第五章『血を吐く畜生』

第19話

 祖母の話をしようと思う。

 母を失った僕は、祖母に育てられることになった。

 無責任な者たちは、それを聞いて、「ああ、ちゃんと育ててくれる人がいたんだね。よかったよかった」と思うかもしれない。

 そんなわけがない。

 僕が祖母に育てられて学んだのは、痛みと苦痛。「優しい」とはかけ離れたものだった。

 あれは…確か十五年間。

 母が心中を図って焼死した後、家を失った僕は、父に連れられて、祖母の家に向かった。

 何が起こっているのか理解できないまま、僕は父に頭を押さえつけられ、祖母に土下座をした。そして、父の言葉をなぞり「ここに住まわせてください」と言わされた。

 玄関で土下座をする息子と孫を見た祖母は、ふんっ! と鼻を鳴らし、父の頭を蹴りつけた。それから、僕の頭を蹴った。

 僕が倒れ込むと、胸ぐらを掴んで立たせ、頬を数発殴った。母からの虐待に慣れていたおかげで大した痛みではなかったが、「見知らぬババアに殴られる」という異質な状況は、幼い僕を混乱させた。

「これが、お前があの馬鹿女に産ませた、馬鹿な息子かい?」

 祖母はそう言った。「馬鹿な息子」と理解するのに、数秒を要した。

「私は親だからね。お前のことは愛おしく思っていた。お前が大学に進学するときも、予備校に通わせてやった。お前が大学でバンドを始めても、金を出してやった。お前が車を買った時も手助けした。馬鹿みたいに豪勢な結婚式を挙げた時も、出席してやった。香典も多めに出した。全部、お前のためになると思っていたからだ。お前が幸せになるためだったからだ」

 そう言った祖母は、僕の腹を殴ると、壁に叩きつけ、また蹴った。完治していない首の火傷のあとを執拗に蹴られた。おかげで、皮膚が裂けて血が滲んだ。

「それが、この結果かい?」

 土下座を続ける父は、「はい」というだけだった。

「まあいいよ。お前は私の息子だ。お前のような出来損ないを産んで、出来損ないに育てた私にも非はある。家には住まわせてやろう」

 祖母は、蹲る僕を睨みつけた。

「だが、私はお前たち親子を、絶対に許さないよ」

 母が死んで、何かが変わると思った。それは、五歳の餓鬼の甘い考えだった。

 何も変わらなかった。そこは、地獄と同じだった。

 その日から、僕の母親の代わりは、祖母になった。

 祖母は悪い意味で「昔の人」だった。

 暴力上等。僕が少しでも、祖母の思い通りにならないと、めちゃくちゃに殴られた。耳を抓られた。蹴られもした。まあ、それは大丈夫だ。母のもとにいるときに散々やられて慣れたことだったから。

 きついと思ったのは、納屋に閉じ込められたり、外に放り出されたりすることだった。

 特にきつかったのは前者だ。祖母はよく、僕の首根っこを掴むと、家の横にある納屋に放り込み、南京錠で鍵を掛けた。そうして朝が来るまで放置されるのだが、これが、本当にきつい。黴臭いし、ネズミや蜘蛛やらが這いまわるし、窓が塞がれて真っ暗だし。そして、夏は暑く、冬は寒かった。何度も、熱中症や低体温症で死にかけた。その度に頬を叩いて起こされ、「このくらいで死にかけるなんて心が弱い証拠だ!」と罵られた。

「見てわからないなら言ったってわからない。聞いてわからないなら、畜生と同じだね」

 これが祖母の口癖だ。

祖母は僕の目の前で、料理や洗濯、裁縫などをやって見せた。そして、それと同じことを僕に要求する。

「やってみな。私の家に住んでいるということは、こういうこともできなきゃだめだ」

 でも、僕は天才じゃないんだ。一回教えられただけじゃ、できるわけがなかった。

 おろおろする僕を見て、祖母は鼻で笑った。

「できないはずがないだろう? 見てわからないなら言ったってわからない。聞いてわからないなら畜生と同じなんだから。お前は畜生じゃないだろう?」

 そうして僕が失敗するのを見届けると、「ああ、やっぱりお前は畜生か」と呟くと、頬を殴りつけた。首根っこを掴み、納屋に放り込むと、鍵を掛けた。「謝るまで許さないよ」と言う。僕は扉に駆け寄り、「ごめんなさい」と言う。祖母は、「心がこもっていない」と言って行ってしまう。僕は朝まで閉じ込められ、脱水か低体温症で死にかける。

 こんな日々が、中学に上がるまで、ずっと続いた。

「私がお前にこんな仕打ちをするのは、父親のようになってほしくないからだよ」

 祖母はよく、狼狽した僕にこう言った。

「反面教師ってやつさ。あいつの教育を私が失敗したから、お前がそうならないよう、正しているんだ」

今思えば、それは「教育」でもなんでもない、ただの「うっぷん晴らし」だった。

 息子のためにやってきたことが、全部裏目に出た…。

 自分に対する後悔と、息子に対する怒りを晴らす手段が、僕だったのだ。

 本人は否定するだろうけど、きっと楽しかったのだと思う。楽しくてたまらなかったのだ。

 中学に上がると、祖母の暴力は影を潜めた。そういうことをする体力が無くなったのもあるし、僕が家のことを覚えて従順になったからだ。もちろん、過ごしにくいことには変わりは無かった。

中学に進学した僕は、祖母の教育の賜物である従順な態度を利用して、そこそこの交友関係を持った。みんな優しくて、結構楽しかったのを覚えている。

だが、祖母は、僕が友達とつるむことを許さなかった。「○○くんと遊びに行ってくる」と言えば、顔を真っ赤にして、「行かせない! 勉強もせずに遊ぶことを考えるような奴と付き合ってみろ! お前が馬鹿になるだけだ!」と怒鳴った。これは多分、建前だと思う。祖母が許せなかったのは、いや、気に入らなかったのは、孫が自分の意思で何かをすることだったのだ。

祖母の行動に「道徳」を見出してはいけない。

祖母はとにかく、「僕が何かをすること」が、たまらなく憎かったのだ。

僕が漫画を買えば、「馬鹿になる!」と言って燃やした。

僕が小説を買えば、「馬鹿になる!」と言って燃やした。

僕が服を買えば、「センスがない!」と言って燃やした。

僕が何か買えば、「金がもったいない!」と言って、燃やした。

僕はそれを、「仕方がないことだ。父がまいた種だから」と思い、受け入れ続けた。

 もちろん、祖母の全ての行動に対してイエスマンだったわけではない。僕が、側溝にはまって動けなくなっている老人を助けたことを責められたときは、流石に反論した。「人を助けて何が悪い!」と。

 そういうときは、祖母は顔を真っ赤にしてこう言った。

「出来損ないが私に指図するな!」と。

 そう言われた時、そんなことは無いと思っていても、胸の奥がチクリと痛くなるものだった。

「出来損ないの父親と、出来損ないの母親から生まれたのがお前だ。出来損ないのお前の言っていることが正しいわけないだろう」

 そうして、こうも言った。

「実際、お前の馬鹿な母親は、家を焼いて死んでいるんだ。出来損ない以外何者でもないだろう。なんだ? 私は間違っていることを言っているのか?」

 祖母に何を言っても通じなかった。

 父は相変わらずだった。殴られる僕を見て、「ああ…、またか」って言いたげな顔をして、静かに自分の部屋に戻り、寝るか仕事を始める。父の気持ちはわからなくもない。自分の失態で生み出した子供が痛い目に遭ったって、助けたいなんて思わない。見たくもなかったのだろう。

 とにかく、地獄の日々だった。

 年老いて矜持を傷つけられた祖母は、せっせと僕を殴る。

 父は莫大な借金を返済するためせっせと働く。

 そんな日々は、父が蒸発して首を吊って死に、後を追うように、祖母が血を吐いて死ぬまで続くことになる。

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