第35話 新兵器
2回裏の攻撃は、詩野ちゃんがレフト前にタイムリーヒットを打って2点目を入れ、私は敬遠される。ツーアウトランナー1塁2塁の場面で先程ヒットを打った美織先輩が打席に入ったけど、残念ながらショートゴロでスリーアウト。
小鳥遊さんは初回、勢いよく飛ばしていたけど、2回以降はペース配分を考えているのかバットには当たる球を投げている。この雨の中で、随分と後ろの守備を信頼しているのだろう。だけど詩野ちゃんに対しては本気で投げて、普通に打たれている。あれは悔しいはずだし、後に響きそうだ。
ストレートには押し負けると考えて、カーブに絞っていた詩野ちゃんは、外一杯に決まるはずだったカーブを流し打ちしている。本当に詩野ちゃんが味方で良かったというか、詩野ちゃんの方がチームへの貢献度は高そう。
……守備のサインの正誤を教えてと言ってきた詩野ちゃんは、いつもの詩野ちゃんじゃない。少しテンションが違うというか、平常運転ではないように感じた。このままだと投手より先に、捕手がオーバーワークしそうな予感がする。
そしてマウンドには、久美ちゃんが立つ。向こうのベンチやスタンドが、久美ちゃんの投球を見て騒めき始めた。
「ピッチャー、変わったね。あれ、そう簡単には打てそうに無いんだけど」
「ええっと、10番の春谷久美ですね。今大会で、試合に出ている形跡はありません。
シニアやガールズで活躍した形跡も無いです」
東洋大相模のベンチでは、4番の山田が記録員である美濃に話しかける。美濃は試合前に徹底して湘東学園の選手の出自や細かい癖を分析していたが、春谷に対するデータは皆無であった。春谷の家庭環境が、彼女の出身を隠していた。
「あれ、京都の亀岡ガールズの堤じゃない?」
「うそっ!?先輩達、知ってるかなぁ?」
春谷の中学時代の情報を知っている東洋大相模の野球部員は、スタンドにいる2年生や1年生を中心に少なからずいた。2年前、中学2年生の時に全国大会で暴れた京都の強豪チームのエースだ。しかしベンチ入りしている3年生の中に彼女を知っている人はいなかった上、2年生も正体には気づけなかった。
試合中の情報伝達行為は禁止されているため、ベンチ外から春谷に関する情報がベンチへ届くことは無かった。スタンドにいる彼女らに出来ることは、春谷の情報をベンチの中の誰かが知っている、ということを祈るだけだった。
「試合開始前に、この展開を予測していた人は素直に手を挙げなさい。
……誰も、いませんよね。全員、カノンが引っ張って来ただけのイロモノチームだと思っていたはずです」
3回表、東洋大相模の攻撃が始まる前に、監督である緒川はレギュラー陣を呼んで円陣を組む。普段は怒声しか発しない緒川監督が静かに語りかけているという時点で、東洋大相模のレギュラーは既に追い詰められているということを悟った。
「1回戦は相手が弱すぎて参考にならず、2回戦はカノンがいなければ100%負けていた。そんなカノン個人の力で戦っているチームに、万が一にも負けるとは思って無かった。その認識は改めましょう。彼女らは、決勝で当たってもおかしく無いチーム。そのように印象付けなさい。
あのキャッチャーは、厄介ですよ。守備を信じて、あの球に力の無い投手で打たせて取るピッチングを成立させていました。そして今は、少なくとも1年生らしくない球を投げている投手がマウンドに立っています。早打ちはせず、焦らずに、深呼吸してから打席に立ちなさい」
「はい!」
3回表の攻撃は、9番の小鳥遊から始まる。監督からのアドバイス通り雨が降る中、小鳥遊は深呼吸してから右打席に立つ。小鳥遊に向かって春谷は初球、ドロップカーブを内角高めへと投げた。手が出なかった小鳥遊は、それがストライクゾーンを掠める投球だったことを認識し、しっかりとバットを握り直す。
審判の判定はボールだったが、ストライクを取られてもおかしくない球だった。初球のイメージが脳内に残ってしまった小鳥遊は2球続けて外のストレートに手が出ず、1-2から4球目のチェンジアップを振ってしまい、空振り三振をした。
小鳥遊は、バッティングも良いと評価されている。その小鳥遊を空振り三振に打ち取ったことで、春谷は東洋大相模の威勢を断ち切った。
「初球はカーブ系で、最後はチェンジアップだったわ。コントロールは良さそうだし、緩急があるから気を付けてよ」
「ええ。分かったわ」
続く1番の赤木(あかぎ)に、小鳥遊は春谷の持ち球を教える。赤木は2球ファールで粘って6球目、カウント2-2からカットボールに手を出してピッチャーゴロに倒れた。左バッターにとって、左投げの春谷のカットボールは外に逃げる球となる。芯では捉え辛い球だ。
ツーアウトランナー無しの場面で、2番の川中(かわなか)が左バッターボックスに入る。良い左打ちの打者が続く東洋大相模にとって、左投げの春谷は天敵だ。
川中は、春谷の120キロの速球に詰まってキャッチャーファールフライに倒れる。結局梅村は、一球も春谷の決め球であるフォークを使わせずに3回表の攻撃を切り抜けた。
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