鬼ヶ島フリースタイル合戦

森下千尋

鬼ヶ島フリースタイル合戦

 バイト後、すっかり暗くなった帰り道。スマホにイヌからの着信が入った。

 「ワッツアップ、メーン」3コールした後、俺は応える。

 「桃太郎、おい、今、お前何処だ」

 電話越しに聞くイヌの声は、相当に息が上がっている。

 「どうした? ちょうどバイト終わったとこ」

 くたくたの身体に当たる夜風が心地いい。肉体と時間を一日中労働に捧げて、ようやく自分だけの時間が始まる。はずだった。

 「すまん……サルがやられた。至急、来てくれ」

 イヌの声に一瞬鼓動が速まる。

 「冗談だろ?」

 「鬼が来たんだ」イヌの切羽詰まった声が耳元にリアルだった。

 大きく息を吸い込んで俺は駆け出した。泥だらけのスニーカーが夜風を切り裂く。



 鬼。俺たちの住む世界は、人間と鬼の暮らす場所が真二つに分断している。だから、通常鬼はこちらに来ることはない。だけど、その境界を踏み込んでくるボス鬼が、現在にはいた。

 鬼は、パンチやキックなどの暴力は振るわない。代わりにフリースタイルラップで殴るのだ。言葉で、鬼は人間を服従させた。

 

 団地の片隅にある小さな公園。俺たちの溜まり場だったそこに、イヌはいた。

 「イヌ!」

 イヌは片手を挙げる。プルオーバーのパーカーをオーバーサイズで着て、足元にはスケボーが転がっている。いつものストリートスタイルだ。

 「早かったな」イヌの表情は暗い。

 「おう。それよりサルは……」

 「家で塞ぎ込んじまってる、これを見てくれ」

 イヌがスマホで動画アプリ、グッチューブの【鬼ちゃんねる】を開いた。

 緊張した面持ちのサルと、一回り以上大きな体躯の鬼が対峙している。

 ボス鬼を囲むように同じ黒のコーチジャケットを羽織った小鬼たちがサルを威嚇している。サルの後ろにはイヌとキジがいた。キジは仲間内で唯一の女だ。軽くウェーブした茶色の髪にベースボールキャップを深く被って、ざっくりとしたニットワンピースに身を包む。

 二人はどちらも心配そうな顔をしている。サルは断トツにフリースタイルが上手かった。けれど、鬼のフリースタイルは相手が誰であろうと百戦錬磨と聞く。

 フリースタイルバトルはリアルタイムで鬼ちゃんねるにて配信され、観客の投票によって勝ち負けがつく。

 鬼は現在173戦無敗を誇る。敗者はネットに晒されて末代まで敗北の烙印を押される。



 後攻有利とされるフリースタイル。鬼はじゃんけんに勝ったにも関わらず先攻を選んだ。余裕のライミングが始まる。

 『ヘイヘイ、どきな。雑魚は寝ころびな。それとも俺にビビって動けない? 鬼ちゃんねるだぜ、死刑宣告。サルも恥さらしここでジエンド』

 鬼が低音、ウエイトのある声で鳴らすのに対し、サルは高音、早口でまくし立てるスタイルだ。

 『ジエンド? つーかおまえただの自然薯みたいな木偶の坊、何もできず終わるイベントみたいなもん建ててやるよ記念像。エイヨエイヨ。低俗、これはサル俺からの警告』

 よし、鬼相手に負けてないぞ。そう俺は思った。

 しかし、歴戦の猛者は違った。

 『おい、おまえ何か分かって言ってんのかよ自然薯つまりそれはヤマイモ。サルちゃん緊張して詰めが甘いぞ。極上のアンサーしとけ洗いもの』

 分厚い空気の靄がサルを覆う。まるで、苦しくなる呼吸から逃げるようにサルはラップした。

 『洗いもの おまえのライムはまるで習い事 俺は絶対に巻かれない長いもの 桃太郎たちと見ている高いとこ この心臓脈打つ赤い鼓動』

 鬼が天に向かって人差し指を立てた。


 『勝者……鬼ィィィッ』

 歓声が響き渡り、鬼のアップが映る。首元に光るゴールドのチェーンが悪趣味だった。

 『たいしたことない、桃太郎一家。興味もないぜライカ元カノみたい。まあ土産くらいはもらっていくぜ。キジの姉ちゃんでも捕らえていくぜ』

鬼はサッとキジに迫り軽々と彼女を肩で担いた。キジは懸命に足をバタつかせるが鬼は動じない。その場をスタスタと歩き去っていく。

 「おい!」飛び出そうとするサルとイヌが、取り巻きの小鬼たちに押さえつけられた。

 「桃太郎! 助けて」と叫んだキジの声が聞こえ動画は終了した。


 「キジが……?」

 「すまねえ桃太郎」

 俺はイヌの胸ぐらを掴んだ。

 「ふざけんじゃねえ!」

 イヌは項垂れて言う。

 「止められなかった」

 違う。イヌに当たりたいわけじゃない。怒りがやり場もなく湧いてくる。

 「許さねえ。鬼、絶対許さねえ」


 「イヌ、行くぞ」

 「どこにだよ」

 「鬼ヶ島だろ」

 「おい、マジか」

 仲間がやられてこのままじゃ終われない。ましてはキジまで。

 団地から裏道を走り、海へ向かった。

 一隻の船が暗闇に停まっている。

 「鬼ヶ島の安全は保障しません」能面を付けた船頭が言う。鬼に素顔を見られるのを恐れているのだろう。俺は頷く。


 「俺も行くヨ」

 息を切らしたサルが駆けてくる。坊主頭に赤と黒のネルシャツを羽織り、緩めのデニムを履いている。

 「負けたまま終われねえ」

 鬼ヶ島へは船で渡る。しかし、通常こちらから鬼ヶ島へ行くことは出来ない。鬼ヶ島では『鬼』がルールだから人間は立ち寄ろうともしない。船頭へ多めにチップを渡し、夜の闇に紛れ船は進んだ。

 波に揺られる狭い船内、俺たちは無言だった。


 「じゃあ迎えはここへ、朝の6時に」鬼ヶ島に着陸すると、船頭は逃げるように元の道を引き返した。

 「急ごう」

 大昔、鬼と人間はお互いに暴力を振るわないことを法律で決めた。しかし、鬼ヶ島では人間がいない為、殴ろうが構わないだろうという風土が残っていると聞く。物騒なところだ。イヌ、サルと共に森林をかき分け進む。目指すは中心部にある『クラブ デーモン』だ。鬼は夜な夜な、仲間とそこでラップゲームに興じているという。



 『クラブ デーモン』はこじんまりとした入り口にネオンサインの【鬼】一文字が光っていた。入り口を通ると、地下へと螺旋階段が繋がる。

 階段をそろりと降りていくと高さ約三メートルほどはある重厚な扉が現れる。三人がかりでゆっくりと開くと、鼓膜が破れそうな重低音が耳に響く。

 暗闇にたくさんの小鬼が踊ったり、酒を酌み交わしたりしている。

 「調子どうよ、メーン」

 くるくるパーマの青鬼が酔っているのか、俺たちに絡んできた。雑魚に用はない。

 「センクスメン」軽くあしらったつもりだが離れない。青鬼が俺の腕を掴む。

 「あれ、おまえ桃太郎じゃね?」

 「だったら何だよ」

 「飛んで火にいるバカだぜ、ユーノウ?」

 青鬼が口笛を吹くとビデオカメラを持った太った黄鬼が走ってきた。

 「チェックチェック、こちら鬼ちゃんねる」

 ビデオカメラに生配信中のランプが灯る。

 拒否権はないらしい。まあ、ハナからやる覚悟だけどな。

 俺はじゃんけんで勝ち、先攻を取る。ここで負けるつもりはねえんだよ。


 「三下に用はない段違いのオーバーライド俺が桃太郎着火しよう言葉を 鬼ヶ島俺は仲間を探しに来た 皆が寝るまに 鬼フルボッコ お前らの眼を覚ましにきた 脳みそ沸き立つ鬼退治 お前らの島荒らしに来た」

 俺のターンが終わり青鬼が喋りだす。

 「なにいってんだ 何回来ようがしない雇用 死体小僧 機械小僧 雑魚には口なし言いたいこと 期待もそう つまり終わってんだ、バカみてえなドン、おまえだよ桃太郎 こっちはロン、上がっちゃってんの」

 「上がってんの? 下がってんの! おまえバース蹴る度こっち笑ってんの 鬼ヶ島そろそろボス鬼出しな言いたいことしっかり届く このカメラ見てるかゴミチャンネル」

 「ざけんなこちとら鬼ちゃんねる適当なライムでも飛び出しちゃう 下がってんのはそっちだろ桃太郎 おまえのオンナ キジさらってんの 泣いて謝ればどうにかするぜ 出来なきゃここで叫べサランヘヨ」

 青鬼は鼻息荒く俺を睨む。言葉の殴り合いに鬼も人間もない。

 強いやつが勝つ、それだけだ。


 「勝者、桃太郎ォォォゥー」

 俺は拳をグッと握りしめた。


 「騒がしいな」ひと際大きな鬼が奥のビップ席からこちらへ下りてくる。ボス鬼の登場だ。

 鍛え上げられた身体に黒のタンクトップ、首元にはあの悪趣味なゴールドのチェーンをぶら下げている。

 「鬼ッ」

 「遥々ここまで来たか桃太郎」

 「コイツラ、海に沈めましょうか」取り巻きが笑う。

 「フン、客人はビートでもてなせ」

 フロアのDJがスクラッチ。鬼は音に載せて舌を転がす。

 「YO、マイクチェック言葉を吐く どきな前説 解説不要、鬼だ ターンテーブル賭けな万券をゲトる安定の勝利を提供する 炎上する画面越しにヘッズは勉強する」

 まさにフロアをジャックして、雰囲気を完全に自分のものにした。

 これが鬼、俺は息をのむ。

 「キジを返してもらおうか」

 ヒリヒリする空気。瞬間に全てを込めるしかない。

 「いいぜ桃太郎、ただしフリースタイルで俺に勝てたらな」

 鬼は不敵な笑みを浮かべる。自信。俺は、当然、負けられない。

 先攻後攻のジャンケン。俺が勝つ。

 「後攻で──」

 取り巻きの小鬼が俺にブーイングを浴びせる。言ってろ。

 鬼がその大きな身体でビートを刻み始める。来る。


 「力 金 女 音楽 ビート上で転がす言葉極上の娯楽 にわか半端なやつ軽くワンパン まともなアンサー返してみろよピーチ野郎 イチ足すイチくらいでイキがってな リッチマンな俺の前戯でイッちまうってかビッチなキジくらいで必死になってらあたたせたままそこで待ってな」

 湧くオーディエンスたち。俺は身体を奮い立たせ、行く。

 「暖まってるぜ脳内はフルスロットル イヌ足すキジ足すサル足す俺 言っとくが俺の仲間は尻軽じゃねえ リリカルなだけの生き方 eiyo てめえの安い挑発には力まないその寒い下ネタには引き笑い 娯楽じゃねえ魂の言葉だ 内輪のノリでしとけlike a 弾き語り」

 互いに譲らず2ターン目が始まる。

 「ももたろさんももたろさん軽く弾き語るだけで四季またぐ つまり普遍的にして永遠 鬼唯一無二の霊験 アンビリバボーだからおまえにはない勝ち目 分かっただろ 次のバースで謝るか死ね 所詮人間生命儚くは散る」

 「謝る前にまだまだやる 何故か 俺は生まれた時から両親いない じいちゃんとばあちゃんの良心刻み 胸に寿命の秒針も刻み お腰につけたきびだんご えぐりだすライムに耳ダンボ イキガル 俺は聞き分け悪い 鬼さんこちらの引き立て役に」

 鬼の強さがひしひしと伝わる。すごい圧と声量だ。負けねえ。

 「引き立てろ逆にな 聞こえるつまらんギャグにな ハプニング 確認 俺は策士 隠し持ったものなどない丸裸ラブリーな悪人 マグニチュードナナテンゴー 悪と善 引き寄せるマグネット 浴びる熱湯 ぶち壊すヘルメット 鬼ヶ島ヘルなゲットー」

 クラブ内の盛り上がりは最高潮に達した。俺は声を振り絞る。

 「地獄からの蘇り 後遺症できちゃう揉み返し 桃太郎バッサリ軽々お仕舞いに 分かるよな淡々と鬼退治 鬼ヶ島から鬼追い出した 舞台から飛び降りました 時が来たんだこれは革命 新しい未来を俺は描くぜ」

 割れんばかりの歓声が、クラブ デーモンを揺らした。

 俺と鬼は睨み合ったまま目を離さない。

 どっちだ。

 『ショ、勝者ッ──』

 全員が呼吸を止め、静寂が場を通り過ぎた。



 『勝者ッ、鬼ッ、鬼ィィィ──!』

 イヌが膝から崩れ落ち、サルは頭を抱え込んだ。


 俺が負けた? 終わったのか。

 俺の視線は鬼を捉えて離さない。

 鬼は鬼で微動だにせず、俺を見ている。歓喜する小鬼たちは祝勝ムードに踊り狂う。

 「オマエラ、鬼ヶ島から生きて帰れると思うなよ」先ほど俺に負けた青鬼が息巻く。

 俺は負けたのか。敗北の悔しさと落胆が時間差で現れる。

 「桃太郎、逃げるしかねえよ」サルの声が聞こえる。

 「出直すぞ」イヌも言う。

 「逃がさねえヨ」小鬼たちが飛び掛かってくる。力を使い果たした俺は動けない。


 ここまでか――。

 

 『ズシィィィッンッッ!』

 その時、地面が大きく揺れた。

 『ズシイィィンッッ!』

 もう一度。いったい何だ。

 小鬼たちが地面に張り付き身体を固くした。

 


 「待て」

 それはボス鬼の足踏みだった。

 「桃太郎、キジは返す」

 鬼の一言に、場は騒然とした。

 「何言ってるんすか、ボス」小鬼たちは困惑する。「どうしちゃったんですか」

 「桃太郎、俺はオマエのヒップホップ嫌いじゃない」

 鬼は俺を見続けている。

 どんな意図があるのか俺にも分かりかねた。

 でも俺たちはフリースタイルを通して、俺たちにしか分かり合えない何かを交わしたのだろうか。

 奥のVIP席に捕らわれていたキジが解放される。

 「桃太郎! みんな」

 キジが俺に抱き着く。


 だけど俺はやりきれない。勝負に負けてなお、まだ言葉が溢れてくる。心の臓が強く、血液を送り出し、からからに渇いた喉から声を絞り出す。


 「これで終わりか 俺はモナ・リザ 生まれるまでの芸術もがいた ほら見たことか 誰かが言う クソみてえな一夜の明け方言う 晴れ渡る空の下おまえとバトル ただ望む またボトル開けてキックザバース 音に揺られてまた踊る」

 

 鬼が歯を見せて笑った。乾いた唇を舌で舐める。


 俺は耳を澄ませアンサーを待つ。

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鬼ヶ島フリースタイル合戦 森下千尋 @chihiro_morishita

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