第二章 戦国編
第4話 武田軍侵攻
1571年(元亀2年)9月 織田信長の軍が比叡山延暦寺を焼き討ち。
交戦中である浅井朝倉軍への備えを強化していった。
1572年(元亀3年)10月 甲斐の武田信玄は織田の同盟国である三河徳川領へ侵攻(西上作戦)を開始。
同時に同盟国である織田領東美濃へも侵攻。同盟は手切れとなった。
【西上作戦】
三河に侵攻した山県昌景は奥三河の国人衆(領主)を吸収し浜松方面へ進軍。
東美濃の岩村城を秋山虎繁が包囲。
遠江に侵攻した馬場信春は只深城を攻略、武田信玄本体は次々と徳川家支城を陥落、只深城を攻略して二俣城を包囲中の馬場信春の部隊と合流した。
電光石火の進撃速度を誇る武田軍は旗指物(軍旗)に記されたとされている孫子の兵法『風林火山』そのもの。
疾如風徐如林侵掠如火不動如山
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。
風林火山を体現する武田軍に徳川軍は為す術がなかった。
武田信玄出陣の報は、すぐさま近江・横山城、浅井朝倉軍と睨み合っていた織田信長のもとに届けられた。
しかし、その頃の織田の情勢は京・将軍足利義昭との摩擦、長嶋と南近江の本願寺信徒による蜂起、浅井朝倉軍と包囲網が形成されており動くことができなかった。
◆
下伊奈郡より東美濃に侵攻した秋山虎繁は岩村城を包囲していた。
岩村城主である遠山景任は以前武田と繋がりがあった。織田信長は叔母である『おつやの方』を遠山景任の妻として嫁がせ、織田家との繋がりを強めた。
景任は後継ぎが無いまま病没すると、信長は五男の御坊丸を遠山氏の養子に据えた。御坊丸は幼児であったため、実質的な城主は信長の叔母で景任未亡人のおつやの方が務めることになった。
その岩村城を武田軍が包囲。
おつやの方は籠城を決意。援軍を要請するも織田軍の多くは近江の地にあった。
岩村城は山城であり、守るに易く攻めるに難い城。籠城は必然であった。
武田軍の将、秋山虎繁は岩村城の麓に布陣していた。
「御屋形様(武田信玄)も無理難題を押し付けるもんだ」
「どうやってこの難攻不落の山城を落とすかですね」
秋山虎繁と話す青年は秋山昌繫。この戦が始まる前、虎繁が養子として迎え入れた若武者であった。虎繁には昌繫の他にも複数人養子を取っており、昌繫もその一人であった。
「う、うむ。それはもちろんだが御屋形様は信長の叔母と幼子を人質に取れと申されておるのだ」
「人質ですか?」
「ああ、信長の叔母である岩村城の城代、おつやの方は信長の年下の叔母、若くて美しいと聞き及ぶ。信長ともただならぬ仲だとも噂されておる。そんな人物だ。今後の織田との戦を見据えた上で人質とすれば戦いは有利になる」
「なるほど、しかし父上そんな卑劣な手を使わずとも織田軍など捻り潰してやりましょうぞ」
「待て待てそう焦るな。お主が武功を立てたい気持ちはよう理解しておる。だがこの城攻め、そう一筋縄ではいかぬ。我とて無用な人死は出したくない。今は待て」
「わ、分かりました……」
虎繁は血気盛んな若武者をなんとか抑えていた。
この地を取り、人質を手中に収めれば東美濃における戦いを有利に運ぶことができる。織田一門の城が後詰(救援)もなく落とされれば他の支城も攻略・調略がしやすくなり、我が軍に寝返る国人衆も出てくるだろう。
それが分かっていて中々手が出せない理由、それは岩村城が堅固な山城だというのもあったが理由は別にもあった。
――それはこの山に潜む謎の獣。
狼や山犬のような姿をした謎の黒い影が、たびたび虎繁の軍に襲い掛かっていたのであった。
大きな被害は出ていないが兵は怯えていた。
ただの野犬だとする説。
物の怪の類いだとする説。
後者の場合だと誠に信じ難い話であるが、世の中には不可思議な生き物もいるのもまた事実。
虎繁自身はその目で見ていないが兵の士気は下がっていた。
城を包囲して一か月。
辺りが霧に包まれ視界が遮られていた日。
その日、秋山昌繫は日課である鍛錬を行っていた。
元服を済ませ初陣となるこの包囲戦。
昌繫には夢があった。
昌繫の憧れるのは、武田軍の精鋭部隊である赤備え(朱色で統一した赤備の部隊)を率いる山県昌景であった。
武功を立て武田二十四将、武田四名臣に並び立つ将になりたい。若武者はそうなりたいと鍛錬に勤しんでいたその時、悲鳴を耳にした。
悲鳴の聞こえた方角、森林を走り抜けたその先。そこは武田軍の野営地。
そこで昌繫が見たものは雑兵に鋭い牙を突き立てる巨大な狼。
白く銀色に輝く美しい毛並みに鋭い牙と爪。威圧感のある血眼が昌繫を捉える。
「こいつは……」
霧の中に佇む巨大な狼。その存在感と威圧感に昌繫の足が止まる。
「こいつが噂の正体か」
昌繫は持っていた槍を構える。
謎の狼は辺りを一瞥すると、地響きにも似た咆哮を轟かせる。
咆哮に腰を抜かす雑兵。その雑兵たちの間を颯爽と駆け抜け、昌繫目掛けて飛び掛かってくる。
「―――ッ!」
狼の突進を受け、よろめき倒れ込む昌繫。
倒れた先にある松の木が昌繫を受け止める。しかし、巨大な前脚が昌繫の胸を押さえ付け、鋭い牙が昌繫の喉元を狙っていた。
「食われてなるものか!」
鋭い牙と爪から逃れようと体を揺するが、圧倒的な力で押さえつけられた体はびくともしない。
「グルルルルルル」
昌繫の必死の抵抗が功を奏したのか、謎の狼はそれ以上昌繫を襲ってこなかった。
「小僧、名は何という」
突然発せられた声に戸惑う昌繫。
声の主は自分を組み伏せている謎の狼。人語を話す狼など聞いたことがない。
「名を問うておる」
「あ、秋山…昌繫だ……」
「秋山昌繫しかとその名を覚えた」
その声が聞こえた瞬間、圧倒的な力で押さえつけられていた圧力がふっと消え、謎の狼は霧の中へと消えていった。
「助かったのか……?」
解放された昌繫は胸を撫で下ろし、その場でへたり込む。
何故だか分からぬが見逃されたという自覚がある昌繫は困惑していた。
圧倒的な力の前に何もできなかった無力な自分。
人語を話す謎の狼。それは神々しいほど美しい毛並みの立派な銀色の狼。
その狼に名を問われ見逃された自分。
不思議なことにあの狼の姿は雑兵には見えていなく、狼の声も聞いていないという。
黒い影が昌繫を襲い逃げていったとしか周りにいた兵は証言していない。
それが一層昌繫を困惑させていた。
「このことを父上になんて報告すればいいのだろうか……」
昌繫は頭を悩ませる。
我が軍を襲う謎の獣、その正体は人語を話す巨大な狼。おそらく物の怪の類いだと考えられるが信じてもらえるだろうか。
だが、それが真実。笑われるかもしれないが襲われたのは事実なのだから。
そして、もうひとつ昌繫を悩ませる考え。
恐ろしいはずの謎の狼。実際に食われそうになったにも拘わらず、何故か懐かしさを感じていた自分。
狼の問いに正直に答えたのがその証拠。
昌繫を悩ませる謎の狼、その正体を昌繫が知ったのはしばらく後のことだった。
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