ドッペルゲンガー
ひらぞー
第1話
「いい、光?よく聞いて?
ちゃんとした大人になる為にはね、よく勉強して、よく動いて、よく休んで、程よく正しく遊ぶのよ。
わかった?」
「うん!分かったよお母さん!」
大きな声で、輝く笑顔で返事をする少年の名は光。
彼は素直な良い子です。
お母さんの言う事をよく聞いて毎日、頑張って勉強しています。
もちろん、勉強だけじゃありません。
サッカークラブにも所属していて優勝を目指して練習しています。
夜更かしはしません。
毎日、夜の10時には寝て、朝の6時に起きています。
悪い遊びなんか絶対しません。
先生に隠れてタバコを吸おうとした友達がいましたが、注意してやめさせました。
彼はとても真面目で良い子です。
それは彼がそうあろうと頑張った証です。
彼はそんな自分に自信を持っていました。
ですが、たまに、彼の心の内の、暗い所から声がします。
「なぁ、今日は頑張らないでよくないか?」
声は始めはとても小さい物でした。
だから、簡単に無視できました。
ですが、だんだん、だんだんと。
時間が経つにつれて。
声は大きくなっていきます。
「今日も頑張るのか?少しくらい手を抜いても良くないか?大丈夫大丈夫、バレないし怒られないって」
「毎日、そんな頑張って楽しいか?人生は短いんだから、楽しまないと損だろう?勉強なんて後にしようぜ?なぁ?」
「休みの時は休むものだろう?なのにサッカーの練習に行くのか?本当はだるいんだろ?仮病使おうぜ?友達の家に遊びに行っちゃおうぜ?」
大きいだけじゃありません。
その数も、次々増えていきます。
言い方も巧みになっていきます。
光君は必死にその声を聞かないように頑張りました。
こんな声に騙されちゃいけないと頑張りました。
ですが、ついに。
「お母さん、今日は何だかしんどいから学校お休みしてもいい?」
声の言う事を聞いてしまいました。
その日、初めて学校を休みました。
元気なのに休みました。
普段やっている勉強も、クラブの練習もしませんでした。
悪い事をしてしまった罪悪感が胸に刺さりまさした。
ですが、それだけではありません。
その胸の内には薄暗い喜びが確かにありました。
口元から笑いが漏れていました。
その日から光君は勉強もクラブも時々、休むようになりました。
そして、休む度、罪悪感は薄れていき、代わりに薄暗い喜びが大きくなっていきました。
小学校卒業と同時にサッカークラブをやめました。
中学で毎日の勉強をしなくなりました。
高校で夜ふかしをよくするようになりました。
大学で単位ギリギリまで休み、バイトで貯めたお金で友達と朝から晩まで遊び、講義中はよく寝落ちしていました。
月日は流れて、成人式を迎えました。
小さかった背丈はすっかり伸びて今やお兄さんになった光君。
来年からは就職活動がはじまります。
光君はその事を考えると面倒くさくて仕方がありません。
そんな事より遊んでいたほうがずっと楽だからです。
そんな光君の心の内から声が聞こえてきます。
「そろそろ、頑張った方がよくないか?」
その声を光君は無視します。
うるさいと思って無視します。
それよりも楽に生きたいから無視します。
頑張りたくないから絶対に無視を決め込みます。
その心の声に蓋をして、光君は今日も楽に目を向けています。
楽に心を奪われています。
小さかった頃の、輝く笑顔の光君の姿はもうそこにはありませんでした。
代わりに暗い笑い声が口元から漏れていました。
毎日、必死に生きていた、頑張っていた姿は無く、まるで別人に入れ替わったかのように、日々をガラクタのように過ごしていました。
だからでしょうか。
彼は自分に自信がありませんでした。
子供の頃の心の声と大人の時の心の声。
それは全く違う声。
怠惰に誘っていた声が、いつの間にか勤勉を勧める声に変わっていました。
そして、光君は勤勉の声を押し殺しました。
子供の頃の自分の生き方のような声を消したのでした。
さて、今の光君は本物なのでしょうか?
ドッペルゲンガー ひらぞー @mannennhirazou
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