制服貸与

高巻 渦

制服貸与

 なるべく給料の良いところで働きたい。

 でも風俗はちょっと……かと言ってキャバクラもダルい。そもそも風俗嬢になるだけの度胸もないし、キャバ嬢になるだけのコミュニケーション能力も派手さも持ち合わせていない。

 そんな感じの、嬢になれないけど顔は多少見られる程度の中途半端な女が行き着く先がメイド喫茶でのアルバイトだと私は思っている。

 なぜかって、私がそうだからだ。




 自宅のアパートから電車で十五分ほどの駅前に、私の在籍するメイド喫茶『メイドリーム☆キャット』はある。

 そこには私含め十三人の「中途半端な女」が、白と黒の所謂メイド服と呼ばれるありがちなエプロンドレスを着てクソみたいなオヤジやオタクを相手に、作り笑顔と作った声で、そいつらの「お気に入り」にされようと必死になっている。

 気持ち悪い客に気に入られたいという思いは当然本心ではなく、目当てはそいつらの財布の中身、ひいては貢ぎ物の高級ブランド品だ。

 けれど私は、勤務外の時間まで費やしてそいつらに媚びへつらうくらいならきっちり働いた分だけの給料をもらって適当に過ごせたらそれで良いと思っているから、そんなことはしない。


 今日も午後一時に『メイドリーム☆キャット』に到着し、スタッフルームに入って自分のロッカーを開ける。畳まれたエプロンドレスの上にコンビニ弁当の食べ残しやタバコの吸い殻が散乱していた。

 恐らく午前から勤務している連中が昼に出したゴミだろう。案の定、中途半端なメイド共のリーダー格である加賀が、これみよがしに話しかけてきた。


「ごめんね〜、ゴミ箱まで行くの面倒だったから、あんたのロッカーに捨てちゃったぁ」


 加賀の言葉を簡単に言い変えれば、私に対する嫌がらせだ。

 こんな奴が客の前だと猫なで声を出し、店のホームページのプロフィール欄には『裏表がないところが長所かな♡』などと書いていることに、腹立たしさを通り越してゾッとする。

 私は無言で表へ出て、袖口を汚していた灰を手で払い、前掛けに付着したソースを濡れたティッシュで拭った。

 スタッフルームに戻り、襟首のラベルにマジックで「9」と書かれたエプロンドレスに着替える。

 店長以外の従業員が女だから陰湿な組織が出来上がってるだとか、恒例的に排他的な新人イビリをされてるだとか、私が嫌がらせのターゲットになっている原因はそんな簡単な理由ではない。


 嘘か真か、どうやら私は、呪われたらしいのだ。

 事の発端は、私のメイド喫茶勤務初日まで遡る――。



 ***



「じゃあ今日からよろしく。これ制服だから」


 当たり前だが制服……例のエプロンドレスは、店側から貸与される。畳まれた状態で手渡された制服は、想像より少し重たかった。


「襟のラベルに番号書いてあるから。自分の覚えて。あと汚れたら持ち帰って洗ってね」


 ぶっきらぼうに説明をして、そそくさと店内へ消えていった店長の背中を見送りつつ、ラベルを見る。そこには「9」と書いてあった。


「うわ、久瀬の9だ」


 突然声がした、振り返るといつの間にそこにいたのか、長身でポニーテールのメイドが驚きと哀れみと、若干の恐怖が入り混じった表情でこちらを見ていた。私と目が合うと、彼女も店長と同じように、後ずさりするように店内へ消えていった。

 メイドに扮して勤務している間もずっと、頭の中のモヤモヤした気持ちと疑問符は消えなかった。久瀬とは何者なのか。あの長身メイドが見せた表情は何を意味しているのか。なぜ勤務初日からこんな気持ちにならなければいけないのか。

 問題は早期解決が望ましい。バイト終わりに私は長身メイドを待った。

 彼女が店を出て一人になったところを見計らって、声をかけた。久瀬の9とは何か。その問いに彼女はわかりやすく嫌そうな顔をしたが


「ここじゃ誰かに見つかるから、もうちょっと行った先のファミレスで。あんたの奢りね、情報料だから」


 そう言って歩き出した。

 長身のメイドは長田と名乗った。長田は私の金で注文したパフェを食べた後、私の金で注文したドリンクバーのメロンソーダを飲みながら話し出した。


「あんたが勤め始めるちょっと前に、久瀬っていう常連の客がいたの。髪が長くて、身体と目が細くて、変なヤツ。そいつがひとりのメイドにガチで惚れてたみたいで。そのメイドは上手いこと立ち回って色々久瀬に貢がせてたみたいだけど、ある日とうとう告白されて、いい加減切り時だと思ってたそのメイドは当然それを断って……その時結構ひどい事も言ったらしいけど……で、店長に言って久瀬を出禁にしたのよ。ここまで話したら大体察しがつくでしょ。その後、久瀬、自殺したんだよね。で、久瀬を自殺に追い込んだメイドが着てたのが9番の制服。あんたに回ってきたってわけ。あの制服、呪われてるよ」


 私は黙ってそれを聞いていた。長田はタバコに火をつけた。タバコが半分ほど短くなった時、長田は意を決したように「あんたには悪いけど」と前置きをして再び口を開いた。


「9番の制服を着るメイドを見つけたら、他の全員に伝えなきゃならないっていう暗黙の了解があるの。仲良い子には今から帰ったらチャットで教える。他の子にも明日出勤したら教える。店の全員にあんたが9番だってことが伝わった後、何が起きても店長は見て見ぬフリ。私は……今日奢ってもらったし、何もしないけど……恨まないでよね。呪わないでよね」


 そう言って長田は席を立ち、きょろきょろと辺りを見回すようにしてからファミレスを出て行った。次の日から呪いは始まったのだ――。



 ***



「ちょっとちょっと、制服汚れてるじゃん。持って帰って洗ってよ」


 バイト終わり、店長が私を呼び止めた。


「前掛けのそのシミ、何それ? 明日までにちゃんと綺麗にして来てよ」


 視界の端では加賀と数人のメイドがニヤニヤしているのが見える。そいつらと少し距離を空けて、複雑な表情をしている長田の姿も。

 加賀さんがやりました、と言ったら、こいつはどんな反応をするだろうか。どうせ適当にはぐらかすんだろうな。

 そんな事を考えながら気づかれないように店長を睨み、制服をカバンに押し込んで店を出た。


 夜八時半頃アパートに戻り、洗濯した制服を部屋干しする。明日までに乾けば良いけど。そう考えてから、無性に腹が立ってきた。

 もう一ヶ月近くも大小様々な嫌がらせを受け、こうして要らない心配事を増やされている。私が9番の制服を渡されたというただそれだけで、ありもしない呪いの標的にされているだとかふざけたこと言いやがって。そもそも久瀬って誰だよ。呪うなら私じゃなくて元9番の奴だろうが。お腹すいたな。いや空腹なんかどうでも良い。百歩譲って私が呪われてるとしても、あいつらが私に嫌がらせをして良い理由にはなってないだろうが。


「その通りだ」


 突然声がして私は飛び上がった。首が吹っ飛ぶくらいの勢いで声のした方を見ると、さきほど干したメイド服に重なるようにして、髪の長い男が立っていた。


「は!? お前誰!?」


  男はぎこちない笑顔とピースサインを作り、答えた。


「久瀬でーす」


 私は声にならない悲鳴を上げて四つん這いで玄関へ向かった。


「待て小娘、そう恐れるな」

「いやあああさっきと喋り方変わっててキモい!」

「キモいとか言うな呪うぞ」

「もう呪われてるじゃん私! 上乗せしないで!」

「落ち着け。良いか、俺はお前を呪ってなんかいない。ただその9番の制服にくっついてただけだ。一連の出来事を他のメイドから又聞きしただけの長田ちゃんと当事者の俺、どっちの言葉を信じるんだ?」

「……お前」

「久瀬と呼べ。なんなら『お兄ちゃん』とか『ご主人様』でも良いぞ」

「キッモ」

「ごめんね。久瀬で良いよ」


 それから十分ほどかけて落ち着きを取り戻した私は、久瀬に尋ねた。


「……私のこと呪ってないってマジ?」

「マジだ。俺はメイドにガチ恋した挙句フられて自殺するようなどうしようもない男だが、何の罪もないメイドに八つ当たりで呪いをかけるほどクズじゃない。お前を呪っているのはむしろ、他のメイドの奴らだ」


 何も言えずに黙った私に、久瀬は早口で続ける。


「あいつら、俺を言い訳にして『9番を着た奴は呪われてるから何をしても良い』と、そう考えてるんだ。その考えこそが呪いになってる。呪われてるのはこの9番のメイド服でもお前でもなく、あの店自体だ。お前があの店に来る以前にこの9番を着てた奴が俺にビビって、その呪いを店全体に広げたんだよ」

「待って、ということはもしかして、久瀬を自殺に追い込んだメイドは、まだあの店で働いてるってこと?」

「そうだ。そいつはメイドの象徴である制服と、間接的に殺した男に呪いをなすりつけ、何食わぬ顔して働きながら、その制服を着た新人に嫌がらせを繰り返してる。呪いがいつか自分に跳ね返ってくるかもしれないという恐怖の裏返しが、自らを呪いの発生源にしてるんだ。俺を殺したのは……」

「加賀」

「その通りだ」

「久瀬……お前あんな女に惚れてたの……」

「言わないでくれ、情けなくて死にたくなる」

「もう死んでるよ」

「泣いちゃうからやめて。しかし元を辿れば俺が死んだことでお前を苦しめてることになってるからそれは謝る、ごめんね。そしてありがとう」

「それはもう良いけど……ありがとうって何?」

「今までみんな呪いを気味悪がって9番の制服に触りもしなかったが、家に持ち帰って洗ってくれたのはお前が初めてだ。おかげであの店の呪縛から解き放たれた。だから、ありがとう」


 そう言った久瀬の陰影が、不意に濃くなったように見えた。


「お前、明日は店に行くな。部屋の中で新しいバイト先でも見つけとけ」


 久瀬の言葉で大体察しがついた。


「あのさ、ひとつお願いなんだけど……長田は助けてあげて」

「心配するな。お前を呪ってた奴らの中に長田ちゃんは含まれていなかった」


 そう言うが早いか、久瀬は砂が風に舞うように消え去った。

 後には9番のメイド服だけが、窓から吹き込む夜風に揺れていた。




 翌日、私はメイド喫茶『メイドリーム☆キャット』が不審火により全焼したというニュースをテレビで観た。焼け跡からは店長を含む五人の従業員の遺体が見つかった。遺体の中には当然加賀の名前もあり、奇跡的に無傷で助かった数人の客と長田の姿も映っていた。


「どうよこの火力。呪いって怖いねぇ」


 私の隣で久瀬が笑っている。


「いやなんでまだ居るんだよ。距離近いしキモいな」

「自分が活躍したニュースくらい観てから成仏させてくれたって良いだろ」

「活躍とか言うな五人も死んでんだぞ。まったく何してんだか」

「冥土の土産ができたわ。メイドだけに」

「はぁー……とっととあの世へ行ってらっしゃいませ、ご主人様」


 襟のラベルに9と書かれたメイド服は、まだ私の部屋にある。

 もう着る気は起きないが。

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