第30話
小さなゼリウムの欠片が、まるでパン屑を落とすかのように道を案内してくれる。この薄暗い中でも微かに発光するその欠片は、俺が通り過ぎるのを待って、徐々に光を失っていく。
「帰り道はないってことか。ばーさん、そりゃあないんじゃねぇか」
手をついた壁がぬるりと滑り、爪の間に苔やら藻が入り込む。ルビリスがもう少し万全だったのなら、これくらいの範囲、浄化するには片手を上げるくらい簡単だろうに。
そう言ったところでどうにもならん。入り込んだ苔に舌打ちし、ちったぁ爪でも切っておくんだったと多少反省したところで、つきあたりまでやって来たようだった。天井に四角に薄く光が漏れている箇所がある。
「これがどこに続いてるかは……、お前らは知らんか」
足元で光を失っていく欠片に「お疲れさん」とだけ言い、五メートルはある天井を見上げる。
元々、有事があった際外へ出るための水路のはず。ならば中から梯子やら階段を降ろす設備があったとしても、外からの侵入者に対して、そんな優しいものがあるわけがない。
歓迎されていないのなら、尚更だ。
「ったく、なんでいつもこうなっちまうのか……」
適当に壁に触れていく。やはり、ここだけは昔ながらの造りで、大きさや形の異なる石を積み上げられているようだった。
手に力を込めてみる。多少滑りはしたが、登れないほどではなさそうだ。
「それじゃあな。ばーさんに“ボケんのは
もちろん、この欠片にそんな力はない。役目を果たせば消えるようになっているのだ。
案の定、溶けるように姿を消し、俺は頭をガリガリと掻いた。掻いてから頭に苔がついたことに気づくが、誰か見るわけでもない。むしろ地下水路から
「……っと」
右手を掛け、左手を伸ばし、続いて反動をつけるようにして右足で押し上げ、最後に左足を添える。“風舞う国”でも城壁登りはしていたが、手入れの行き届いた壁と苔まみれのここでは勝手が違う。
滑らないよう最大限気を張りながら天井近くまで登りきる。右手で身体を支えながら左手を伸ばし、光の箇所を指でそうっとなぞってみる。
「こりゃあ駄目だな」
錆びついているのもあるが、そもそも藻や蔦が絡みついているのもあり、そう簡単に押し上げられそうにもない。仕方なく、俺は指先に力を込め、再びゆっくりと
植物が焼ける臭いが充満し、炭がポロポロと落ちていく。袖の中にも微かに入り、ただでさえ黒ずんだコートがさらに黒くなっていくのに顔をしかめた。
「よし」
ぐ、と再び力を込め押し上げてみる。がたん、と動いたのを確認し、俺は勢いをつけて右手も扉の縁へと移動し、頭で扉を押し上げ、腕の力で水路から這い出た。
「ここは……」
光が漏れている、と思ったのだが、俺の予想とは反対に、そこは暗闇が広がっていた。鼻をつくカビ臭さ、湿り気、目がある程度慣れてくれば、粗末な石造りの壁と地面、そして鉄格子が見えてきた。
と、ヒトの気配を感じ振り返る。十五、六才ほどの少女と、十才ほどの少年が、二人で身を寄せ合うようにして隅に座り込んでいる。他には、鉄格子の外にすら、ヒトの気配はない。
「……よう」
とりあえずと声をかけるが、男のほうはびくりと身体を縮こませて女の影に隠れてしまった。
「おじさん……、今、下から来た、よね?」
どうやら最近のガキは“お兄さん”という言葉を知らんらしい。だがここで指摘するのもアホらしく、俺は「あぁ」とだけ返した。
「なら、もしかしてルビリス様とお話してきた?」
「多少はな」
安堵したのか、女のほうが「ほら、大丈夫」と男に笑いかける。
「あたしたち、姉弟なの」
「ま、だろうな」
出てきた扉を、なるべく目立たないよう元へ戻してから、鉄格子にかかっている鍵を確認する。仕掛けがあるわけでもなさそうだ、これなら焼き切れるだろう。
「ルビリス様がおじさんに“お願い”したの?」
「あのばーさんが、んなことするわけねぇ。もしかしてだが、ガキ、お前らは前領主の血筋か?」
「うん……」
「そうか、大層いい部屋をあてがわせてもらってるじゃねぇか。普通、こんな場所になかなか住めねぇぞ」
好んで住む場所でもないがな。
さっきと同じようにして鍵をゆっくりと焼いていく。どろりと溶けた鉄が、格子を伝い足元へと溜まっていった。
「ふふ、そうだね。でもここの生活も今日で終わり」
「だろうな」
「明日、あたしたち、お互いを殺し合うの」
「ちょっと待て、なんつった」
溶かしきった最後の鉄が滴り、鉄格子がキィ……と開いた。
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