魔女の弁護はお任せください

タイダ メル

プロローグ

第1話 女子高生教祖まりあ

 女子高生教祖天草まりあは、神の子として生まれてしまった。

 まりあが生まれた日、病院の看護師たちが少しざわついた。

 生まれてきた赤子の髪は、夕日のような赤毛だったからだ。

 

 絶対外人と浮気したのよ。


 後ろ指を指され続け、母親は心を病んだ。

 DNA鑑定の結果、まりあは間違いなく両親の子供だと証明された。母は、まりあの赤毛はきっと隔世遺伝なんだと主張したが、親戚や世間からの風当たりは強く、一家は孤立することとなる。


 父親は妻を信じた。


 胎内で起こる不思議や遺伝子の神秘、その他生命の誕生にまつわる不思議な話を片っ端から調べて、この不思議な赤ん坊に納得のいく説明をつけようとしていた。

 そこへ声をかけてきた者があった。


「一緒に教団を立ち上げませんか。あなたたちのお子さんは、神がこの世に遣わした特別な子で、お二人はその親に選ばれたのです。似ていないのも無理はない。この子はイエス・キリストと同じ存在なのです。その証拠が、赤い髪だ。この子はきっと、聖杯に注がれたキリストの血から生まれたに違いない」


 これが、二つ目の歯車の故障。

 何度も聞いた話だけど、何度聞いても乾いた笑いが漏れる。

 無理があるでしょ、その理屈。

 でも、両親にとっては違った。

 二人は、縋るものを欲しがった。


「この赤子は特別な子」

「それを産んだあなたたちは特別な人間」


 耳障りのいい言葉に両親はあっさり取り込まれ、沼に沈むようにカルトの教義に溺れ、我が子を教祖に祀り上げた。

 まりあが物心ついたころには、すでに取り返しはつかなくなっていた。

 神の子として崇められ、奉られ、担ぎ上げられている日常が異常なものだと、まりあはとっくに気づいていた。

 これが三つ目の故障。

 いつも思う。自分もカルトにどっぷりの人間でいられたら、幾分か精神は楽だったのに。

 信者たちは神の子を前に祈る。


「お救いください」


 と。

 こんな怪しいカルトに流れ着いてしまう人々には、それ相応の事情があって、聞かされるたびに気持ちが鬱屈とした。


 つらい。

 苦しい。

 たすけて。


 無数の声がまりあを取り囲む。

 無理に決まっている。まりあは普通の人間だった。

 どれだけ救いを求める声を浴びせられても、ただ聞き流すしかなかった。


 この人生が、死ぬまで続く?

 無理に決まっている。


「いい加減にして!」


 ある日、まりあは叫んだ。


「私は普通の人間! 見てわかんないの!? 神の子なんか嘘っぱち!」


 欲しいのは、人としての日常。

 神の子として生を受けたまりあに、それは許されなかった。






 意識がぼんやりする。

 手足が痛い。

 遠くで母さんのヒステリックな声が聞こえる。


「だから学校に行かせるのなんて反対だったのよ! 俗世にはびこるサタンの考えに侵されてしまった!」


 ここは、教団の集会場。

 打ちっぱなしのコンクリートの床に、信者たちが車座に座っている。

 両親は、まりあに考えを改めるように迫った。

 取り消せ。自分は神の子だと言え。

 それを拒否したまりあは、十字架に磔にされてしまった。

 手足が痛い。

 手首と足首に太い釘が打ち込まれ、貫通している。少しでももがくと激痛が走る。どう考えても骨が砕けてるし、太い血管に傷も入ってる。

 ぼたぼたと、血が滴り落ちている。


「これより魔女の処刑を開始する」


 父さんが言った。


「この者は、神の子として生まれながら、その務めから逃げ出した。これは神に対する背信である。魂の堕落である。堕ちて魔女となったこの者は、償いをしなければいけない」


 信者たちが歓声とも嘆きの声ともつかない呻きを上げる。

「どうして」

「まりあ様」

「信じていたのに」

 そのざわめきを制止して、父さんは演説を続けた。


「だが、その魂が真に悔い改めたのならば、私の娘は蘇るだろう。かのイエス・キリストがそうであったように! 十字架にかけられた救世主は罪を清算し、奇跡の復活を遂げる! これはゴルゴダの丘の再演である!」


 まりあは終わりを悟った。

 自分は今から、頭のおかしいカルト邪教の儀式で殺される。

 足元に薪が積まれる。


「魔女に報いを!」


 信者たちの大合唱に応えて、母さんが進み出てくる。

 その手には、大きな炎をまとったたいまつを持っている。


「たすけて」


 思わず漏らしたまりあの声に、母さんはまなじりを上げる。


「どうして? あんたのせいでこんなことになったのに」


 一切の躊躇なく、母さんは松明の火を薪に移した。

 業火がまりあの肌を舐める。

 革靴のローファーが焦げて嫌な臭いがした。

 ひざ丈ソックスに燃え移れば、炎はあっという間に体を登ってくる。

 セーラー服が燃える。プリーツスカートも、リボンも、すべて燃えて灰になる。

 足元を見ると、深々と刺さった釘は溶岩のように赤く輝いていた。

 これはいったい、なにに対する償いなのだろう?


 特別なことを望んだわけじゃない。


 ただ、普通に生きてみたかっただけなのに。

 神なんてものが本当にいるのなら、それは途方もなく性格が悪いに違いない。






 ハッと気が付くと、どこも苦しくなかった。

 柔らかい風と優しい日差しが体を包む。気持ちいい。

 まりあは、小高い丘の草原で大の字になって寝転がっていた。

 チクチクと皮膚をくすぐる猫じゃらしの葉のやわらかな感触に、心の底からほっとする。

 さっきまでいたはずの邪教の儀式場は、影も形もない。

 どこもやけどしていない。傷もない。


 ここはどこだろう?


 体を起こして周囲を見渡すと、どこまでも広く、青々とした草原が広がっている。風にさらさらと波打つ草の絨毯は、まるで大海原のようだ。

 きれいな場所。

 すさんだ心が洗われるような、開放感のある場所。


 まりあは、大樹の木陰にいた。


 丘のてっぺんには、ご神木のように大きな木がそびえている。

 太く、大きく、力強いその老木は、立っているだけで神秘を体現している。ここまで育つために必要だった途方もない時間を感じながら、まりあは巨木を見上げた。

 節くれだった幹はふかふかした苔に覆われ、太くたくましい枝はまとわりつく蔦を物ともしないどころか、衣のように着こなしている。

 一歩、木に近づく。乾いた落ち葉がサクッと音を立てた。

 木の傍らに、木いちごの実をつぶつぶとつけた茂みが群生している。覗き込んでみると、その奥にはこんこんと清水の湧きだす泉があった。

 泉は水晶のように透き通っていて、一点の曇りもない。水底に沈んだ落ち葉が、はっきりくっきり見て取れる。

 空は高く、日差しは穏やか、土は豊かで、風は暖かく柔らかい。家を建てるならこんな場所がいいと、誰もが憧れるような土地だ。


 自分は、磔にされ火で炙られて死んだはず。

 もしかして、あの世?

 天国ってやつ? それなら、こんなにきれいなのもうなずける。


「やあ、見ていたよ。大変な人生だったようだね」


 頭上から声が降ってきた。

 見上げると、枝に蛇が絡んでいる。

 一点の曇りもない真っ白な体と、ルビーのように赤い瞳。大理石の彫像に命が宿ったような、生命の気配を感じない蛇だ。

 まりあの手のひらに載ってしまうくらいに小さく、柔らかな日差しを浴びた鱗が鈍く輝いている。


「お疲れ様。少し休んでいくといい」


 声はやはり、あの蛇が発しているらしい。

 尻尾を枝に巻き付けると、蛇は体全体をブランコのようにしてまりあの前にぶら下がった。


「ここはどこ?」

「ここがどこかなんてどうでもいい。大事なのはここからどこへ向かうかだ」

「あんたは誰?」

「僕が誰かなんてどうでもいい。大事なのは君が何者になりたいかだ」

「何者にもなれないよ。もう死んだんだから」


 生きていた頃は何者になりたかったんだろう。

 逃げたい、こんなの無理だとばかり考えていて、将来の夢とか、一つもなかった。幼い日になにかを夢見た思い出すらない。

 蛇が憐みの目でこちらを見ている。爬虫類の目は無機質で、感情は読み取りづらいけど、なんとなくそんな気がする。

 これはきっと、今際の際に見る夢だ。

 こういう時の走馬灯って、生きてた時の思い出がベタなんだろうけど、自分にはもう一度見たいような思い出はない。まりあは自嘲した。

 蛇は笑って言った。


「問題ないよ。君は復活する」


「やめて」

 父さんの演説を思い出して鳥肌が立った。

「どうして? 生き返れたら嬉しくない?」

「絶対ヤダ」

「ふむ、死は救済と考えるタイプなのかな?」

「そういうんじゃない。あのカルト集団に戻りたくないの」

 ただでさえおかしい両親が、死んだ人間の復活なんて奇跡を目の当たりにしたらどうなるか。

 やはり自分たちは正しかったと、宗教観を強めるだけだ。

 いかれポンチカルトの理屈で生きるのはもうこりごり。

「大丈夫、安心して。元の場所には帰らない。君が行くのは遠くの土地。追放者たちの国だ」

「追放者?」

「それより大事な話をしよう。天草まりあ」

 蛇はちろちろと舌を出した。

「僕は今、とても困っているんだ。助けてくれないかな」

「どうしたの?」

「魔女裁判を止めて欲しい」

「魔女裁判? なにそれ」

「行けばわかるよ」

 蛇は、感情のこもっているのかいないのかよくわからない、爬虫類特融の温度のない目つきでこちらをじっと見ている。

「こういう時には、こうやって言うべきなのだろう」

 その視線から、目を反らせない。

 蛇は、静かに、切実に、まりあに懇願した。


「お救いください」


 何度も投げかけられたその言葉に、ひゅっ、と息が止まるような心地がした。


 お救いください。


 幾度も投げかけられた救いを求める声に、応えられたことは一度もなかった。

 あんなに乞い願われたのに、誰一人救わなかった。

 そして最後には、まりあ自身の「たすけて」も聞き入れられず、全ては燃え尽きた。

 助けてもらえないことは、とてもつらい。

 今となっては、思う。


 あれは当然の帰結。


 自分が人にしていたことが、まわりまわって自分に返ってきた。因果応報ってやつ。

 あんなにたくさん救いを求める人がいたのに、自分は誰も助けなかった。


 誰か一人でも救えていたら? 


 ちょっとはマシな人生だった気もする。

「もちろんタダでとは言わない。僕の方からも見返りは用意しよう。望むものを言ってくれれば、力の及ぶ限り叶えてあげる。なにがいい? 永遠の命? 無限の富? 好きなの選んでいいよ」

 急に話のスケールが大きい。ちょっと引いた。

「そんなもんを「飴ちゃんいる?」みたいなノリで勧めてこないで」

「つれないな。この手のものが欲しくて人生を捧げる人間だっているのに」

 蛇は体を引っ込めて、梢の中に潜り込んだ。

 がさがさと動く茂みの中から、蛇の声が聞こえる。

「これは取り引きだよ、天草まりあ」

 頭上でぽきりと枝の折れる音がした。


 目の前にすとんと、真っ赤に熟れたリンゴが落ちてくる。


「僕は君を助けるから、君は僕を助けておくれ」

 手に取ると、それだけでおいしいリンゴだということがわかる。皮はつややかで張りがあり、中にはたっぷりの蜜が詰まっていると匂いだけでも感じ取れる。

 ぽとり、と、蛇はまりあの肩に落ちてきた。

 二の腕に尻尾を絡めて体を安定させると、まりあの耳元で囁く。


「取り引きに応じてくれるのならば、そのリンゴを食べるんだ」


 迷いなくそのリンゴを口へ運んだ。

 言われたとおりにしているというのに、蛇は口を挟んでくる。

「おっといいのかい? 蛇のりんごを食べる意味、知らないわけじゃないだろう?」

「アダムとイブの話?」

「そう。りんごの実を食べたアダムとイブは神の怒りを買い、楽園を追放された」

 それくらいは知っている。

 知恵の果実。堕落の始まり。蛇はりんごを食べるように唆し、人類は楽園を追放された。


 まりあはりんごを齧る。


 果汁が溢れて口を濡らした。

 蛇は、少しだけたじろいでいるようだった。

「躊躇がないね。神の怒りが怖くはないの?」


「神様よりも、あなたが大事」


 救いのない人生だった。

 今度こそ誰か助けられるのであれば、復活する甲斐もある。

 芯だけ残して、まりあはりんごを全て食べきった。

「いい食べっぷりだね。では、君の望みを聞こう」

 口元についた果汁をぬぐうと、まりあは答えた。


「誰かを助けてみたいの」


 それは、とても大きなやり残しのように思えて仕方がない。

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