第229.5話 合宿最終日

前日のトリプルヘッダーをこなし、心身共に疲れ果てた湘東学園野球部の1軍メンバーが出迎えたのは、東京都の強豪校である帝央高校だ。昨年の夏合宿の後も帝央高校とは練習試合をしており、その時は春谷が先発をして9対10で負けている。


合宿最終日の1試合目は、帝央高校が相手だ。そして相対する湘東学園のスタメンに、勝本光月の名前は無かった。



湘東学園 スターティングメンバー


1番 二塁手 木南聖

2番 捕手  梅村詩野

3番 右翼手 高谷俊江

4番 一塁手 江渕智賀

5番 中堅手 中谷雅子

6番 左翼手 下田海里

7番 遊撃手 水江麻樹

8番 三塁手 関口賢美

9番 投手  西野優紀



「勝本は糸留コーチが呼んどるからそっち行ってこい」

「……はい」


スタメンから外れた勝本に対し、スタメンを言い終わった御影は糸留と話して来いと言う。勝本は言われた通りの場所まで移動すると、糸留がバッティングマシンの調整をしていた。


「ええっと、何故私だけ呼んだのでしょうか?」

「ああ、来たか。後回しになってしまったが、勝本の問題を解決しておこうと思ってな。

……スタメンから外れたのは、私が呼んだからでは無い。実力で既に他の外野陣は、勝本に並びかけている」

「……そう、でしたか」


糸留から、スタメンになっていないのは私のせいでは無いと言われ、落ち込む勝本。そんな彼女に向かって、糸留は話を続ける。


「別に、勝本は下手なわけではない。ただ周りの成長が著しい中で、取り残されているだけだ。その姿が昔の私と被っていたから、少しな」


その言葉で勝本は昔、奏音と話したことを思い出した。




勝本は小学生になる前から野球を始めており、小学生時代は地元のチームのレギュラーだった。小学校のクラスの中で、野球は1番上手かった。しかし中学生になり、その時は関西で1、2を争うレベルの強豪ガールズである神戸ガールズに所属すると、価値観は一変した。


小学生の時は、早期に始めたアドバンテージがある分野球が上手いと思えた。しかし才能を持つ人達が集まり切磋琢磨していくガールズのチームの中で、勝本自身の才能は下から数えた方が早いと自覚する。


ある時、勝本は1つ上の先輩である奏音に自身の才能について直接聞いている。


「本当に、嘘偽りなく言って良いんだね?」

「大丈夫です。ショックは受けませんから」

「聖ちゃんの才能は、一般人がコップだとするとお風呂ぐらいのレベルはあるよ。逆に光月ちゃんは、その……」

「……覚悟は出来てますよ。大匙一杯分ぐらいですか?」

「……小匙一杯分だと思う」


ショックを受けないと言ったのにも関わらず、少なからず奏音の言葉にショックを受けた勝本は、そのまま奏音に頼み込んだ。


「……でも、きっとカノン先輩もその才能の器というのはそんなに大きくないですよね?」

「たぶん、大きくは無いね」

「お願いです。才能が無くても、打てるようになる方法を教えて下さい」


その日から、勝本は奏音にイメージについて教えて貰った。生真面目な彼女はひたすらイメージの訓練を続け、その努力は実を結ぶ。勝本が2年生の夏の時には木南と一緒にレギュラーに選ばれ、奏音からチームのキャプテンも託された。




「……私は糸留コーチと違って野球が下手ですよ。少なくとも、野球の才能は無いに等しい」

「それでもイメージを頼ってこれまでやってこれたが、ここに来てイメージが通用しなくなっているんだろう?」


奏音の言葉を思い出して、自身に才能は無いと卑下する勝本に、そんなことは知っていると言わんばかりに勝本の状態を見抜く糸留。その上で糸留は、イメージが通用しなくなっている理由も話す。


「イメージの元になる経験のほとんどが中学時代のものなのに、イメージが完成されてしまっている。守備はまだ何とかなっていたが、打撃は致命的だな」

「完成なんて、していないと思います」

「しているぞ。昨日の試合も、何回か同じように差し込まれていただろ。インに食い込むようなシュートを投げる左投手は、中学時代にはほとんどいなかったんじゃないか?それに中学の野球と高校の野球を比較すると、球速も速くなっているしな」


勝本のイメージは、既に中学時代に完成されてしまっていた。中学時代に、何度も中学レベルの直球や変化球をイメージし続けたせいである。それを高校野球に適用した結果、中学の時よりも打てなくなった。


「有り体に言えば、中学から高校に上がったせいでイメージが陳腐化した状態だ。自分から求めたイメージと人に教えて貰うイメージで差が出るとしたら、完成するかしないかの部分か」

「もし完成してしまっているなら、これ以上成長しないのなら、どうすれば良いんですか?」

「その答えは、もう知ってるんじゃないか?1つ上の先輩に、今までの自分を捨てた先輩がいるじゃないか」

「……春谷先輩のことですか?」


どうすれば良いかを問う勝本に、糸留は答えを提示する。今までの自分を捨てた先輩と聞いて、真っ先に勝本の頭の中に浮かんだのは春谷のことだった。


「分かってるじゃないか。今までのフォームを捨て、完成されてしまったイメージを破棄するしかない。今のままでも、成長力が無いとばれなければプロにすらなれるかもしれないが……どうする?」

「……薄々感付いていましたし、答えは決まってます。フォームの改造して、また一からイメージを鍛え上げます」

「……よく決断出来たな。さて。過去の私と似ていると言ったのは別に境遇だけじゃない。過去の私と今の勝本のフォームもよく似ている。体格も似ているし、勝本がバッティングフォームの改造をするなら私のを真似するのが1番だと思ったから、試したかったんだ」


練習試合が行なわれている中、勝本は糸留に言われ1人バッティングマシンの球を打ち込む。元プロ野球選手で40億を稼いだ女から、そのバッティングフォームを受け継ぐために丸一日かけ、細かな部分まで指導を受けた。

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