ちょっとした体験談

@7013

第1話 浪曲が聞こえた

あれは就職して少し経った頃だったか。

休みの日の夕方、自分の部屋でベッドに寝転んで漫画を読んでいた。


簡単に間取りを説明すると、南北に長い長方形型の部屋で、北側の壁にテレビ、東側の壁の真ん中にこの部屋唯一の窓があり、南側の壁際にベッドが東を頭に寝る様に置かれていた。

南側の壁の向こうはもう外で、部屋とかは無い。

他にも机とか棚とか家具はあるが、あまりこの話には関係ないので省略。


そんな部屋で、南の壁の方を向き、北の壁に完全に背を向けてベッドに寝転んで「ミスター◯っ子」を読んでいた時のことだ。


低い声のような音が、背中の方……北側の壁の方から聞こえて来るのに気付いた。


『ん〜、何か聞こえるなぁ……』

漫画を読みながら、そう思った。


今にして思えば妙な話だが、その時は声の方を向こうとか、漫画を読むのを止めようとか、少しも考えなかった。


そのまま漫画を読み進めていると、どんどん声(?)は近付いて来る。

声っぽいが、聞いたことはない男の声だ。


ある程度まで来たら、三味線のような伴奏も聞こえ始め、声(?)がそれに合わせた抑揚のある唸り声だと思えた。

相変わらず何を言ってるかは判然としなかったが、印象としては

『何か浪曲を唄ってるみたいだな?』

という感じ。


浪曲はそのまま近付き、ベッドのすぐ横まで来てもなお黙る様子はない。

この期に及んでも『近づいて来たなぁ……』と危機感のまるで無い感想を抱きつつ、漫画を読んでいる自分。

声の方を見てはいないが、もし何かがそこに居たとしたら、端から見たらさぞ異様な光景だったろうなぁとは思う。


すると、突然。

左を向いて寝ていたので、下にしている左肩に……なのだが、何かが乗っかる感触がした。

浪曲も伴奏も止まっている。

左肩は体の下側なのだから、その乗っかった何かはベッドの中にめり込んでいる事になる。

そんな普通に考えれば有り得ない状況に、自分は

『肩にアゴ乗せて本を覗き込んでるな?』

と感じただけだった。

更に言えば、

『そんなに見たいなら見せてやるか』

と、何故か上から目線の感想すら抱いていた。


本当に、この時の自分の心理状態は何だったのか?



少しして、肩が軽くなったと思ったら伴奏と浪曲が再開。

しかし、今度は北の壁の方へ遠ざかっていく。

どんどん音も声も遠ざかり、

『ああ、帰っていくなぁ……』

と思った時、


ベベンッ!


と三味線が締めの音を鳴らして、それからは何も聞こえなくなった。



そこでようやく自分は上体を起こし、北の壁を見て言ったのだ。


「誰?」



以後、同じ経験は無い。

何のリアクションもしない自分に、その浪曲の主も呆れたのかもしれない。

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