ゆるりるり

sapiruka314

第1話

 お肌の曲がり角と言われる30代もとっくに過ぎ、体力の衰えもひしひしと痛感する40代後半。


 ウクー達が住まうウキウク国に来た頃は戸惑いばかりの毎日だったが、20年以上も経てば第2の故郷のような愛着がわいてくるものだ。


 今日も仕事を淡々と済ませ、一人娘のコンソメと一緒に帰って夕食を食べる――

 そんな細やかな幸せの一日を予定しながら作業に集中していた。


(少し休憩しようかな……)

 時刻は午後4時をまわった頃。

 パソコンの画面に映った文字の羅列ばかり見ていたら、目の疲れもピークに達してきた。

 わたしは静かに席を立ち、化粧ポーチを持って事務室を出るとトイレに向かった。

 

 木のぬくもり溢れる施設内は、ほどよい静けさに包まれていた。

 7月中旬、ニホン国ではそろそろ梅雨明けの時季。

 この国では極端な寒暖差がなく、猛暑や厳寒とは無縁の国だった。


 ここはウキウク国白郡ハニ町にある、ウクー療養センター、通称「白セン」。

 白センは主に心に問題を抱えるウクー達が利用する療養センターで、療養が必要と判断された各地のウクー達が集まって来る。

 

 ニホン国でいうところの精神科に近く、異なるのは施設の一部は住民達の憩いの場としても開放されていることだった。


 “ウクー”というのは、見た目も振る舞いも、ほぼ人間そのものなのだが、寿命は平均600歳と超長寿で、透視に似た能力を持つ者がいたり、飲食は3日に1回でOK、ウクーどうしで子供は作れないなど、人間では考えられない性質の生き物である。

 

 彼らが住んでいるのがウキウク国で、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫・白・黒の9つの郡から成り、ここ白郡では療養施設を中心とした町づくりが進められている。

 

 なぜ、人間のわたしがこの国に住んでいるのかというと、23年前、ニホン国にやって来た男性ウクーと偶然出会い、結婚したからだ――


 といっても11年前に離婚した。

 別れてもなおこの世界に居続けるのは娘のためでもあり、長年続けている今の仕事がしっくりなじんでいるからだ。


(ふう……やっぱり、ここは空気が美味しいなあ~)

 廊下の窓から入ってくる新鮮な空気をすうっと吸い込んだ。


 白郡はウキウク国で“最も空気が綺麗”と言われている。

 冴えわたる空に、心あたたまるやわらかな日差し、頬を撫でる微風が1年を通して体感できる地域だった。

 だから、白センで特別な治療を受けなくても、ここで生活しているだけで症状が緩和する人が殆どだ。


 ウクーは最低限の生活の保障はされているので、よほどのことがなければ死ぬことはない。定職に就かなくても、国に生育している植物の世話をしていれば十分に暮らせる。


 しかし、生活の質を向上させたり、家族を養うとなると経済的に困るため、現役世代のウクーはほとんど何らかの仕事に就いている。

 それでも労働時間は特に決まっていなくて、好きな時に好きなだけ働く。


 そのせいかはわからないが、巷の人間よりも顔つきが活気に満ちている気がする。


 賑やかな場所で大勢の人と関わるのが苦手なわたしにとって、資料作成や備品管理、ウェブサイト編集など事務的作業に取り組める環境は最高だった。


 トイレを済ませて、洗面所で手を洗っていたわたしは、何気なく鏡に映った自分を見て愕然とした。


 15年程前までは、色白すべすべの肌にぱっちり二重の瞳、カールした長い睫毛だったのが、今では乾燥くすみ肌、短い睫毛に目力の衰えたオバサンと化していた。

 

 かろうじて、身長体重だけは161cm 47kgと、ほぼ普通体型を保っており、健康状態も特に悪い所はなかった。


 軽く化粧直しをした後、事務室に戻る途中、玄関付近で紫色お団子ヘアのおばちゃん―事務長のオノオさんとすれ違うと声をかけられた。


「あ、クラッジュリンペさん!ちょうどよかった。今、時間ある?」

「え、事務室に戻るとこですけど……」

「じゃあ、ちょっとだけ、あなたもこっちに来て、一緒にお茶しましょうよ」

「お茶…………?でも、片付けてこないと……」

「そんなの後でいいから!!早く早く!!」

「は、はあ……」

 腕を掴まれたわたしは引っ張られるようにしてロビーまで連れていかれた。


 正面玄関から入ってすぐのロビーの中央当たりに、灰みがかった青色のゆるふわっとした髪の男性と向き合うようにして、利用者とおぼしき年配の女性が3人ソファに座っていた。

 皆、髪型もきちんとセットし、ワンピースなど余所行きの小奇麗な格好をしている。

 

 わたしといえば、ヘアアイロンで毛先をカールもどきにしたセミロングの髪を、赤紺チェック柄のシュシュで束ねただけで、服装もグレージュ色のシンプルなTシャツに千鳥格子柄のテーパードパンツという、普段通りのカジュアルコーデだった。


「こ、こんにちは……」

 わたしは軽く会釈すると、手前に座っていた見た目60代くらいの眼鏡をかけた女性が、

「リルさんとそこで会ったから色々お話していたのよ。あなたもここ座って」

 と手招きしてくれた。


「は、はい……」

 わたしはおそるおそる着席してから、“リルさん”と呼ばれた男性を見るとパチリと目が合った。

 人間でいうと26、27歳くらいの細身の男性で、澄んだ瑠璃色の瞳がとても綺麗だった。

 

 彼は10年程前に橙郡から来たウクーで、白センに週2で通っている。

 他の利用者さんと同じように館内で出くわす機会もあったが、彼とは挨拶を交わす程度で特に話しこむことはなかった。


 今日は薄ベージュの七分袖シャツに黒ストライプのスカーフタイを巻き、黒ズボンというシックな装いだった。


(カフェで働いてるんだっけ。今日は仕事なのかな……)

 相談担当の先生にちらっと聞いた話を思い出し、わたしはまじまじと見つめた。


(はあ~やっぱり良い匂いがするなあ……)

 彼の周りからはなぜかいつも金木犀に似た甘い花の香りが漂っている。

 どぎついものではなく、どこか懐かしくリラックスできるやさしい匂い。

 

 容姿端麗で物柔らかに接する姿が印象的だったが、なんとなく自分とは住む世界が違う感じがする人なので敬遠していた。

 

 白センに通う人達――厳密にはウクーのことだが、彼らはその多くが表情が暗く、やつれていたり、目が虚ろといった、見るからに不健康な状態なのに、彼は白センで目にした当初から、まるで全てを受け入れ悟ったかのような雰囲気に包まれていて、どこが悪いのか判断が付かなかった。


「リルさんって、“トオシ”で人の心を読めるんでしょ?」

(え?そうなの!?)

 オノオさんの発言にわたしは声を上げそうになった。

 

 全ウクーの4割程度が生まれつき持っている能力“トオシ”。

 目の前になくても、一度見たものなら視覚的に捉えて探し出す力だ。それですら驚異的能力なのに、他者の心が読めるなんてもうエスパーじゃないか。


「ええ、まあ……」

「やだ、私も読まれちゃう~」

「勝手に人の心の中は見ないですよ」

「こんなおばちゃん、興味ないものねえ~」

 からからと笑うオノオさんに、他のおばさま方もつられて笑った。

 そして隣にいた、赤髪ショートヘアのおばさまが口を開いた。


「今日はこれからお仕事なの?」

「いえ、午前中で上がらせてもらいました」

「へえ~~普段は何してるの?……その服だとレストラン?カフェ?」

「“りびんのカフェ”で働いてます」

「まあ!!“もっちりポンケーキ”で有名なお店じゃない!!一度行きたいと思ってるんだけど、まだ行けてないのよね~」


 ポンケーキとは、ポン菓子がたっぷり入った生クリームを挟んだパンケーキのことで、ハニ町で密かにブームになっているスイーツである。


「ここはもう慣れた?もう長いんだっけ?」

「10年程……」

「まあ、まだまだこれからって感じね。ちなみに私は52年目よ。今はもう相談というより、雑談しに来てるようなもんね。あ……で、あなたはどうして白に来たの?」

「大好きな人にふられたので……」

 質問攻めにもリルさんは嫌な顔一つせず、微笑を浮かべたまま答えた。

「え~結構いい人そうなのにね~」


 ”結構”というのがまた微妙な言い回しで、一面しか知らないわたし達には彼の本質なんてわからないのだから当たり前だった。


「移り気が多くて」

「とっかえひっかえしてたってこと?」

「というより、同じ時期に何人かと……」

 言葉を濁す彼にわたしは、

(うへえ…………)

 心の中で変な声が漏れた。

 けれども、向いに座っていた、相談利用者ではないパープルピンク髪のおばさまは、

「相手の人達が了承してるならアリかもねえ……」

 と無理矢理納得させていた。


(いや、ないだろ。ってか、みんな引いてるんだけど……)

 

 何とも気まずいムードの中、リルさんは落ち着いて言った。

「もともと他人を引き寄せる体質で……」

「あ~わかるわ~そういうオーラ出てるもんね。なんとかホイホイみたいな。私達もまんまとホイホイされちゃってるわね~あっはっは……!!」

 害虫誘導駆除剤扱いされた彼は、おばさまに豪快に笑い飛ばされても不快感を露わにしなかった。


「でも、ある程度経ったら離れていく人が殆どで、本当に好かれていたかどうかはわかりません」

「あなたのほうは?心から好きだって人もいたんじゃないのかしら?」

「いたけど、別れを告げられました。大切にしないといけなかったのに……蔑ろにしてたツケがまわってきたんです」

「それは気の毒ねえ……」

「ここで休まるといいね」

 

 さすが人生の大先輩方。

 普通なら「そんなことない!」とか「人生これから!」とか超前向きな言葉をかけるものの、深入りせずにさらっと流してくれた。

 それが心地よかったのか、リルさんも始終穏やかな表情だった。

 

 その後も当たり障りのない話題で盛り上がっている中、わたしは相槌を打ち、聞き役に徹していたのだが、オノオさんがふと壁掛け時計を見上げて、「あっ!」と叫んだ。


「まずい!そろそろ会議の時間だわ!!」

「あたしは帰って夕飯の支度しなくちゃ!!」

「仕事残ってた~!!あとはクラッジュリンペさんよろしく!!」

「よ、“よろしく”って……!?」

「若い者同士、交流深めといて!!」

「え……………?」

一斉に立ち上がったおばさま方の勢いに呑まれたわたしは、1人その場に取り残された。


(………いやいや、若い者同士って、500歳代のウクーから見たら47歳なんてひよっ子だろうけど、人間ではもうオバサンって言われる歳なんだよ……ってか、若者ウクーと何を話したらいいんだよ!!よろしくしないでくれー!!)


 わたしは非常に混乱していた。

 喋ること自体は嫌いではないが雑談が苦手だ。

 間の取り方とか場に合った話題とか考えているうちに、このセリフを発していいのかどうか悩み、すっと言葉が出てこず、結局一言も発せずに終わっていく……というパターンになってしまう。

 1つのことを深く考えてしまうタイプなのだ。


 お互いのことをよく知っている間柄なら気兼ねなく話せるのに……

 ほぼ初対面の若い男性と2人――若いといっても、実年齢はわたしよりもずっと上だろうが、共通点がなさそうな人と何を話してよいのかわからなかった。


 変な汗が流れ、わたしはちらりとリルさんのほうを見やった。

 こうして間近で見ると、自己主張しすぎない調和のとれた美しさがあった。


(にしても、お肌キレイだな……)

 わたしなんてファンデーションとコンシーラーを駆使して、なんとか普通の肌を保てているのに。

 ウクーは美肌の持ち主が多かった。化粧をしている人もいるが、人間のわたしのように粗を隠すための化粧ではなく、美しい自分をより美しく輝かせるための化粧だった。


(こればっかりは、あがいてもしょうがないよな……)

 老化に抗うのは諦めつつ、肌が明るければ多少のシミやシミは目立たない!!と某女優さんが言っていたのを信じて、今はシンプルなスキンケアを心掛けている。

 凡人との差を痛感していると、ふとマーブル模様の白いメハトが目に入った。


 “メハト”とはウクーの右の首筋にある、長さ3cmほどのハート型っぽい模様のことだ。

 通常、居住郡の色に染まっている。実はこれ、模様がある皮膚の下に1cm四方の薄い金属板が埋め込まれている。

 この金属板に個人情報などが詰まっていて、身分証として使用できる他、勤怠管理、給与受取などのサービスも受けられる。

 それだけではなく、本人のこれまでの記憶もデータとして蓄積される他、自制心を保つ役割もあるらしい。


 白郡に住むウクーなら、メハトの色は真っ白である――が、彼のメハトは白の中に濃青と薄水色がぐるぐる混ざった模様になっていた。

 これは制御模様と言われるもので、特定の何かに対して強すぎる力を抑止する働きをもつ。この処置は各郡の主だけが行える。

 

 白センに来る利用者達の中に、マーブルメハトの人を見つけるとワケありということが一目瞭然だった。

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