第299話 完全試合
優紀ちゃんが選抜甲子園の決勝戦で大阪桐正打線を相手に5回までをパーフェクトに抑えるとか頭おかしいことをしていたので、若干継投に抵抗が出て来たけど、優紀ちゃんが自分から交代を言い出して御影監督も「交代や」と言ってくれたので6回裏から私がマウンドに登る。これは一本のヒットも、四死球も暴投も許されないね。1人もランナーを出さずに、この試合を勝ち切る必要が出て来た。
「……私が言うのも変だけど、打たれたら反響が凄いと思うよ」
「分かってるよ。御影監督も、優紀ちゃんより私の心配をしてたし。
まあでも6回は下位打線だし、7回からの上位打線は2打席分、優紀ちゃんの球を見てる。抑えやすいとは思うよ」
投球練習が終わってマウンドに駆け寄って来た詩野ちゃんは、今日の球は走っていると言った後、私の心配をしてきたけど問題ないね。むしろこの状況を作り出してくれた優紀ちゃんに、感謝したいぐらい。
初球、インローに決まった速球は142キロ。一昨日の準決勝で投げた時よりも調子は良いし、打たれる気はしない。特にこの回は下位打線だし、1人目、2人目を連続三振に打ち取った。
そして9番のショートに、大阪桐正は代打を送る。1年生の、長良(ながら) 真也(まや)さんだね。大柄な子で、とてもふとましい体格だけど、その体重に比例するかのような長距離砲で、この選抜甲子園の1回戦でも代打で出てきてホームランを打っている。
右バッターなのに1塁到達タイムは4.28だったから、太っている割には足が遅いってわけじゃないんだよね。この1年生も、警戒をしないといけない1年生かな。今年の夏にはレギュラーになってそう。
初球、ツーシームを空振りした長良さんは、2球目のストレートを打つけど高く上がってピッチャーフライ。……レギュラー陣がかすりもしなかった私のストレートを、バットに当てて前に飛ばした時点で彼女の打力は前の2人より上だ。
7回表からは大阪桐正の守備位置が変更になり、中口さんがマウンドへ、長良さんがファーストへ入る。これは今年の夏というか、来年の夏を意識してそうな采配だね。
最終回の湘東学園の攻撃は、2番のひじりんから。中口さんの球をヒットにすると、真凡ちゃんがようやく外野の頭を超えるツーベースヒットを打つ。ひじりんの足は速くて、3塁を回るけど、外野に移った根岸さんがホームで刺してワンナウトランナー2塁。
4対0で最終回だし、勝負してくれるかもしれない。そう思っていたら勝負を挑んでくれたので、諦めてはいないけど勝利への執念は無くなったと見て良いかな。初球、内角のストレートを叩き、思いっきり引っ張る。打球は伸びに伸び、風にも乗って場外へと消えた。
広い甲子園での場外は、もしかしなくても私が初めてかな。甲子園の風はライト方向からホームへが基本だから、ライト方向へ飛ばしてしまうと打球が伸びない。一方、レフト方向への打球はたまに完全な追い風になって伸びる。
私の感覚的には、200メートルぐらい飛ばしたと思う。私が金属バットの真芯で速球を捉えると、こんなに飛ぶのね。
「ナイスホームラン。甲子園中が騒めいているじゃない」
「甲子園での場外ホームランは、たぶん私が初めてだと思うよ。甲子園での場外ホームランは、最低でも180メートルは飛ばさないといけないはずだし」
「……よくあそこまで飛んだわね。正直に言うと私がツーベースヒットを打ったから敬遠されるかと心配したけど、向こうも最後の最後に勝負してきたのは感心するわ」
「向こうは1年生の中口さんのために勝負しに来たんだと思うけど……トラウマになってないと良いな」
試合は6対0となり、続く智賀ちゃんもヒットを打つけど、光月ちゃんが2打席連続となる併殺打でスリーアウトになる。7回裏、最終回の大阪桐正の打順は1番からだけど、連続三振でツーアウトまであっという間だった。
バックスクリーンのスコアボードを見ると、6対0の数字に、大阪桐正のヒット数は0と表示されている。こちらのエラーも0だし、フォアボールもデッドボールもない。正真正銘の完全試合まで、あと一人。ラストバッターは、1年生の中口さんだ。
まだ今日は球数が嵩んでないし、幾らでも投げれそうだけど、ストレートと縦のスライダーで簡単に追い込まれてから、中口さんはファールで粘る。中口さんの必死な表情から、中口さんの気持ちが嫌というほど伝わって来るね。
いやだ。最後のバッターにはなりたくない。塁に出て完全試合だけは阻止したい。
中口さんの内心が透けて見えるような感覚になり、追い込んでから7球目。全力のストレートを低めに投げる。ここまで臭い球もカットしていた中口さんは、ここで初めてバットが止まる。ボールは、私もギリギリストライクゾーンを外れたように見えた。しかし、審判の判定はストライクだった。
……後味が凄く悪いけど、これで中口さんは見逃しの三振。決勝戦で勝利し、選抜甲子園での優勝が確定だ。しかも、完全試合リレーも達成。甲子園に集った32校の高校で、唯一負けなかった高校になった。
甲子園は四方八方から歓声が沸き起こり、マウンドにいる私に向かってチームメンバー全員が走り寄って来る。あれ?あれだけ全国制覇全国制覇と年がら年中言い続けていたのに、一番優勝した現実感が無いのは私かな?
「ちょっと、何で泣いてるのよ!私まで、涙出て来たじゃない」
「……ボーっとしてるし、機能停止中っぽいね。起きてる?」
「カノン先輩はこういう時、感傷に浸る時があるのでこうすれば起きますよ。
うりゃ!」
「ちょっ、どこ触って、ひぃやぁんっ!?」
私に釣られて目尻に涙を浮かべながら喜んでいる真凡ちゃんに、私の目の前で手を振る詩野ちゃん。そしてひじりんは、ユニフォームの中に手を突っ込んで来てお腹を触ってきた。思わず変な声が出て驚かれたけど、100%ひじりんのせいなので後で仕返ししよう。
あれほど焦がれた甲子園で優勝して、嬉しい気持ちはあるけど、現実味を感じられないのはいつものことだ。たぶん今日の夜ぐらいになって、ニュースで見る頃になってようやくこみ上げて来ると思う。
ウイニングボールを詩野ちゃんから受け取って、嬌声以外でようやく口に出せた。今の気持ち。
「うん……野球続けてて、良かったよ」
それは嘘偽りのない、優勝した瞬間に思っていたことだった。
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