第246.5話 価値

湘東学園の4回戦の相手は向中高校であり、向中高校の先発は梅村の元チームメイトである石戸千野だった。梅村と石戸は中学時代にバッテリーを組んでいた時期があり、高校に進学してもバッテリーを組む予定、だった。


「何で、湘東学園なの?向中高校からの推薦を蹴って、行くような高校じゃないでしょ……?」

「カノンが湘東学園へ進学するっぽいから、賭けただけだよ。

まー、スポーツには力入ってるし、カノンが来なくて野球が出来ないなら転校するよ」

「高校でも、一緒にバッテリー組もうって言ったじゃん!それなのに、カノンが湘東学園へ行くかもしれないって理由だけで、湘東学園へ行くの!?」

「カノンが湘東学園に進学したら、向中高校が私達の世代で甲子園に行くなんて無理だよ。神戸ガールズからカノンが数人連れて来るだけで、神奈川の他の高校にはチャンスが無くなる」


しかしそれは、梅村の裏切りにより消失した約束だった。梅村が湘東学園へ進学した最大にして唯一の理由は「カノンがいる」からになる。それだけ梅村は奏音のことを評価しており、梅村の持つ卓越した勝利への嗅覚は、勝ちの匂いを感じ取っていた。


最終的に梅村は向中高校からの誘いを断り、湘東学園へ入る。一方で石戸は梅村とのバッテリーを諦め、向中高校に進学した。当時、県内最速を誇るMAX138キロの渡辺が向中高校に在籍していたことから向中高校へ進学した県内の有力選手は多かった。


「早い時期の転校なら、2年の夏には試合に出られると思うけど……もう、何を言っても無駄だよね。

それだけ、カノンの事が好きなの?」

「いや、別にカノンのファンという訳じゃないけど……。

私は単に、高校で野球を続ける上で1番勝率の高い道を選んだだけだよ」


卒業式の日から、2人はほとんど連絡を取らなくなった。それから1年半。向中高校の評価は相変わらず、県上位校に入れるか微妙な位置であり、対する湘東学園は県内でトップクラスの評価をされる高校になっている。


ふと卒業式の時の会話を思い出した梅村は、隣にいる西野に目を向ける。真面目で真っ直ぐな性格をしている頭の良い石戸とは、性格と頭の出来が真逆である。しかし野球に対する姿勢や気持ちは同じであり、梅村にとっては西野の方が好ましかった。



湘東学園 スターティングメンバー


1番 二塁手 木南聖

2番 捕手  梅村詩野

3番 中堅手 勝本光月

4番 一塁手 江渕智賀

5番 右翼手 高谷俊江

6番 左翼手 中谷雅子

7番 遊撃手 水江麻樹

8番 三塁手 関口賢美

9番 投手  西野優紀



1回表、木南がヒットで出塁し、ノーアウトランナー1塁。初回から梅村と石戸は対戦することになる。初球、速度の速いフォークに梅村は空振り、カウントは0-1になった。


(110キロ台後半でここまで鋭く落ちるフォークは、普通に打ち辛いね。千野ちゃんの球は何千球と捕って来たけど、打席で見ると印象も変わるし。

……ん、送りバントか。了解)


梅村の空振りを見て、ヒットは打てないと踏んだ御影は梅村に対して送りバントの指示を出す。素直にバントの構えを見せる梅村を見て、石戸は梅村が変わったと感じた。


(あれだけ打つのが好きで送りバントに反対していたのに、素直にバントの指示に従っちゃうんだ……。詩野ちゃんは、やっぱり変わったよ)


梅村はガールズ時代に、送りバントをしようとする監督に幾度となく噛み付いてサイン無視までしたことがある。自分の考え方に絶対の自信を持ってプレーをしていた梅村の過去を知っていると、素直に従う梅村には違和感を覚える。


ノーアウトランナー1塁がワンナウトランナー2塁に代わり、続く勝本はレフトフライ、江渕は三振に倒れる。最速128キロは速くはないが、遅くもない。その上でフォークやカーブのキレと変化量は一級品のため、一巡目で捉えるのは中々難しい。


夏に東洋大相模を、4失点とはいえ完投したことからスタミナもある。これで捕手がまともなら、湘東学園とも渡り合えたかもしれないのにと梅村は思った。


石戸の好投に対し、西野も好投をする。互いに0点が続くが、2巡目に入ってから湘東学園は打ち始める。


4回表。先頭バッターの梅村が打席に立ち、何球かバットに当てる。捕手である梅村は、相手キャッチャーのレベルがよく分かった。向中高校は夏までレギュラーの3年生捕手が居て、この捕手は公式戦でマスクを被り慣れていない。夏まで投げていた大きく落ちるフォークを、今の石戸は投げていない。


相手バッテリーの思考を読んだ梅村は、大きく落ちるフォークに対して、当てないように空振りして走り出す。案の定捕手は零しており、振り逃げは成功。ノーアウトランナー1塁になる。


その後もフォークを投げるタイミングを梅村は読み、盗塁を決めた。ノーアウトランナー2塁、カウント1-1で、打席に立つ勝本は深呼吸する。


(落ち着いて、カーブを狙おう。このバッティングフォームでも、カーブを打つのは慣れて来た。

力を入れ過ぎないようにリラックスして……足を踏み出すのは、今!)


3球目、内角に来たカーブを勝本は捉えてセンター方向に返す。梅村はホームに還り、湘東学園は1点を先制した。

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