だって犬だもん

優灯

第1話 拾われた奇跡

 その日は冷たい雨が降っていた。お腹を空かせた一匹の子犬が身体を濡らし、今にも息絶えようとしていた。子犬の母親も兄妹も皆死んでしまい、子犬は独りぼっちだった。通りすがりの誰かが与えてくれる食べ物だけが命の綱だった。一週間以上も雨が続き、傘を差しながら子犬の為に立ち止まる人など一人も居なかった。子犬は母親の乳を思い出し、兄妹の温もりを求めて立ち上がろうとしたけれど、もう動く力は残っていなかった。


 一人の少年がいた。熱を出して寝込んでいる少年は母親に泣きながら訴えていた。いつもは大人しい性格なのに、高熱にもかかわらず必死に自分を説得しようとしている子供の姿に根負けした母親は、雨の中車を走らせた。息子に言われた場所までくると、小さな段ボールを見つけた。車から降り、段ボールの中を覗き込むと雨に濡れた子犬が弱々しく母親を見上げた。


 少年は、子犬の事を知っていた。母親が運転する車の中から何度か見かけたことがあった。段ボールから顔を覗かす子犬の姿を見る度に心を痛めていたのだ。これまでに何度か子犬を飼いたいと口に出しかけたが、母子家庭で毎日遅くまで働く母親に言い出すことができなかった。こっそり、子犬の元へ食べ物を持っていくことが少年に出来る精一杯だった。だが雨が降り続き、少年は熱を出した。一週間ほど寝込んでしまい子犬の元へ行くことが出来ずにいた。降り続く雨と冬の寒さの中にいる子犬を思うと、とうとうこらえきれず大粒の涙を流した。突然泣き出した少年に母親は驚き、涙の訳を聞いた。母親は少年の願いを聞き入れた。そうして子犬はこの親子の元へ拾われたのだった。小さな命が救われた夜だった。


 ハナと名付けられた子犬は痩せこけ衰弱していたが、暖かい寝床と十分な栄養、そして優しい愛情を与えられすぐに回復していった。少年は学校が終わると一目散に家へ戻り、子犬との時間を楽しんだ。一人っ子だった少年にとって、妹か弟が出来たようなそんな気持ちだった。ご飯を食べる時も寝る時も、どこへ行くにも一緒だった。子犬を拾ってから一年程経つと、子犬は大型犬に成長していった。親子が住んでいたマンションでは大型犬を飼う事は禁止されていた。母親は引っ越しも考えたが、運悪く務めていた会社が突然倒産してしまい引っ越しをする余裕などなくなってしまった。マンションのオーナーからは近隣の苦情を訴えられ、仕方なくハナは知り合いの家で飼われることとなった。


 少年はハナを手放したくなかったが母親を困らせないよう素直に受け入れた。ハナを引き取り先に連れて行く日、車の中で少年はハナを撫でながら必死に涙をこらえていた。母親は、バックミラーに映るそんな息子の姿を見て胸を痛めた。

「涼太、ごめんね」

 母親の言葉を聞いて、少年は顔を歪ませて泣いた。ハナは泣き出した少年の顔を舐め、いつもと違う親子の空気を察したが、まさかその日が親子と過ごす最後の日になるとは想像もしていなかった。


 車が止まると親子はハナを車から降ろし、リードをハナの知らない人へと渡した。ハナは少年の元へ駆け寄ろうとするけれど、引っ張られて少年に近づくことが出来なかった。あっという間に親子は車に乗り込み、ハナは置いて行かれた。渾身の力を込めて二人が乗った車を追いかけようとしたけれど、ハナよりもっと強い力に引っ張られて車はどんどん小さくなるばかりだった。やがて見えなくなった。その日、ハナはずっと鳴き続けた。


「お母さん、僕は大きくなったらすぐに働いてハナを迎えにいく。絶対に迎えにいくから」

「ええ、お母さんも、もっと大きな部屋に引っ越せるように仕事頑張るから、二人でハナを迎えにいこうね」


 その翌日、親子の元にハナの引き取り先から連絡が入った。ハナが居なくなったと知らされた。親子は急いでハナを探しに向かった。誰もがハナは親子の元へ帰ろうとしているのだと想像した。引き取り先から親子が住んでいる街まで車で一時間以上かかる。そのうえ車の通りが激しい道路ばかりだった。ハナの無事を祈りながら、親子は必死にハナを探した。


 ハナは親子が大好きだった。親子から離れるなんて考えられなかった。得体のしれない場所に連れて来られたけど、二人の元へ帰ろうと扉が開いた隙間から外へ飛び出したのだ。二人の匂いを探って歩きまわっているが、どこにも二人を感じることが出来なかった。見たことのない景色の中を無我夢中で嗅ぎまわった。いつの間にか、ハナは山の中に迷い込んでしまっていた。そして辺りは真っ白な雪に覆われていた。冷たい雪の上を親子との楽しかった日々を思い出しながら、ハナはずっと二人を探し続けた。


 ハナが居なくなってから一か月が過ぎようとしていた。親子は時間を作ってはハナを探しているが一向に見つけられなかった。そんな中、引き取り先家族から連絡が入った。ハナらしき犬を見たという人がいるということだった。親子はすぐにその人の元へ向かった。その犬は、ハナと同じ赤い首輪をしていて山の方へ向かって行ったという。指さされた山を見ると真っ白だった。親子は近隣住民の協力も得て、ハナを探しに山に入った。登りだしてすぐだった。真っ白な視界の中に小さなキャメル色が見えた。親子はすぐに駆け寄って行った。ハナだった。だけど、その姿は動くことなく固まっていた。冷たく固くなって、1mmも動くことはなかった。


 ハナは力尽きる最後まで親子を探し回ったが、やがて倒れ込んだのだった。温かく愛された日々を思い出しながら無我夢中で親子の匂いを探していたハナは、寒さなど感じていなかった。迷い込んだことに気づくこともなく、二人に会えることを信じながら天国へと旅立ったのだった。


 少年は、冷たくなったハナに顔をうずめ泣き崩れた。

「ハナ、ごめん、ごめん」


雑種犬ハナ(♀)、享年1歳2ヶ月。

神木涼太、7歳、冬の出来事だった。

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だって犬だもん 優灯 @yuuu_hi

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