中編

 ペコラの存在が迷惑かそうでないかと言えば、もちろん迷惑だった。

 毎日俺の前に現れたかと思えば、結婚したいだの自分に触れだの可愛がってほしいだの言って笑顔で擦り寄ってくる。


 「これ以上近づいたら丸呑みにしてやるが、いいのか?」と脅したことは数知れず。それでも平気な顔をしているのだから恐ろしい。


 ペコラと初めて会ってから、どれほどの月日が経ったろう。

 最初は徹底的に排除しようとしたものの、どれほど城を厳重に警備させてもどこからともなくペコラが忍び込んで来るとわかってからは、俺も諦めた。

 それに、彼女が直接的俺に危害を加えるつもりはないとわかったからでもある。俺が言葉で断れば無理に襲い掛かってきたりはしない。ペコラは非常に温厚で、穏やかな甘さを持つ少女だった。


 そうして日々を過ごすうち、俺はいつしか彼女のことを受け入れていた。

 誘惑に屈したわけではない。ただ憎めない奴だなと、そう考えるようになっただけだ。


 交わす言葉は大して多くない。同じ部屋で過ごす。他にはほぼ何もしていなかった。

 彼女と俺の関係を表すとすれば、どういう表現が正しいのだろう。知人とも言えたし、招かざる客と主とも言えた。もっともペコラに言わせれば恋人以上夫婦未満なのだが、俺は恋人どころか友人になったつもりもない。


 でもそんな関係性が心地よいと思う気持ちが胸の内に芽生え始めていた。

 俺は冷酷非道の狼人王。そのはずだ。なのに……。



「リカント様〜、今日もやって参りましたわ〜」

「ああ。そこら辺でも座ってろ」

「じゃあ、ここでゆったりさせていただきますわね〜」


 今日も呑気にペコラがやって来る。

 机に向かい合ってうんうんと唸っている俺を、ソファに横たわって見つめるつもりらしい。

 ここ最近、すっかり当たり前になってしまった光景。しかしそれに変化を生んだのはペコラの一言だった。


「なんだか近頃〜リカント様の元気がないように見えますわ〜? 何か嫌なことでもありましたの〜? もしそうなら、わたしのふんわかもふもふな体をベッド代わりに休むといいですわ〜。楽になりますわよ〜」


「断る」


「もう〜仕方がないですわね〜。ならお話ししていただくだけでもよろしいですわ〜。何があったか教えてくださいまし〜」


「お前には関係ないだろう」


「ありますわ〜。だってわたし、将来あなたのお嫁さんになるんですもの〜」


「お嫁さん、か」俺は彼女のその言葉に冷ややかに笑った。「悪いが、それは無理な話だ」


「あら、どうしてですの〜?」


「俺はこの世界の王だ。今まで力だけで人間を滅ぼして、獣人の国を築き上げて栄えさせてきた。それも限界だってことだ。

 ……鳥人の国の姫を娶ろうって話になった。俺に世継ぎがいないとかなんとか、どいつもこいつもくだらないことをほざくから、仕方なくな。

 だがそれでも娶るという事実は事実だ。悪いがお前の望みは破れた。恨みたければ恨め。この冷酷非道な狼王をな」


 俺だって、結婚なんてしたいわけじゃない。

 本当は鳥人の国を血の海に変えてやっても良かった。でもそれではきっと、いつか小国全部に叛逆を起こされてしまう。


 だから仕方なかった。

 ペコラとのこのなんとも言えない関係も今日で終わりだ。これを告げる勇気がなく、ここ数日ずっと迷っていたのだが、今踏ん切りがついた。

 俺は言わなければならない。彼女との、別れの言葉を。


「今度こそ俺の前に二度と姿を見せるな、ペコラ。そもそもお前のような者が俺とこうして話していること自体がおかしいのだ。きちんと自分の身分は弁えて――」


「そんな泣きそうな顔で言われても全然説得力がありませんわよ〜? ほら、いい子いい子〜」


 そう言われて俺は気づいた。

 ふわふわな感触が全身を包み込んでいること。そしてすぐ目の前に、ペコラの綺麗な桃色の瞳が輝いていることに。


「何をしている」


「リカント様が泣かないようにしてあげてるだけですわ〜」


「泣く? 俺が? ふざけるな、おい、放せよ……」


 俺はもがき、彼女の腕の中からどうにか逃れようとした。

 しかし俺を抱きしめるペコラの両腕は強く、全然剥がれない。いや違う。逆だ。俺の全身から力が抜け切っているのだった。これがワーシープの魔力に間違いない。

 温かく、どこか懐かしいような、幸せな温もり。ふわふわモコモコな柔らかな毛が心地よく、すぐに抗おうという気まで失せてしまう。


「嫌なんですよね〜? 本当は、嫌なんでしょう?

 なら、結婚なんてしなくていいと思いますわ〜。だって結婚って幸せなものですもの〜。リカント様が不幸せな結婚をするなんて、わたしも嫌ですわ〜。

 泣きたいならわたしの胸で泣いてくださいな〜。いくらでも慰めてあげますわ〜。あなたの涙が枯れるまで」


 ああ、嫌だ。また優しくされるのか。

 安堵感と共に強烈な恐怖が湧き上がる。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。


「俺に、優しくするな。お前は俺の前から消えてくれればいいんだ。お前なんか、いてもいなくても同じなんだからな」


「あら〜? それなら、なんで今とっても切なそうなんですの〜? 口では強がりながらわたしと離れたくないから、そんな顔をしているんじゃなくて〜? まあ、そんなところも愛おしいのですけれど〜」


「そ、れは」


 ああ、それは。それだけは言わないでほしかった。

 自覚してしまったではないか。俺の中にある、確かなこの感情の名を。


「好きなんでしょう〜? わたしのことが」


 そして耳元に囁かれる甘やかな声。

 俺はそれに肯定も否定も返すことができない。

 彼女の言葉はこんなにも気持ちいいのに。なのに、嫌なことを思い出してしまう。


『好きなんでしょう、あたしが。ならあたしの言うことを聞きなさいよ。聞けないなら死になさいよ』


 ペコラの声に重なって、そんな幻聴が俺の耳に響いていた。

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