第20話
「う、うぁ、ウアアアア!?」
一瞬何が起こったのか理解出来なかったのだろう。折れた両手をしばし見た後、騎士は家々が震えるほどの悲鳴を上げた。
「手がッ、おでの!? 手がアア!?」
「よかったじゃあないか。手だけで済んだんだ、自分の能力の高さにでも感謝しておけ」
「ごのッ、ごのおおお!」
騎士が怒りに身を任せて飛びかかろうとするが、このぬかるんだ足元だ。頭に血がのぼった今の状態では上手く足を運べず、皮肉なことに鎧だけでなく自分自身が汚れる羽目になっている。
「この、このこのこのこの! ただのガキがッ!」
「ただのガキ相手に本気になってんのはどっちだか」
一瞬その煩い口を蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、その口から出た、
「我らの領主、アークベルト様に歯向かうなどとは……!」
「アークベルト……?」
というやはり聞き覚えのあるその名に、俺は少し考え、それから「おい」と地面に転がったままの騎士の髪を鷲掴みし、無理やり目を合わせた。その目の奥に、今まで感じたことのないであろう恐怖が見え、あぁ、この騎士はどれほどの幸せな中で生きてきたのかと、嫌でも感じとれた。
「お、俺を誰だと思って……、俺はアークベルト様直属の部隊、
「いつでも消せるような下っ端に興味なんてない。いいか、もう一度聞く。あんたらの領主は、アークベルトで間違いないんだな」
「ひっ、ひいっ。あぁ、あぁあぁそうだ。我らの領主、アークベルト様は、我らのような大した能力もなかった人間を、その御力ひとつで、強く、強靭に、のし上がらせてくれたのだ!」
「そうか……。アークベルト、お前は何も変わっちゃいねぇようだな」
俺は掴んでいた手を離し立ち上がると、控えていた兵士と魔法士に「おい」と視線をやった。縮こまった二人に、あぁこいつらもそうかと落胆した。
「帰ってお前らの飼い主に伝えろ。“月光が宵闇を照らす時、お前に会いに行く”と」
二人は激しく首を縦に振り、それから倒れたままの騎士に肩を貸して立ち上がらせた。その濡れたままの背中が見えなくなった頃、今度は家の影に目をやった。
「ガレリア」
「あら、気づかれちゃった」
いつもと変わらぬ声色で姿を見せたガレリアは、倒れたままの店主に「立てるかしら?」と手を差し伸べている。それにため息をわざとらしく零してから、
「見てたならなんで助けなかった」
「助けようと思ったわよ。ただ、ディアスちゃんのほうが早かったっていうだけ」
と店主を軽々と立ち上がらせ、宿屋へと帰した。
それにしても、と周囲を見回す。
「……」
村人が俺を忌避した目で見ている。大方、騎士様や領主様に歯向かった厄病神とでも思っているのだろう。
「……どうしてくれるんだ」
初老の男が、項垂れるようにぽつりぽつりと零していく。
「この村ももう終わりだ……。近いうち、今日とは比べ物にならないくらいの騎士や兵士、魔法士が押し寄せてくる。早いとこワシらも逃げなきゃならん」
「どうしてくれんだ!」
「おれらに死ねって言うつもりか!」
一人が言えば二人、三人と増えていき、その声は次第に村中へと広がっていく。こういった声には慣れたもので、特にこちらが声を荒げる必要もない。しいて言うなら、宿屋にあるあいつらを叩き起こして早く村をでていくぐらいか――
「皆何言ってるんだよ! 本当にそう思ってんのかよ!?」
「ハルト、子供は黙ってろ」
「そうやって黙ってきたけど、何もよくならないじゃないか! 母ちゃんが帰ってきたか? 生活がよくなったか? むしろ逆だよ! 母ちゃんがいなくて飯は不味くなったし、染め物だって昔みたいな細かい色が出なくなったって聞いた! 何かやんなきゃ、何も変わらないよ!」
ハルトの言葉に村人がざわつき始めるが、初老の男からは渋るうめき声しか出てこない。
「ハルト、そう言ったところでワシらに何が出来るというのだ。大した能力もない、ワシらに……」
「……なぁ爺さん。出来る出来ないじゃない、したかしないか。爺さんはどうなんだ? ま、黙って見てるなら止めはしないさ」
ハルトに「帰ってろ」と先に宿へ帰らせ、続いてガレリアにあとを追わせた。
「なぁ爺さん、俺は王命で“風舞う国”から遣わされてきた。ここの領主をぶっ飛ばせとのことだ。安心して寝れるよう、布団を多めに用意して待ってるんだな」
自分でも何を言ってるのかと思った。なるべく、関わりたくなど、なかったというのに。
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