うなじの咬み傷
月井 忠
第1話 過去
俺は犬を蹴り殺したことがある。
もっとも、実際には事故のようなもので、俺に罪の意識はない。
小学生の頃、学校の近くの公園で、ブランコに乗っていたときのことだった。
目一杯、座り漕ぎをしていた。
それこそ一回転してしまうのではという思いがあったが、小学生の頃の話だ。
実際には大してスピードは出せていなかったと思う。
俺はブランコを漕ぐことに必死だった。
だから視界が狭くなっていたのかもしれない。
一匹のやせ細った犬が目前に飛び出してきた時、俺はどうすることもできなかった。
地面に足を踏ん張って、ブランコを止めようとした。
しかし、その足は空を切って、そのまま犬の横っ腹を蹴飛ばすこととなった。
痩せていたからか、犬は軽々と宙を飛び、遠くの地面に頭から落ちた。
あの異様な感覚が、今も足に残っている。
表面はぐにゃりと潰れるような柔らかさがあるのに、その奥には骨の固い確かさがあった。
俺はブランコから下りて、犬を見に行った。
口からは血の混じった唾液を垂れ流し、浅く呼吸をしているように思えた。
俺はその様をじっと見ていた。
呼吸の間隔は徐々に長くなって、そのうち腹も動かなくなる。
俺はその犬を足で押しながら、茂みの方まで移動させた。
後日、家から持ってきたスコップで浅く穴を掘り、公園の隅に犬の死体を埋めた。
俺は犬が嫌いだった。
小さい頃に犬に追い回された記憶がある。
牙をむき出しにして、俺の背中を追い回す獣。
今考えれば、あれは犬にとってじゃれていただけなのかもしれない。
犬が本気で追いかけたなら、子供の足では逃げ切れるわけはないという気もするからだ。
あの時。
犬を見てブランコを止めようとし時。
俺の足は地面をかすって、そのまま犬を蹴った。
俺は本当にブランコを止める気があったのだろうか。
心のどこかで犬を憎み、あの痩せた犬を蹴り殺してやろうという思いはなかったか。
そんなことを思う。
どうして、そんな昔のことを思い出したのかと言えば、帰郷した際に、あの公園が取り壊されたという話を聞いたからだ。
母が言うには、少子化や遊具の危険性が盛んに言われるようになり、ただの小さな空き地にするぐらいならということらしい。
俺の危惧した通り、工事の最中、犬の骨が見つかった。
近所では不気味な噂が立ったらしいが、それもほんのひとときのこと。
今では、そのことを話す者はいないらしい。
俺はあの一件以来、ブランコに乗れなくなっていた。
あの公園もなくなり、あのブランコもなくなった。
今ならブランコに乗れるかもしれない。
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