異世界に行ったら背理法がなかった

黄黒真直

第1章 異世界に行ったら背理法がなかった

第1話 証明できない出来事

 目の前で起きている出来事を、現実だと証明する方法は存在しない。

 なぜなら、これが「現実ではない」と仮定しても、なんら矛盾は生じないからだ。


 唯一存在を証明できるのは、この俺自身の存在だけだ。いま、目の前の出来事が現実かどうかと疑っているこの心だけは、いま確かに存在すると言える。


「何をさっきから難しいことを考えておるのじゃ」


 俺の目の前で、幼い少女が空中でくるくると回っている。

 少女が。空中で。くるくると。


 ぶら下がる糸も紐も見当たらない。ジェットパックを背負っているわけでもない。なんのタネも仕掛けもなく、着物姿の少女が宙に浮かんでいた。


「そ、そりゃ、難しいことも考えるだろ。いきなりお前みたいなのが目の前に現れたら……。そもそもここはどこなんだ?」


 白い壁に囲まれた、真っ白な部屋だった。窓もドアもない。俺はどこから入ったんだ。どうして俺はこんなところにいるんだ。俺は高校から帰る途中だったはずだ。


「その通り。お前は高校から帰る途中じゃった。じゃがその途中で不慮の事故に遭い、死んだ」

「死んだ……?」

 少女は俺の反応に、くすくすと笑い出した。


「残念じゃったの〜。たった十六年の人生じゃった。数学オリンピックに出ることを夢見て、数学研究部の仲間と切磋琢磨しておったが、その夢もここで終いじゃ」

「まさか」


 あまりにも突然すぎて、俺には少女の言葉が冗談にしか聞こえなかった。

 いや、事実、冗談であるはずだ。もし俺が死んだのなら、いま俺がここに存在するのは矛盾だ。よって、背理法により、俺は死んでいない。


「その論理には穴がある。死んでも、存在は消滅しないのじゃ。お前が今いるのは、死後の世界じゃ」

「そ、そんなわけあるか! じゃあお前はいったい、何者なんだ!」

「決まっておる」

 少女は真顔で言った。

「神じゃ」

「カミ……?」

「気付かんのか? 我はさっきから、お前が口に出していないことにも返事をしておるじゃろ?」


 たしかに……でも俺の思考なんて、俺の反応から推測できても不思議じゃない。


「強情じゃの。ならこれを見るがいい」


 少女が手を振ると、空中に穴が空いて、そこに映像が現れた。

 それは通学路の映像だった。その真ん中で、誰かが血塗れで倒れている。


 俺だった。


 学ラン姿の俺が、血を流しながら地面に横たわっている。その周りには三人の男女。あれは、数学研究部のメンバーだ。


楯太郎じゅんたろう! 楯太郎! しっかりしろ!』

『ねえ、目を開けて! 楯太郎!』

『いま救急車呼んだからな! 来るまで耐えるんだぞ!!』


 鬼気迫る声。その中でぴくりとも動かない俺。あれは、誰がどう見たって、もう死んでいる。

 映像が消えると、部屋はしんと静まり返った。


「なあ、いまのって……」

「現世の映像じゃ。立神たてがみ楯太郎、お前がいた世界の様子じゃ。安藤達はお前がまだ生きていると思っておるが、お前はすでにここにいる。つまり、死んでいる」

「……」


 あんな映像、嘘に決まっている。

 俺はそう言いたかったが、言えなかった。

 俺の肩を揺さぶっていたたかしの必死な背中。悲痛な声を上げる有梨ゆうりの泣き顔。いつでも冷静沈着だった賢一けんいちの青ざめた顔。

 どれもがリアルで、俺にはとてもバーチャルだとは思えなかった。


「俺は、本当に死んだのか?」

「そうじゃ」

「もう、あそこには戻れないのか?」

「戻りたいのか?」

「当然だ! こんな形であいつらと別れるなんて、ありえない!」


 ふっふっふっ……と少女はまた笑い出した。


「よかろう。お前は運が良い。特別に、お前を生き返らせてやる」

「本当か!?」

「ただし、条件がある」


 少女は回るのをやめ、俺に指先を突きつけた。


「お前にはこれから、異世界に行ってもらう」

「は? 異世界? いや、俺は元の世界で生き返りたいんだが」

「最後まで聞け」


 少女は俺の鼻先を指で突いた。俺は黙って続きを待つ。


「お前がこれから行く異世界には、とある事情により、魔王が存在する。お前には、その魔王を退治してもらいたい。それがお前を生き返らせる条件じゃ」


 ま、魔王!?

 それって、ゲームとか漫画とかに出てくるみたいな?


「バカ言うな。そんなもの、倒せるわけないだろ」

「生き返りたくないのか?」


 ぐっ……。足元見やがって。


「大丈夫じゃ。お前ならできる。きっとな」


 少女の、神の体が、光り始めた。

 眩しい。

 目を開けていられない。

 俺は思わず目をつぶり——


 再び開いたとき、目の前は異世界だった。

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