名前という確かで不確かなものを明日もただ呼びたい

花恋亡

麻婆豆腐グミ

 都会の一部分だがキラキラはしていない。

高層ビルと呼ばれる物はいくつも駅を過ぎた先に有る。

ここの事は「くたびれた街」とでも形容した方が似つかわしい。

誰もが疲れた顔で道を歩くが、他人の顔を疲れ顔だと判断出来るほど他人に興味は無く。

自分の進む道の地面を、虚ろな目で見つめ歩く大人達で溢れていた。



ここにも虚ろな目の男がいた。



「はー暇だなー」



祖父の所有していた雑居ビルの最上階。

事務所と住宅を兼ねたフロア。

生活する為にリフォームをし、生活空間と仕事の空間はキチンと分けられていた。



応接スペースで男はソファーにのけ反り天井を眺めながら呟く。



咥えたタバコの煙を肺にめいいっぱい蓄え、溜め息と共に吐き出した。



「パキッ」

手を使わず唇をもごもごさせ、タバコのフィルターに入っているフレーバーカプセルを前歯で潰す。

味の変わった煙をもう一度深く吸い込んだが、肺がびっくりしたのか少しむせた。



くたびれたYシャツに、色の褪せた紺のスラックス、顔には無精髭を蓄えて覇気のない声でもう一度呟く。



「はー暇だなー」


「ねーひまだねー」



そう返したのは白髪の子供。

背恰好からしたら小学校低学年程か。

肌は下ろしたてのシーツの様に白く、瞳は限りなくグレーに近い青色。

見つめれば吸い込まれてしまう様な神秘的な引力を秘めていた。



こちらもアイロンの存在を忘れたYシャツに、オーバーサイズのチノパンをサスペンダーで無理やり下半身に留めて、辛うじて履いてるていを保っていた。



「ねっれんたろっこれおいしいよーどーぞ」


「いらんいらん、俺に変な物を食べさせるな」


「むうう、はいっどーぞっ」


「ああ分かったよ。はぁー何なに?」

「麻婆豆腐グミだと?あの一階のコンビニのばあさんまた廃棄のゲテモノもってきやがって。えー豆腐味のグミを麻婆味のグミでコーティング、食感豊かな挽き肉グミ入り…」



飽食の時代、人間の美食への探究心は来る所まで来たな。

と思いながら男は半分齧った。



(あー噛んだ瞬間は麻婆のパンチのあるラー油と山椒の香りが鼻に抜けて、柔らか過ぎず硬すぎない豆腐グミは良く水切りがされた豆腐そのものの様だ)


(咀嚼してそれらが混ざり合う事で、辛味成分と豆腐のマイルドさの境がグラデーション状にあいまいになっていき、最終的に丁度良い辛味の麻婆豆腐で落ち着く)


(さらに挽き肉グミがいい仕事をしている。食感の再現度も然ることながら、別のベクトルの塩味を感じる)


(これは…たぶん醤油の様な発酵調味料、旨味成分が染み出して来る。それに憎いのは油分の再現。豚の脂身のコクを数パーセント加えてある)



「再現度が高すぎて逆に気持ちわりいな」


「れんたろはおいしくなかった?」


「いやハクありがとな。味は美味いよ」


「えへへよかったねー、はいもいっこどーぞ」


「俺は大丈夫だから後はハクが食べな」



蓮太郎と呼ばれる男。

九段下くだんした蓮太郎れんたろうはこのビルの管理人。

祖父の死後、ビルを相続した父から勧められて始めた。

当時の蓮太郎は、新卒で入社した会社を辞めるきっかけをずっと探していた所だったので、棚からぼた餅の気分だった。



今でこそ掃除や設備の点検程度の事しかしないが、当初は各フロアの床下のメーター等をチェックし家賃と共に光熱費の計算、集金をしていだが、今では各テナント毎に直接電力会社や水道局と契約をして貰っている。



家賃、共益費、管理費とそこそこの収益は有るのだが、いずれ来るビルの修繕の事を考えると手を着ける気にはならなかった。



無駄遣いが出来ない。

管理人としての仕事に余裕が出来た。

蓮太郎が新しく仕事を始めようと思うのも無理からぬ事だった。



そこで始めたのが「R's expressman」

簡単に言ってしまえばただの便利屋なのだが、事業者登録をする時の変なテンションで付けてしまった名前を今では後悔している。

業態が分かりにくいからだ。



広告宣伝費も馬鹿にならないので、SNSを活用して集客をしている。

業務内容は、電球の付替から引越の手伝い、子守りから時にはレンタルおじさんの様な事までする。

「可能な範囲なら何でもござれ」

これが意外とウケた。

ネットを介して口コミで評判が広まり、仕事の依頼は増えた。



しかし、このまま順調かと思われた便利屋稼業だったのだが、時代が進み様々なテクノロジーやサービスが浸透し始めると雲行きが怪しくなった。

世の中が便利に成れば成る程に仕事量は減っていった。



今では月に数件の仕事の依頼が有れば良い方。

収入は減る一方だった。



そして僅かな軍資金をパチンコで溶かすのが日課となりつつあった時に、ハクと呼ばれる少年と出会った。

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