第2話 誰が血で祭りは濡れる(2)

 翌日、学校は大騒ぎだった。



 屋上は封鎖され、紺鉄こんてつ斗鈴とりんは警察にみっちり事情を聞かれた。

 血痕の量から障害事件、もしくは殺人事件が疑われた。

 殺人事件となればもう文化祭どころではない。

 祭りの空気に浮かれていた生徒のなかには、余計な発見をした紺鉄に恨みがましい目を向けるものもいた。



「おれは悪くないだろ?」



 紺鉄が机に突っ伏しながら愚痴ると、前の席の賢木香さかきかおりがネコのキーホルダーがたくさんついた鞄を置きながら紺鉄を見下ろす。



「大丈夫なんじゃない?警察は捜査を打ち切ったみたいだし」



「犯人が見つかったのか?」



「いいえ。被害者がいなかったの」



「ん?」



「捜査の結果、血痕はうちのクラスの瀬田真朱せたまそおのだとわかったんだけど……」



「瀬田だって?」



 紺鉄が勢いよく顔を上げると 賢木香さかきかおりは「でもね……」といたずらっぽく笑う。



 そのとき教室の入り口から「おはよー」と元気よく女子が入ってきた。

 途端、教室の雰囲気が明るくなった。

 みなが森に差し込む朝日を見るようにその女子を眩しそうに見る。

 賢木も声のトーンを数段明るくして「おはよー!」と挨拶を返している。



 紺鉄は驚きで声がでなかった。

 眠気も吹き飛んだ。

 なぜならその少女はちょうどいま話題にしていた瀬田真朱せたまそお本人だったからだ。

 真朱は左目に白いガーゼの眼帯をしている以外ピンピンしている。



「生きてるじゃねーか!」



 紺鉄が指差して大声を出すと、香はニヤリと笑う。



「言ったじゃない、被害者が見つからなかったって。

 悪質なイタズラだろうってことで捜査は打ち切りになったの」



「イタズラ?誰が?なんのために?」



「知らないわよ。ああ、やっぱり真朱はいいわねー」



 賢木は紺鉄をそっけなくあしらい、席にカバンを置いている瀬田の横顔にうっとり見入っている。



「そんなにいいかねぇ、あんな怖いのが」



 紺鉄がぼやくと、賢木は目を刃物のように光らせて紺鉄に詰め寄った。



「あんたは馬鹿なの?あんなに美人で、可愛くて、成績が良くて、体が弱くて儚げで、ちょっぴり体育が苦手で、みんなに優しくて、演劇部の絶対のヒロインでファンクラブまである真朱の魅力がわからないの?殺されたいの?」



 目にあやしい光を灯してまくしたてる賢木に紺鉄は思わず「悪い」と謝ってしまう。

 賢木香は瀬田の友人であり、かつ、熱心なファンの一人だった。



 紺鉄が賢木の圧から目をそらすと真朱まそおと目が合った。

 すると真朱まそおは紺鉄をきつく睨み返してきた。

 いつものことだ。



 たしかに瀬田真朱は美人で成績が良くてファンクラブもある人気者でみんなに優しいが、そのみんなのなかに京終紺鉄は含まれていない。

 真朱は紺鉄を激しく嫌っている。

 紺鉄もその理由をわかっている。



 後ろから紺鉄の肩が叩かれた。

 振り返ると眼鏡をかけ胸の大きな女子が、ニコリと笑って雑に折られたノートの切れ端を渡してきた。

 恐る恐る手にして読むと、そこには真朱の字で「私の友達に手を出すな」と殴り書かれていた。



 紺鉄は大きく肩を落とす。

 そして離れたところの真朱にむかって「そんくらい自分の口で言え!」と怒鳴るが、真朱はそれを無視して自分の席に腰を下ろした。



 また紺鉄の肩が叩かれた。

 みるとまだそこにいた眼鏡で胸の大きな女子がニコリ笑ってとノートの切れ端を差し出してくる。

 2つ目の切れ端には「うるさいだまれ」と。

 紺鉄は言い返す気力も失い、がっくりと机に突っ伏した。



「今日も嫌われているわね」



「まあな」



 なぜか嬉しそうな賢木に、紺鉄は牛が呻くように言う。

 賢木は紺鉄の背中を軽く叩いて、真朱に駆け寄っていった。

 紺鉄は突っ伏したまま横目で、真朱と賢木がキャッキャウフフしてるのを見ていた。

 真朱は本当に元気そうで、とても昨日、屋上で大量の血をぶちまけたようには見えない。

 賢木香の言う通り、あれは誰かのいたずらだったのだろう。



 紺鉄は考えるのをやめ、目を閉じた。

 教室のざわめきが遠くなり、意識が眠りと覚醒の間を漂い始める。

 すると耳の奥に女の声が聞こえてた。



―真朱のことをお願いね―



 女の声の背後で、パチパチと小さな油が弾ける音が。

 そして紺鉄の瞼の裏に、青い炎に焼かれる女の姿が浮かび上がった。

 女は焼かれながら穏やかな声で紺鉄に囁く。



―真朱のことをお願いね―



「わかってるよ」



 この女、中務白月なかつかさしらつきは1年前、学校の屋上で、紺鉄に瀬田真朱のことを託して、青い炎に焼かれて死んだ。

 紺鉄はそれをただ見ていた。



 以来、紺鉄はこの女の声に耳をふさげない。

 振り払えない。

 逆らえない。

 白月しらつきが囁くならば、紺鉄はたしかめなければならない。

 真朱の身に本当に何も起きていないのかどうかを。



「呪いだな」



 紺鉄がゆっくり瞼を開けると、ついついと隣の席の烏玉斗鈴が紺鉄の袖を引っ張った。



「たべていい?」



「だめ」



 斗鈴は頬を膨らませたが、おとなしく紺鉄の隣にある自分の席に座り、机の上に教科書とノートを出す。

 紺鉄は片肘を付きながら、このあとの算段を立て始めた。

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