第7話 真朱を侵す怪奇(1)
文化祭の準備に追われる生徒たちのテンションは上がっていく。
文化祭自体は土日の二日間だが、準備のための夜間居残りや宿泊が、その週の月曜日から特別に許可されている。
「文化祭は本番より前の夜のほうが楽しいから」という生徒会会長、青淵みづちの計らいだ。
購買は職員玄関からほど近くにある。
紺鉄と斗鈴がついたときには、夕食を求める生徒たちでおおいに賑わっていた。
棚には揚げ物中心のひたすらカロリーを追求した弁当や、反対にヘルシーさを売りにしたサラダ弁当数種、さらには菓子パンとスナック菓子と黒い炭酸飲料のセットまである。
なかなか気の利いた品揃えだ。
紺鉄が大盛り唐揚げカレー弁当2つ分の代金を払っていると、後ろからついついと袖がひかれた。
斗鈴が紺鉄の袖をつまみながら廊下の向こうをみている。
「ん?トンカツのほうがいいか?」
「いい匂いがする」
すっと斗鈴が指さした。
その先には女子トイレが。
女子トイレからいい匂い……。
屋上で真朱の血の海を見つけたときと同様、斗鈴が何かを嗅ぎ取ったらしいが、カレーを手にしているときにはご遠慮願いたいセリフだ。
紺鉄は手にした大盛り唐揚げカレー2つを見て戸惑う。
斗鈴が反応した以上、なにかが起きている。
だが、どうやって女子トイレの中を調べろというのか?
社会的に死ねというのか?
紺鉄は首を振ると、斗鈴の頭に手を乗せた。
「教室に戻って食おうぜ」
屋上とは違って、あの女子トイレにはいまも人が出入りしている。
なにか異変があれば誰かがすぐに気づくはずだ。
いま紺鉄が調べる必要もない。
紺鉄は、大盛り唐揚げカレー2つの入った袋をぶら下げて教室へと向かった。
紺鉄のクラスでも、女子中心をに結構な人数が文化祭の準備で残っている。
途中、斗鈴が指さした女子トイレの前に差し掛かった。
そのとき紺鉄は、女子トイレからよろめきながら出てきた女とぶつかってしまった。
「あっ!わる……い……」
紺鉄は反射的に謝ったが、女の顔を見て驚きで口が開いたままになった。
女は瀬田真朱だった。
授業が終わると早々に帰ったはずだ。
紺鉄も小鹿神狩と一緒に校門を出ていく真朱の後ろ姿を見ている。
それがなぜここに?
様子もおかしい。
足元がおぼつかず、意識もはっきりしないようで、紺鉄にぶつかったこともわかってない。
「大丈夫か?」
紺鉄はとっさに両手で真朱の肩をつかんだ。
持っていた大盛り唐揚げカレーが落下し、斗鈴が慌ててキャッチする。
「う……うう……」
真朱はこめかみあたりを抑えて苦しそうだ。
斗鈴が紺鉄のスネをコツンと蹴った。
「どした?」
「いい匂いがする」
「いまはちょっとまってくれ」
「真朱からいい匂いがする」
「!?」
いわれて紺鉄は真朱の顔を凝視する。
すると真朱の頬の上に妙なものが見えた。
小指の先程のちいさな、ゆらゆらとした、淡く青く光るもの。
それが真朱の頬の上を、左目の眼帯に向かって動いていた。
淡く青く光るものはふと止まると、身をくねらせて紺鉄を振り返った。
ぞわりと、紺鉄の全身に悪寒が走った。
淡く青く光るものは、その体とは不釣り合いに大きな、赤く血走った人間のような一つ目で、ぎょろりと紺鉄を凝視していたからだ。
淡く青く光るものは、紺鉄から目をそらすと、ゆらゆらと真朱の眼帯の下に隠れてしまった。
紺鉄は半ば呆然としていた。
だが紺鉄の手は真朱の眼帯にむかって動いていた。
そしてゆっくりと、慎重に、ためらいなく真朱の眼帯を横にずらした。
眼帯の下には、真っ黒な穴が空いていた。
そこだけが髑髏の眼窩のように空洞になっていた。
瀬田真朱の左目がなかったのだ。
紺鉄が声を失っていると、その真っ黒な穴から、淡く青く光るちいさなものが、ぞわぞわと100以上、血走った人間のような一つ目をむけて紺鉄を覗き込んできた。
紺鉄はすばやく眼帯をもとに戻すと、真朱の頬をはたいた。
「瀬田、おい、瀬田!」
真朱はぼうっと紺鉄を見ていたが、自分の肩に紺鉄の手が乗っているのがわかると、みるみる目を見開かせた。
そして眼帯の下を見られたことを理解すると、顔を青くし、紺鉄を思い切りひっぱたいた。
通りすがりの野次馬が二人を冷やかしていく。
紺鉄は野次馬たちから隠すように、真朱の手を引っ張って歩きだした。
その後ろを斗鈴が大盛り唐揚げカレー弁当を抱えてトトトとついていく。
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