第226話 メンタル

5回裏に、履陰社のエースである浦田さんがマウンドに登った。この回はタイ打線に左打者が2人続くから、たぶん今が代え時だろうね。あと予選だからこそ出来る、テストみたいなものかな。


……実は履陰社の3人は、調子がイマイチ良くない。9番の内河さんは今日、一応犠牲フライという仕事は果たしたけど、アジア予選での打率は今のところ2割程度だし、山村さんもここまでの打撃成績は芳しくない


その最大の理由は、彼女達が高校の最後の大会で初戦敗退をしたからだと勝手に思っている。私は最後の夏が終わった後、半月近くは魂が抜けたような生活を送っていたし、特に主力面子だった彼女達のダメージは大きかったはず。高校野球が終わってしばらくの間、練習が出来ていなかったとしても不思議じゃない。


今まで使うのを避けられていたのも、ここで試すためなのかな。浦田さんは先頭バッターに軽くヒットを打たれると、ワンナウトを取った後に3連打を浴びて2失点。その後ろは抑えたけど、タイが代打攻勢に出ていたら不味かったかもね。


そもそも、友理さんの失投を見逃すことなく仕留めることが出来る4番のいるチームだ。シード国は伊達じゃないし、ここまでタイも危なげなく4連勝しているのは事実。


5回の攻防が終わって、8対5。4回裏終了時と同じく3点差ではあるけど、心境的には6対3と8対5ではかなり違う。そして新開さんが準備をし始めたので、6回と7回を新開さん。8回と9回を私で抑えるとだけ岡沢監督に言われた。


「今日のタイは、アジア予選の中でも強い方の国なのよね?思いっきり、テストしていない?」

「本番だからこそ、出来る試験みたいなものはあるよ。岡沢監督はU-15の時にも際どいテストみたいなことはしていたし、その時に本心を聞いたこともある」

「……その時は、何て答えたの?」

「弱い国でテストをして、抑えられてしまうと、勘違いしてしまうから困るそうだよ」


岡沢監督はマイルールを作ったり変なニックネームを考えたりと、わりと自由奔放なイメージがあるけど、選手達を試すことも好きなタイプの監督だ。それで選手から嫌われない辺り、人柄の良さみたいなものはあると思う。


6回表。2番の裕香ちゃんから始まる打線は裕香ちゃんが四球で出塁し、広沢さんがサードゴロに倒れた間に裕香ちゃんは2塁へ進塁。ワンナウトランナー2塁で、私の第4打席を迎えた。


私の今日のこれまでの成績はホームラン、ツーベースヒット、スリーベースヒットだからシングルヒットが出ればサイクルヒット達成だね。耳を澄ますと歓声の中から、サイクルヒットを望む声も聞こえる。


ただ8対5という状況で、ツーベース以上が打てるのにわざとシングルヒットを打つようなことはしない。5回表からマウンドに登っている向こうの投手は私を見ると、引き攣った笑顔を見せる。アジア系の顔だけど、彼女は少し日に焼けているように見えるかな。


1球目は先程打った大きく曲がるカットボールが来たので、打ちに行ってファール。まだ、若干イメージと差異があったけど、今のでだいぶ修正は出来る。


2球目は低め、ワンバウンドする落ちる球でボール。これを打ちに行ってもホームランにはならなかったし、恐らく初球のカットボールを決め球にも使うはず。3球目、初見になるシュートは完全に見送ってカウントは1-2と追い込まれた。


これで彼女の持ち球は、全部見れたかな?小さく曲がるカットボールと、大きく曲がるスライダーのようなカットボール。落ちる球はコントロールをし辛いのか、2球種持っているようだけどあまり投げていない。シュートも、たった今見れたので打てないことは無いかな。


追い込まれて4球目。膝元に決まる、彼女のウイニングショットだと思われる大きく曲がるカットボールが内角低めに投げられた。イメージ通りに曲がってくれるその球を、私は芯で捉えて弾き返す。


打球はセンター方向へ飛ぶけど、打球の行方は見なくても良いね。ゆっくり走り出してダイヤモンドを一周し、ホームベースを踏む。ツーランホームランで日本は10点目を獲得し、試合は10対5と再び5点差に開いた。




「……カノンは、調子良さそうだね。羨ましいよ」


U-18日本代表のベンチ、その片隅にて。奏音の活躍を見てポツリと内河が呟くとそれに伊藤が反応する。


「カノンの調子は、全然良くないわよ。さっきの打席なんか、初めてフェンスに打球が到達しなかったのよ」


奏音の調子は、伊藤の目にははっきりと良くないことが分かっていた。アジア予選で今までの試合の奏音の打球はホームランじゃなくても全てフェンスまで届いていたが、先程の打球は届いて無かったからだ。


「大体、試合前に薬物使用の疑いをかけられて質問攻めに合ったり、打席前には血も抜かれたのに調子が良いはずないじゃない」

「まーまー、落ち着きなよ。ほら、本城さんもヒット打ったから真凡ちゃんはネクスト行ったら?」


若干、声に怒気が含まれていた伊藤を、森友は落ち着けさせてネクストへ向かわせる。その後、内河に話しかけた。


「あの子、凄いよね。2年生なのに、3年生に向かってあの口調は怖いもの知らず過ぎだよ。

でも、怒るのも分かる。自分の不甲斐無さを棚に上げて、勝手に嫉妬をしているんだから気分は良くないよ」


森友は突き放すようなことを言い放つと、応援に戻る。本城がセンター前へヒットを打ち、大村もヒットで続く。ワンナウトランナー1塁2塁で伊藤がレフト前へタイムリーヒットを打ったため、8番の篠宮が打席に入り、内河はネクストバッターズサークルへ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る