第1話 9人もいない野球部

季節はあっという間に過ぎて、今日は入学式。兵庫県から神奈川県に移り住んでからは、つきまとっていたマスコミが寄って来なくなって嬉しい。何気にずっと鬱陶しい存在だったから、いなくなって清々しい気分だ。


神奈川県にお引越しするに当たって一人暮らしを始めたけど、元々一人暮らしの経験があるから何とかなっている。毎月、ある程度のお金が両親と伯母から振り込まれているし、学生最高。


そして当の伯母だけど、挨拶に行った時にまさか本当に来るとは思ってなかった、と言っていた。他にも選択肢があるから、わざわざ来ないだろうと思っていたらしい。スポーツには力を入れ始めているそうだけど、野球部に在籍している先輩は僅かに4人。


……この惨状を知っていれば両親も湘東学園に入れなかったとは思うけど、実際にスポーツには力を入れていて最新鋭の筋トレ設備とかは充実しているから、良いところも存在する。


一先ず怒りの電話を両親にかけると、2人ともまさかそこまで酷い状態だとは知らなかった、という返答が。両親と伯母の間で、不幸な行き違いがあった模様。電話越しで必死に謝られると、怒る気力も無くなってくる。


どうしようもない状態なので、あっさりと入学式が終わった後は野球部のグラウンドに向かった。昔は強かった時期もあるそうで、フェンスのある立派なグラウンドだけど、今は閑古鳥状態だ。それでも整備はされているから、丁寧に扱っていることがよく分かる。


今日は入学式だし、練習はしていないのかな。そう思って帰ろうとしたら、後ろに2人の女性が立っていた。


「……えっと、野球部の方ですか?」

「カノン……」

「え?」

「実松奏音じゃないか!なんで此処にいるんだ!?」


片方の女性はバットケースを持っている所を見るに、数少ない4人の部員の内の2人なのだろう。もの凄い剣幕で詰め寄られて、右往左往してしまう。


隣から「まあまあ、落ち着いて」という言葉をかけられたことで、ようやく詰め寄って来た方の女性は私から離れて自己紹介を始めた。


「私は3年の小山(こやま) 悠帆(ゆうほ)で、右投げ右打ちのポジションはサード。隣にいるのは同じクラスの大野(おおの) 球己(たまき)で、右投げ右打ちのピッチャーだ。一応、このチームのエースになる」

「ふふ、一応エースの大野よ。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします。

あ、実松奏音です。ポジションは外野手で、右投げ右打ち。基本的にはライトで守っていましたが、センターでもレフトでも大丈夫です」


バットケースを持っている方が小山先輩で、優しそうな方が大野先輩。3年生ということもあり、どちらも筋トレをちゃんとしているのか、身体はがっしりと作られていた。


去年は卒業した先輩方5人を含めてギリギリ9人の部員がいたそうで、県大会は3回戦進出まで進んでいる。と言っても2回戦で運よく弱小校に競り勝って、その後の3回戦で13-1のコールド負けをしているから、弱小校であることは確かだ。


「それで、なんでこんなところにいるんだ?」

「なんでここにって、野球部に入るためです」


小山先輩の質問に答えたせいか、奇妙な雰囲気が先輩方との間で流れる中、大野先輩がニッコリと笑って一打席勝負でもしましょうか?と言って来た。せっかくなので、お言葉に甘えて打席に立つ。


「キャッチャーをしても大丈夫なんですか?」

「これでも去年は捕手をしていたのだ。心配は無用さ」


軽くキャッチボールを開始する2人を尻目に、私も金属バットを持ってぶんぶんと素振りする。少し自堕落な生活を送っていたから、鈍っているかもしれないと危惧していたけど、何とかなりそうだ。


「キャプテーン!野球部の見学に来た人を連れて来ましたよー」

「ああ、そこで待っていてくれ。大野がカノンと勝負したい、という我が儘に付き合っているんだ」


しばらくすると、小山先輩をキャプテンと呼ぶツインテールの子が2人もやって来た。見た感じ、残りの2人の部員だろうか。顔がよく似ているので、双子かもしれない。双子のわりには、似て無い感じだな。


新入生も3人ほど見えるので、私を含めて8人。……9人には、届かない。ちょっと試合が成立するか怪しくなって来たぞ。後1人ぐらいなら、今の女子野球の人気度を考えれば入ってくれると思いたいけど。


素振りをしていると、大野さんのアップが済んだようなので、こちらも打席に入る。さあ、勝負だ。


打席に入って1球目、ストレートが来たのでわざと強引に引っ張ってファール。一応内角低めの良い所に来たけど、球速は並み。つまり私の目ではかなり遅く映る。


3年生で110キロ台ということは、球速で勝負が出来ないタイプのピッチャーだ。だとしたら変化球があるはずだけど、と思った所でドロップのような沈む球を投げられる。結果は空振り。


ブレーキがかかっているのか凄く遅くて、それでいて横方向にも変化する沈むような球筋だ。若干逃げていく感じもするから、芯で捉えるのは中々難しいかもしれない。


……私以外は。


3球目、外角ギリギリ一杯に来たドロップを捉えて振り切る。


打球は、フェンスの上段に突き刺さった。


これからは、セーブして打とうか。硬球が場外は流石にヤバい。


「あはは……打たれちゃった」

「えっと、良い球でしたよ。私以外だと空振りだったと思います」


マウンドでがっくりと落ち込んでいる大野先輩に、慰めの言葉をかけようとしてどう言おうか悩んだ結果、私以外になら勝ててましたよ、という意味不明なことを口走っていた。その様子を見て笑いながらキャプテンの小山先輩が近づいて来る。


「ははっ、それは、中々に凄い発言だな。まあ良い。カノンがカノンだということが分かっただけでも収穫があったよ」

「……えっと、何をしているんですか?」

「……サイン、貰えないだろうか」

「そんな神妙な顔をしなくても大丈夫ですよ!書きますから!」


どこから取り出したのか分からない色紙を持って、小山先輩は私にサインを頼んだ。ただの高校生にサインを強請る時点で、野球が好きなことは分かる。


……その後は大野先輩や新入生達にもサインを書くことになった。何で私はこんなに人気があるのだろう。無心で練習していたサインを書いていると、そんなことを考えていた。

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