第65話 エースとして

ノーアウト1塁2塁で初球、藤沢商業高校のエースは私に対して、ストレートをストライクゾーンに入れて来た。何かしら隠し玉があるかと思ったけど、その隠し玉を投げるなら初球だっただろうし、変化球は投げられないのかな。


決して、110キロは遅いわけじゃない。前世でも、125キロを投げられるなら弱小校ではエースになれる。まだ1年生だし、これから目覚ましい成長を遂げる可能性はある。


教科書通りな、綺麗なフォームで投げているので、再来年にはそれなりの投手になっているかもしれない。だけど、今は打たないわけにもいかない。


2球目、外のストライクゾーンに入っている球を流し打ちする。大きなフライとなった打球は、ライト方向へのホームランになる。これで前の試合から、4打席続いてのホームランだ。


これは地区予選の湘東学園の打撃成績がえらいことになりそうだと思いながら、グラウンドを回る。結局初回は3点止まりだったけど、良い雰囲気で裏の守備を迎えることが出来た。


その初回のマウンドには、久美ちゃんが登る。1年生で左投げなのに120キロを超えるストレートと大きく曲がるドロップカーブ、決め球として使えるフォークを持っている時点で優秀ではあるのだけど、練習試合では強豪校を相手に優紀ちゃんよりも通用しないことの方が多かった。


その最大の原因は、今までの投球スタイルにあった。中学時代、久美ちゃんはピンチになればギアを1つ上げるという器用な投球をしていたけど、帝央高校との練習試合でそれが出来なくなっているように感じた。


「試合で投げていなかったから、ピンチの時にギアを1つ上げようとして、その感覚が壊れていたから打ち込まれていたのだと思うよ」

「……立ち上がりは今までずっと大丈夫だったのですが、やっぱり試合へのブランクというのは厄介ですね。過去の感覚を知ってしまっているからこそ、力を出せていないということですか」


帝央高校に対して、久美ちゃんは5回までに7失点している。だけど、最初の3回はほぼ完璧に抑え込んでいた。崩れ始めたのは、4回にピンチになってからだ。抑えようとして、力んでいるのかは分からないけどストレートのノビを欠いていた。


それを指摘した結果、最後の練習試合で久美ちゃんは終始淡々と投げ続けていた。徐々に良くはなっているけど、まだまだ中学時代に活躍出来た自分の幻影に囚われている感じはする。だからこそ、1番を優紀ちゃんに託した。


と言っても、藤沢商業高校を相手に久美ちゃんは粛々と投げ続けて三振の山を築いていた。強豪校を相手にすると苦しいけど、格下相手には滅法強いというタイプになってしまったのかな。これが続くのも良くないことなので、何とかして新しい自分を見つけ出して欲しい。


試合は2回も3回も湘東学園が3点ずつ加える展開になり、私は2打席目から敬遠された。本城さんもかなり打っているから帰塁率は高いし、別に敬遠されることに問題は無い。私個人は、打てなくて残念なだけだ。


そして4回表に5点を追加して14対0になったところでコールド勝ちが濃厚になったので、4回裏からは私が投げる。


「……継投する必要、あった?」

「もともと今日は私も投げる予定だったから、良いんじゃない?私自身、投げたかったしさ」

「縦スラ、今日は使わないからね」

「偵察の数、多くなってるし仕方ないね」


合宿中に取得して練習試合でも何度か使っていた縦に落ちるスライダーは、今日は封印することが決まった。相変わらずのツーシームと、2段階のストレートで押し切る。


普段のバッティングピッチャーが110キロそこそこなら打たれないと思っていたけど、4番の人に甘く入ったストレートを綺麗なセンター返しで打たれたので今日は被安打1だ。


試合は結局、湘東学園が16点を取り、藤沢商業を2安打に抑え込んで予選通過を決定付けた。2試合での得失点差が+35となっているけど、残念ながら東洋大相模は+37だし、中には+42という高校も存在する。まあ、高校野球だとよくある話だ。


「これで、得失点差で1位通過は確定したようなものよね?」

「川沢高校が負けたら、ね。それに秋季神奈川県大会は地区予選全勝の1位校がシード扱いだから、最後の1試合も手を抜いたら駄目だよ」

「それは分かってるわよ。それにしても、全勝しないとシードは貰えないのかしら?」

「全勝しても秋大はシードを貰えないことはあるから、その辺は県大会の参加校数にもよるね」


地区予選での1位と2位は、結構な差がある。2位通過は1回戦からだけど、予選全勝の1位通過は原則2回戦からになる。関東大会出場まで5勝する必要があるか6勝する必要があるか、この1試合の差は大きい。


同地区の注目カードである日大茅ヶ崎と鎌倉学院の試合は4対6で鎌倉学院が勝っていた。日大茅ヶ崎が横浜高校に負けたベスト8で、鎌倉学院が和泉大川越に負けたベスト16だから日大茅ヶ崎の方が勝つかと思ったけど、新チームは鎌倉学院の方が上なのかな。


今日の試合結果で、おおよその流れは決定付けられる。茅ヶ崎南陵高校と川沢高校の試合は1対5で川沢高校が勝利していた。3試合目は2勝同士の戦いになるし、1位通過か2位通過が決まる重要な試合だ。勢いのあるチームだけど、きっちりと勝って地区予選を勝利で終わらせたい。

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