第44話 リリスの災難

 リリスは被告人の元へ面会に訪れていた。

 まりあを雇ってからそんなに月日は経っていないはずだけれど、一人で来るのは久しぶりのような気がする。


 今回の被告人は、すでに容疑を認めてしまっている。

 だが。しかし。

 どうにもそうとは思えない。

 不審なのはむしろ被告人よりも、被告人を魔女だと糾弾している被害者の夫だ。


 ベルが鳴ったのを聞きつけて墓を掘り返したところ、棺は空っぽだった、というが。

 そもそもなぜ、夜中に墓地にいたのか? 紐を引く者はいなかったはずだが、ベルの音は本当に鳴ったのか?

 リリスは、発見者の男デイブの虚言を疑っていた。


 そうでなくとも基本方針として、本人が自供していても決定的な証拠が出るまでは潔白を信じて弁護することにしている。

 魔女裁判において、諦めてしまった被告人の、虚偽の自供はままあることだ。

 もう言い逃れできない、というような証拠は、今の所出ていない。


 連れてこられた被告人は、ひどくやつれて顔色の悪い女の子。まだ子供と言っても差し支えないような年齢だ。

 華奢で幼い。だいたい十四、十五歳くらいだろうか。彫りの深い目には不安が色濃く浮かび、薄い茶髪は干した藁のように乱れている。

 彼女とは顔見知りだ。名前はシズ。

 裁判で死人が出た場合、墓守に頼んで遺骨を納めてもらう。

 先日も、魔女ジェーンとその協力者ジャンの遺骨を納めるために、彼女の元を訪れたばかりだ。

 少し前までは、先代の老爺が仕事の相手だったが、先日逝去したために、若い身の上ながら彼女が仕事を引き継いだらしい。


「こんにちは。まさか君の弁護を務める日が来るとはね」

「あの、その、弁護は必要ありません。私は魔女、ですから」

「単刀直入に聞くけど。それは嘘だろう? なにか事情や隠し事があって、本当のことが言えない。自分の口を塞いでしまいたい。そういうことじゃない?」


 シズは頑なに首を横に振る。

「いいえ、私は魔女です」

「では、契約した悪魔の名を教えてもらえる? 魔女なら、知っているはずだ」

「えっ、あっ、そのっ……」

 まりあほどの聞き上手でなくとも、これくらいはわかる。

 完全に嘘だ。


「すまないけど、僕は君を魔女だとは思わない。冤罪で裁かれようとしている君を、みすみす死なせるような真似はしない。君は処刑をむしろ望んでいるようだけど、関係ない。真実を見つけ出して、僕は君を助けるよ」

 ふいに少女が大声を出した。

「やめてください! 私は魔女なんです! 死罪でかまいません!」


 どうにも、様子がおかしい。

 詰問され続ける重圧に耐えきれずに嘘の自供をする、というのならまだわかる。

 しかし彼女は、どうもそのパターンではないらしい。なぜこうも頑なに自分は魔女だと言い張るのか。

「どうして? 君のような子供が死に急ぐのを、黙って見ていることなんてできないよ」

「余計なことをしないでください……」


 その時突然、リリスの足を鋭い痛みが襲った。


「いっ!?」

 リリスは苦痛に呻いた。

 鋭いなにかが、自分の右足のすねを抉っている。振り払おうとするが、深々と食い込んでいてうまく外れない。


 しかし、なにも見えない。傷も痛みも確かにあるのに。まるで、透明な生き物に噛みつかれているようだ。

 見えないそいつを蹴り飛ばすように足を振る。食い込んでいた見えない凶器が外れたせいで、空いた穴から鮮血が散る。


 今度は、激しい体当たりを受けた。見えないそいつは、リリスの上にのしかかってくる。

「ぐっ……!?」

 今度は喉笛を狙われた。すんでのところで致命傷は避けたが、掠めた牙が首に傷をつける。


 なんだこれは。

 自分はなにに襲われているのだ?

 まさか、本当に彼女は魔女で、この見えないなにかは使い魔か?


 あふれ出す血を見たシズは悲鳴をあげた。

「きゃーっ!? 誰か! 誰か来て!」

 一瞬芽生えた疑念をすぐに振り払う。


 彼女じゃない。もしこれが彼女が使役している魔物で、自分に攻撃をくわえているのが彼女の意志なら、人を呼んだりするはずはない。


 何事だ! と押しかけてくる看守たちも、血まみれのリリスを見て顔色を変えた。

 構えた槍をシズに突き付ける看守たちに、リリスは叫ぶ。

「彼女じゃない……! なにかいる……!」

 立ち上がろうとすると、血で足が滑る。右足の傷はどうやら筋にまで達しているようで、うまく立つことができない。

 動くと、血が流れだす。目の前がかすんでくる。太い血管がやられているようだ。


 あっ、と看守の一人が声を上げた。

「犬がいるぞ! そこ! 黒い犬が!」

 その看守の指さした先には、なにもいなかった。

 トミーという名のその看守は、槍をなにもない空間に突き付ける。

 しばらく虚空をにらみつけた後、呆然とした顔で言った。

「……犬が消えちまった」

 消えたもなにも、なにもいなかったじゃないか。

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