第14話
その日から僕は頻繁に二人のあとをつけるようになった。
ある日、いつものように歩美の家の庭を盗み見ていた僕の方を、歩美が真っ直ぐに見上げてきた。僕と歩美の視線が正面からぶつかった。咄嗟に誤魔化さなければと思ったけど、僕は金縛りにあったように彼女の瞳から目が離せなかった。
彼女は表情も変えないまま、一言、『来る?』と口の形で僕に言った。僕は、急いでトレーニングウェアに着替え、歩美と将虎さんとの関係の中に入っていったんだ。
将虎さんはその年の夏に開催された五十キロ競歩の日本選手権で、自らの保持する日本記録を塗り替え、ぶっちぎりの一位でゴールした。五輪の出場条件を文句なしに満たし、いまから九年前に行われた東京五輪の競歩日本代表選手となった。
歩美は誇らしさで胸をいっぱいにし、東京五輪の開催を待ちわびた。あんなに普段から明るい歩美を見るのは初めてだった。
五輪が開幕し、将虎さんは開会式に出場した。彼は選手村には宿泊せず、普段通り寝屋川の社宅で、あるいは御影山手の兄の家で、来る競技当日に備えてトレーニングを重ねた。
まるで修行僧のように自分のルーティンにこだわる彼と、テレビで連日報道される五輪での日本選手の活躍とは、全く別世界の出来事のように思えた。
その年の八月は、偏西風の蛇行のせいで日本中で断続的な大雨が続いていて、将虎さんが出場する五十キロ競歩の日程の二日前にも、夕方から激しいスコールが降っていた。
だが彼は、彼の兄夫婦が止めるのも構わず家を出発し、普段通り二十キロの道程を歩いて帰ってきた。寒さに当てられて体調を崩した彼を、歩美は当然心配した。
『歩いていたら治る』という彼の言葉は、彼の経験に裏打ちされた知識だったんだろう。
だが彼の競歩の実力と同じくらい、その浮世離れした危うい性格を実感していた歩美は、自分の小遣いを握りしめドラッグストアで市販の風邪薬を買ってきて、彼に飲むよう促した。
普段薬を飲む習慣のない彼は彼女を安心させるためだけにその薬を飲んだんだ。
五十キロ競歩の競技当日、将虎さんはスタートから十キロの地点をそれまでの世界記録を大幅に上回るペースで通過した。
沿道の観衆やテレビで見守る僕らは、集団から一人抜け出しトップを独走する彼が、ペース配分を誤っているものとしか思えず、この後に起こる失速を予感して痛々しい気持ちだった。
だが二十キロを通過しても、三十キロを通過しても、将虎さんのペースは落ちなかった。そればかりか世界記録とのタイム差を十キロ毎に引き離していく。
次第に僕たちは将虎さんの一心不乱な歩きから目を逸らせなくなった。彼の歩きは競歩競技者の夢見る完璧な理想形だった。歪みのない姿勢、規則的でブレの無い腕の振り、一定の呼吸、脚を繰り出すために最小限の腰のひねり、機械のように正確な脚の運び、無駄のない足の蹴り出しと着地……
結局将虎さんはそのままペースを落とすことなく歩き続け、東京五輪五十キロ競歩競技のゴールテープを一着で切った。
日本中が彼の快挙に熱狂した。
当時の五十キロ競歩の世界記録が三時間三十二分三十三秒だったことを考えるとこの反応は当然だっただろう。将虎さんのゴールタイムはそれより七分五十八秒も速い、三時間二十四分三十五秒をマークしていた。
三時間二十四分三十五秒。
後に将虎さんを呪うことになるタイムだ。
日本中の賞賛にも関わらず、このタイムは幻のものとなった。
試合後の競技会検査において彼の尿から既定値を超えるメチルエフェドリンが検出されたのだ。
交感神経を刺激することによって精神の高揚や血流の増加をもたらすドーピング成分だ。
メチルエフェドリンは、交感神経を刺激することによって気道を広げ、息苦しさや咳の症状を鎮める効果がある。そのことから市販の風邪薬にもよく含まれている成分だった。
歩美はその日以来完全に塞ぎ込んでしまった。彼がゴールテープを切ってから、国民の非難の集中砲火を浴び、二年間の公式戦出場停止を言い渡されるまでの全ての経緯を、彼女は自分の責任として受け止めてしまったんだ。
ドーピング管理はアスリート自身の責務であって、成分を調べないまま服用した将虎さんにむしろ責任が求められるべきだ。だが彼女は黙って首を振るばかりだった。次第に彼女は将虎さんを避けるようになった。
五輪のあと、競歩競技から離れた将虎さんは、神戸市内の私立中学校に体育教師として赴任し、第二の人生を送っていた。
あのレースのせいで深刻なバーンアウト症候群に陥ったことが、彼をプロの競歩競技から退かせたんだ。
だが結局、彼は完全には競歩から離れられなかった。
将虎さんは毎日仕事が終わると、日の暮れた神戸の山手の公道へと繰り出し、誰に求められるでもなく三十キロ以上を歩き回るという狂気的な生活を送った。全ては自分自身が五輪で記録した三時間二十四分三十五秒のタイムを切るために。
骨の髄までの競歩競技者だった彼は、あの日、自分の歩きが完成されてしまったのではないかという恐怖に駆られていたんだろう。今後自分はもう二度とあの日以上の歩きができないのではないか。そんな予感が、彼を更なる歩きへと駆り立て、他の誰でもなく彼自身と戦うためだけに、彼は歩き続けた。
そんな生活の中で、将虎さんの精神は擦り切れ、荒んでいった。自らに課した神経症的なハードワークのせいで体は日に日に瘦せ細っていく。無造作に髭が伸び、湶が浮き、目が落ち窪んでいく。
疲弊は体だけではなく精神面にも及んだ。無感動が彼を支配し、物事に何も意味が見出せなくなった。下宿の部屋が散らかり、ベランダにゴミがたまっていった。
彼の目に見えているのは、いつも彼の先を歩く彼自身の姿だけだった。
僕はそんな将虎さんと歩美の間を往復し、将虎さんを現実世界に向き合わせるため𠮟咤激励し、歩美に彼の現状を明るく脚色して伝えた。
でも本当は、僕は彼をあの頃の状態に戻すことは不可能だと諦めてかけていた。ある日、僕は彼のシャツの隙間から、上腕二頭筋の付け根につけられた多数の注射痕を見てしまったんだ。
そこまでして三時間二十四分三十五秒のタイムを切ることに、いったいどんな意味があるんだろう。
僕にはわからなかった。
僕が高校一年生になったある日、僕はいつものように篠原にある彼のアパートへ食べ物の差し入れをしにいった。そこで、アパートの大家さんから先週の土曜日を境に彼が家へ戻っていないことを聞いたんだ。僕は警察に連絡し、僕自身も走行能力強化装置を駆って、彼が日常的に歩いていたルートを捜索した。
夕暮れ時、ようやく彼を見つけた。武庫川の甲武橋から身を投げて、橋の下で一人潰れている彼を。
それは僕にとって恩人の死であると同時に、耐えがたい挫折の思い出でもある。
将虎さんの死は歩美に暗い影を落とした。彼女はあのとき彼に風邪薬を渡した自分を責め、その後彼と正面から向き合ってこなかった自分を徹底的に責め続けた。
彼女が競歩を再び始めたのはそれからしばらく経ってからのことだ。彼女の心理がどういう経緯で彼女をその行動に至らせたのかはわからない。
その日から君が入部した今日に至るまで、僕と彼女と、そして彼の競歩は続いている。そしてこれからも続いていくだろう……」
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