吐いた後、「わーん!」と泣きながら背を向けて駆け出した勇者に、魔王は驚愕の声を上げる。

 そんな情けなさ過ぎる勇者の後ろ姿に、「ま、待て! 待つのだ勇者よ!」と魔王は慌てて呼び止めた。

「何よ! これ以上アタイの心の傷を広げるつもりかい!?」

 何故かオネエ口調で魔王に振り返った勇者に、「あの、その、だな……」と妙に顔を赤らめて、もじもじと指をいじりながら言葉尻を濁しつつ、魔王は決心が付いたように顔を上げて言う。

「つ、次はいつ頃遊びに来る予定なのだ……!?」

「……いや、別に遊びに来てるわけじゃないんですけど……」

 魔王を倒して姫様と結婚するのだという目的はあれど、一応は魔王討伐という建て前の元、こうしてはるばる魔王城まで訪れているのだ。故に、決して遊びに来ているわけではない。むしろ遊びに行っているなどと言おうものなら、遠い地で勇者の帰りを心待ちにしている姫達に顰蹙ひんしゅくを喰らうのは必至だ。まあ、言ったところで本人達に聞こえるわけがないのだが。

 第一、仮にも命懸け(今まで人並みはずれた強運のおかげで、あまり命の危険を感じた事はないが)で魔王城へと戦いを挑みに来ているのだ。常識的に考えても、敵にこちらの実情を明かすはずがないし、明かす道理もない。ないのだが、

「えっと、まあぶっちゃけここまで来るのに回復アイテムとか使いきっちゃったし、また道具を揃えてからになるから……そうだな。三日後くらいには来れるんじゃないか?」

 と、あっさり実情をバラしてしまう勇者なのであった。この勇者、救い難いほどのアホである。

「そ、そうか。次は三日後か……」

 そんな間抜け勇者の返答を聞いて、魔王は嬉しそうにはにかんで見せた。その邪気の無い笑顔に、思わず「うっ」と勇者はたじろぐ。いくら相手があの恐怖の象徴でもある魔王とはいえ、姿形は美少女そのもの──そんな彼女の笑顔に、健全な男ならば見惚れるのも無理はない。それは、元いた世界では一介の高校生でしかなかった勇者とて例外ではない。

「や、約束だからな! 三日後にまたここに来るのだぞ! 絶対に絶対だからな!」

「お、おう……」

 コイツ、何でこんな必死になってんの? ていうか、これじゃあ今度遊ぶ約束をした友達みたいじゃね? などと首を傾げつつも、魔王の有無を言わさせない気迫に押されて、思わず片手を上げて了承して、そのまま城を後にしてしまった勇者なのであった。





 ──勇者はまだ知らない。

 この時安易に交わした約束が、後に自分の運命を大きく左右し、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまうという事に。



 ──魔王はまだ知らない。

 自分でも未だ気が付いていない勇者への仄かの想いが、後に包み隠せないほど大きな愛へと移り変わっていく事に。



 ──まだ誰も知らない。

 今は敵対関係でしかない魔王と勇者の間に、いずれ大いなる愛の結晶が育まれるという事に。



 勇者も魔王も、そして世界すらも、この時はまだ誰1人して知る由もなかった──。

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