第38話 お嫁さんの秘密②(怪物伯side)

 ユーリウスは何を言われているのかわからなかった。


 ――自分の幸せを対価にする?


 勇者らとの冒険の最中に、記憶喪失になったことはヴルムから報告を受けた。


 記憶がなくなったからと彼女を捨てるなんて、なんて薄情なやつらなんだ!

 危険な旅にそんな彼女を同行させられないという気持ちもわからないでもないが、だからといって心細い彼女をひとり教会に置いていくなんて、それはそれで酷だろう⁉


 そんなやるせない憤りを感じて、より一層、自分がアイルを幸せにしてやらなければと祖竜に誓い直したばかりで。


 それなのに、司教は訊いてくるのだ。


「調書に記していた『特殊能力』のことは覚えておいででしょうか?」

「……どうせ、治癒力増大とかだと思ったが?」

「違います。彼女の特殊能力は『未来予知』です。特に触れた人物の危険に関する予知が鋭く……お心当たりは?」


 ――悲しいことに、あるな……。


 不可解なことは、この一か月の間に何度もあった。

 たとえば、天空城に連れてきた翌日。突如二日酔いで倒れたかと思いきや、半ば無理やり魔物退治についてきた。油断していた敵の最後っ屁の攻撃を防いでくれたのがアイルだ。城に戻ったとき、前日あんなに喜んでいた露天風呂のことを忘れていた節があった。


 他にも、似たように直近の記憶を誤魔化すような場面が何度かあった。ダブルデートのときもそうだ。やっぱりいつもの二日酔いかと思ってあまり心配していなかったが、破損した防壁クリスタルに彼女は一切驚いた様子がなかった。あれも、未来予知で知っていたとしたら? そのあとも、彼女は前日の買い物時に、自分に大きな酒樽を担がせたことを失念していた。


 これらが、すべて彼女の『未来予知』と『その代償』なのだとしたら。

 彼女の失くした記憶は、すべて彼女が『幸せだと感じてくれた思い出』ということになる。


「この一か月間……アイルは元気に過ごしてましたか?」

「どの口が⁉」


 反射的に、ユーリウスはテーブル越しに司教の襟首をつかみ上げてしまった。

 怪物伯に詰め寄られ、司教とて怖くないはずがない。だけど、司教はただ苦笑するだけで。


 思わず、ユーリウスの語尾も弱くなってしまう。


「どいつもこいつも、そんな複雑な事情がある彼女を捨ておいて、彼女の幸せを案じる権利があると思っているのか……」


 苛立つ相手は、目の前の司教だけではない。

 おそらく勇者クルトらも全てを知った上で、アイルを捨てたのだろうから。


 憤るユーリウスを、司教は遥か高い空を見上げるようだった。


「貴方はとても強い御方だ。だけど……普通の人間なら、とても耐え切れぬのです。どんなに楽し思い出を作っても……作ったからこそ、忘れられてしまう。まだ思い出だけなら耐えられます。だけど酷い時は、自分のことすらも完全に忘れられてしまうのです」


 こんなに想像するだけで胸が苦しくなる話はあるのだろうか。

 ユーリウスはいってまだ一か月程度の付き合いだ。


 だけど、それが何年もの付き合いになったら?

 長い間共に積み上げてきた思い出が、一瞬のうちに消えてしまったら?


 ――もちろん、忘れられたほうも悲しいだろうさ。

 ――だけど、もっと一番悲しんでいるのは……。


「それでも最初、アイルは勇者たちを、怖がってすらいたんだぞ……」

「幸せな思い出が消えるからこそ、つらい記憶ばかり残っているらしいのです。それでも、彼女は賢い……つらい思い出しかないからこそ、その旅がとても楽しいものであったと、頭ではわかっているのでしょう」

「そんなの……余計につらいだけじゃないか……」


 聞けば聞くほど、救われない。

 ユーリウスは特段に神を信仰していないが、思わず恨んですらしまう。


 どうして、アイルにそんなつらいだけの宿命を背負わせてしまったのだろう。


「私に預けに来たときは、もう女魔導士の方の心が壊れかけていました。あのときの勇者らの苦しそうな顔は今でもよく覚えています」


 もう、ユーリウスの耳には司教の話が入ってこなかった。

 頭の中は、今も必死に治療に勤しんでいるだろうアイルのことだけ。


「噂に名高い『怪物伯』なら、本当に形だけの契約結婚になるかと踏んでいました。形だけの付き合いなら、それこそ大切な思い出が消えることもない――アイルにとって、平穏な生活を送れるまたとない機会だと思いました。ですが……その見込みは外れたようですね」


 そんなつらい思いをしながら、彼女は視た未来をどう変えてきたのだろう。


 ユーリウスは彼女と出会ってから、大きな怪我も病気もしてない。


 そのことが、自分も彼女に守ってもらっていたことになるのではないだろうか。そんな彼女が視た危ない未来を変えてもらったことが、一度や二度ではないのかもしれない。その代わりに、彼女が『幸せ』だと感じた記憶を失くしていたのだとしたら。


 ――たまらなく、愛おしい。


 決して、それは同情ではない。

 どれだけつらい想いを重ねようとも、いつも笑っていた彼女が。

 何もこちらに察せさせないように、お酒を楽しんでいた彼女が。

 それでもなお、周囲を守ろうという、気高い彼女が。


 誰よりも、誰よりも愛おしくて。


 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。

 乱暴に下ろされた司教が、とても嬉しそうな目でユーリウスを見上げていた。


「かの『怪物伯』が、こんなに情に厚い方だったとは」

「……誠に心外だな」


 求められていた冷徹さとは無縁の男が肩を竦めれば、やっぱり司教は目を細めている。


「あと、あなたにはアイルを守ってもらいたいとも思っていました」

「どういうことだ?」

「彼女の予知能力を求めて、ひっきりなしに参拝客が訪れるのです。大量の寄付金と共に」

「……もしや、エーデルガルド皇帝もか?」


 不可解だった伯父代わりの言動を尋ねてみれば、司教は静かに頷く。

 皇帝のアイルへの誘いも、自分への言葉も、彼女の能力を知ってのことなら納得がいくから。


 貴重な『未来予知』の能力を手に入れられれば、帝国の大きな力となる。

 それに、そんな力をユーリウスが手に入れても、持て余すと思われたのだろう。

 それこそ、アイル自身も、それを囲うユーリウスらも、狙われることになるのだから。もしかしたら、ユーリウス自身を案じてくれたからこその悪行だったのかもしれない。


「もちろん彼女の大切な記憶に値段など付けられませんから、私らも断ろうとしていたのですが……権力とか、諸々で、どうしても難しいこともあって……」


 だけど、たとえ司教が怯もうとも、ユーリウスの覚悟は変わらない。


「それがどうした? 俺は天空島の怪物伯だ」

「そうですね。なんたって、お住まいが空の上ですからね。客に羽でも生えない限り、会いに行くことすら叶いません」


 苦笑する司教をよそに、ユーリウスは出されたお茶を一気に飲み干す。

 もうすっかり冷えていた。だけど、それがかえって飲みやすい。


「正直、騙されたような気分だ」

「それなら、アイルは引き続き、私らが引き受けて――」

「馬鹿か? 俺から『お嫁さん』を奪うと?」


 知って受け入れるのと、知らずして受け入れる――ただそれだけのこと。

 お茶が冷えて飲みやすくなろうとも、お茶はお茶。


 アイルにどのような能力があっても。

 彼女がユーリウスの大切な『お嫁さん』なことに、変わりはないのだから。


「そんな事情があるなら始めから話してくれ。こちらにも多少の心積もりが必要だろうが」

「……受け入れてくださるのですか?」

「忘れられないくらいたくさん幸せにしてやればいいだけだろう?」


 ユーリウスがひどくあっさり言い放つと、司教の目から涙がこぼれる。


「あぁ、貴方に任せて本当によかった……」

「ふん……」


 男の涙に喜ぶ男などいない。

 別に意味で気まずくなったとき、扉がノックなしで開かれる。


 そこに現れた絶世の美少女こと、ユーリウスの最愛のお嫁さんアイルの姿に、ユーリウス今までの話を聞かれていたかと息を呑む。


 だけど、アイルの表情はとても固いものだった。


「勇者パーティが、全滅しそうなんだって」

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