第6話 降伏

 部下たちの報告では昌繫が謎の影を撃退して以来、影の襲撃報告は受けていない

 一軍の将である秋山虎繫はこの機を逃さず城攻めを再開、と同時に降伏勧告を打診していた。


 籠城中の岩村城内では家臣の意見が真っ二つに割れていた。

 元は武田家に臣従していたこともある旧来の遠山家家臣と、お艶の方や御坊丸を旗頭とする織田家家臣たち。このまま籠城か降伏開城か。

 山城ながら複数の井戸を持つ岩村城は水こそ豊富だが日に日に少なくなっていく食料、銃声と怒号に怯える日々、いつ来るかも分からぬ援軍。

 疲弊していく城兵・領民たちに城代であるお艶の方は心を痛め降伏を決断。

 

 1572年(元亀3年)11月  岩村城 開城降伏。


 秋山虎繁は家臣を伴いその城門をくぐった。


「これはこれは秋山殿、この度はご慈悲を賜りありがとうございます」


 虎繁と一緒に入城した昌繁は、虎繁にすり寄る初老の男に不快感を覚えた。

 降伏したとはいえ、先日まで争っていた敵の将に媚を売る人物。好感など持てるはずもない。

 それは虎繁も同様だった。


「うむ。早速だが城代殿のところに案内せい」


「それには及ばぬ」


 その言葉の先、人垣を割って現れた人物に視線が集中する。

 美麗な細工の施された具足を身にもとった武者。

 流れるような美しい黒髪、仏頂面だがスラッと伸びた背筋に堂々とした佇まいの人物に、虎繁は目を奪われた。

 ―――そう、その武者は見た目麗しい女性だった。


「私が亡き夫に代わり城代を務めておる艶じゃ。私の首と引き換えに家臣と領民たちの助命、聞き入れていただきありがとうございます」


 恭しく頭を垂れて名乗った人物の名は遠山艶。織田信長の叔母であり岩村遠山家に嫁いだ女性、しかし当主の遠山景任との間に子ができぬ間に景任が病死したため、養子とした信長の五男に成り代わり城代を務めていた人物である。


「ほう、これはこれは噂通りの麗しき城主よのう。我が武田軍東美濃方面軍秋山虎繁である」


「家臣の中には知った者もいようが我らは軍門に降った身、抵抗は致しませぬ」


「よい心掛けである」


「それにしても美しいな……」


「っ!?」


「いや、何でもない」


 城門をくぐったとはいえ山城の険しい道は続く。道中には城兵と城に逃げ込んだ領民が頭を下げ、一行が通るをの待っていた。

 その多くは痩せこけ籠城の悲惨さを物語っていた。

 恨みのこもった目で見てくる者、籠城から解放され安堵する者、これから起こることに不安がる者、さまざまな想いが虎繁一行に向けられる。


「おいたわしや」

「ああ、お艶様……」


 領民は降伏の条件を知っているのだろう。犠牲となる艶の艶の姿を見て嘆き悲しんでいた。


「随分と領民に慕われているようじゃな」


「守るべき民がいてこそ、それ故これ以上領民を苦しめるわけにはまいらぬ」


「安心せい。悪いようにはせぬ」


「かたじけない……」



 本丸にある館には遠山家の家臣が集められていた。

 その奥の間には幼齢の子供がちょこんと座っている。

 信長の五男、御坊丸である。


「さあ御坊丸、秋山様です。挨拶できますね」


「……はい。御坊丸と申します。つきましては我が首と引き換えに…家臣たちの命を助けていただきたく存じております」


「よい心がけである。だが、小僧の身柄は使い道がある。殺しはしないが人質として甲斐に送る。よいな」


「覚悟はできております」


 幼齢なれど織田家の子息である御坊丸は身の程をわきまえていた。


「して艶の方よ、その方の身柄だが……」


 虎繁の言葉に艶は身をビクッと震わす。

 降伏の条件となる大将の首、それを差し出すときが来たと。

 家臣も一様に俯き目を伏せる。


「首をはねる前に食事と湯浴みを済ましてもらう」


「なに!? 何故そのようなことを……」


「温情じゃ。女子おなごとして痩せこけ薄汚れた首を晒したくはなかろう」


「か、かたじけない……」


 侍女と共に広間から退出する艶の方を見て昌繁は虎繁に小声で質問する。


「父上、本当に首をはねるおつもりですか?」


「まさか、そんな勿体ないことはせん。お前も見ただろうあの美しい姿を。死ぬ覚悟はできておるようだが、飢えた腹を満たせばどうなると思う? そう、いかな女丈夫とて命が惜しくなるというものよ」


「なるほど流石は父上です」


「昌繁、お前はその間にこの城を調べろ。先の謎の影とこの城は関係あるはずじゃ」


「は、かしこまりました」


 虎繁が睨んだ通り、昌繫が聞き込みを開始したところである人物の名が挙がった。

 その人物とは憑きものに魅入られた少女、紫雲英ゲンゲと呼ばれて蔑まされているという。


 昌繁が遠山家家臣に案内させた家屋は神社の一角にあった。

 案内された部屋は予想通り座敷牢になっており、そこに少女がひとり静かに座っていた。

 着ている着物は上物のようだが、髪はぼさぼさで薄汚れている。

 年齢は昌繁より一つ、二つ年下だろうか。瘦せ衰えているため正確には分からない。

 少女に昌繁は目を引かれた。


「おっと昌繫殿それ以上近付くと危険です」


 牢に無意識に近付く昌繫を止めたのは家臣の一人だった。


「何故だ?」


「何故って、この娘は恐ろしい憑き物に守られていて何人たりともこの娘に触れることはできません。無理に触れようとすると化物に食われてしまいます」


 昌繫にそう説明したのはこの神社の神主の男だった。


「化物というと銀色の巨大な狼のことか? ここにはいないようだが」


「なんと! 昌繫どのにはあの恐ろしい影が見えているのですか?」


「ああ、人語を話す美しい毛並みの立派な狼だったよ」


「誰? 今の話本当なの?」


 透き通った美しい声が座敷牢に響く。

 その美しい声に昌繫はますます少女から目を離せなくなった。


「ああ本当だとも。麓で狼に襲われ、その狼に名を問われた」


「……そう、あなたが私を助けてくれる人?」


「助ける? 牢から出せってことか。抵抗しないなら出してやらんこともないが」


「違う。そうじゃない。私のこの呪われた体をどうにかしてほしい」


「呪い? 誰も触れることができないってやつか?」


「そう。この身は……に守られている。でもあなたが私の運命の人なら触れられるはず」


「運命の人……」


 少女のその言葉に昌繫の心がチクリと痛む。

 何故だろうこの少女を見ていると無性に愛おしく感じる。その想いが昌繫の手を自然と伸ばす。


「昌繫殿危険です!」


 外野がうるさいが昌繫は気にしない。

 

 牢越しに伸ばされた手に、少女は躊躇しながらも自らの手をそっと差し出す。

 ふたりの手が触れあった瞬間――昌繫の身体を何かが駆け巡る。それはほんの一瞬だったが、少女はどさりとその場で崩れ落ちた。


「お、おいっ! 大丈夫か!? 待ってろ。おい、早く牢を開けろ」


「はい。今すぐに」


 牢の鍵が開けられ、昌繫は少女をすぐに抱きかかえる。

 その少女の体は予想以上に軽かった。


「おいしっかりしろ」


「昌繫殿……ほんとに大丈夫なので? お体にどこか不調とかは……」


 少女の身に触れても五体満足な昌繫に神主の男は驚く。


「俺のことはいい。それよりもここを出る。どこか暖の取れる部屋に案内せよ」


「は、はい。こちらに」


 神主に案内された部屋に少女を寝かせる。

 これといって特徴のない部屋だが座敷牢よりかなりマシな部屋である。

 家臣たちは少女を恐れ部屋に入ってこようともしない。


「もう出てきてもいいぞ。隠れていても気配がする」


 昌繫と寝ている少女以外誰も居ないはずの部屋で昌繫は誰ともなく話しかける。


「秋山昌繫といったか。お嬢の件感謝する」


 昌繫の声に反応したのは少女ではなかった。そこに姿を現したのは麓で昌繫を襲った巨大な狼。しかし、あの時と違い敵意は感じられない。むしろ見守るように二人を見つめていさえいる。


「心配しなくてもお嬢はじきに目を覚ます」


「なあ、教えてくれ。この娘とお前は何者なんだ? 何故俺だけがお前の姿を見れて声を聞ける?」


 昌繫は疑問に思っていたことを狼に質問する。


「それはだな。話は長くなるが……」


 狼が話をしようとしたその時、少女が目を覚ます。


「……ここは?」


「神社の一室だ。倒れたお前を俺がここに運んだ。ああ、俺は武田家に仕える秋山昌繫だ。君の名は?」


「……蓮華」


「蓮華かいい名前だ。ああ起きなくていい、そのまま寝ていろ。後で食事も持ってくる。その様子じゃあ食事もろくに取っていないのだろう」


「……ありがとう」


 目を覚ました少女は顔を真っ赤にしつつも自ら蓮華と名乗った。

 その微笑みが昌繫を貫く。

 美しい少女だ。城代のお艶の方を見たときも美しいと思ったが、この少女の美しさは別物といえる。

 髪を梳かして身なりを整えれば誰もが見惚れる美人になるのは間違いない。

 だがそれでいいのだろうか?

 昌繫は目の前の少女を、蓮華を独占したい気持ちでいっぱいだった。

 好奇の目に晒すより、このままここに閉じ込めておいた方がこの少女のためではないかと。

 誰にも渡したくない。この少女は自分のものだ。少女を手に入れるためなら何だってしよう。

 そう昌繫は心に秘めるのだった。


 それから昌繫と蓮華はそれぞれの生い立ちを話し合った。



  ◆


 その頃、本丸の館は重苦しい空気に包まれていた。


 身を清めたお艶の方が最後の時を迎えようとしていたためである。


 灯りが灯された奥の間、白装束を身に纏ったお艶の前には一振りの短刀が置かれている。

 首を差し出すのが降伏の条件。さすれば家臣・領民の命が救われる。

 これは城主としての義務。

 それを分かっていながらお艶はその一歩を踏み出せないでいた。


 刻一刻と時が流れていく中、お艶は覚悟を決め短刀を手に取る。

 その刃を自らの喉元に向ける。

 しかし、手がガクガクと震えそこから先へと進めないでいた。

 その場にいる誰もが無言でうな垂れている。

 自害しようとするお艶の方をじっと見つめるのは虎繫ただ一人だった。


「お艶よ。女子の身ながら気丈たるその行い見事である」


 静まり返った部屋に虎繁の声が響く。

 そして抜き身の短刀をその手で掴み奪い取る。


「な、何をする」


「お主ほどの女丈夫、ここで殺すのは惜しい。死ぬつもりならその身柄、我がもらい受ける」


「何を勝手なことを……」


「敗軍の将であり戦利品でもある。その方も武家の娘なら覚悟はできておろう」


「つ!! ……心得ております。ですが条件があります。家臣と領民の命を助けると約束していただけるならこの身を捧げましょう」


「うむ約束しよう」


 虎繁はお艶の唇を無理やり奪う。

 その行為は遠山家の家臣に見せつけるためでもあり、城の支配者は誰なのかということを知らしめる行為であった。

 その知らせはすぐさま城中・麓の村にも知れ渡り、領民の多くは安堵することになった。


 そうしてこの日から、岩村城は武田の旗印がなびくことになった。

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