6章 忘れられないキスの味

第37話 お嫁さんの秘密①(怪物伯side)


 ◆


 謎のダブルデートから、それは一週間後のことだった。


「私に教会に戻れって?」

「一時的に手を借りたいらしい……が、行く必要はないだろう」


 ユーリウスはアイルへの伝言をとても渋い顔で伝える。

 ……一応、伝える。お嫁さんへの秘密事が嫌だから。


 事の流れはこうだ。基本ユーリウスらは空の天空島で生活しているものの、一応貴族でもあるので地上との定期的な連絡が不可欠でもある。その際、魔物討伐依頼の代行窓口をしてくれている冒険者ギルドにあわせて連絡の応需もしてもらっているのだが……そこに昨日、教会から連絡があった。

 

 至急、聖女アイルへ助力を乞いたい――と。


 今日も今日とて、昼間から酒の匂いを纏っているアイルである。

 別に飲むというわけではなく、たまたまユーリウスが討伐先近くの村で見つけた『酒粕』なる白いものを持って帰ったら、これに魚や肉を漬けて晩酌のつまみにするというのだ。


 お嫁さんが料理に勤しんでくれるなど、男のロマン(ユーリウス比)。

 なので、そこに何の異論もないユーリウスだが……彼女への連絡内容がいただけない。


 ――一度捨てた聖女に、何の未練が?


 一応、背景を探った結果……ここ最近の魔物の増加により、教会へ治療を乞う参拝客が急増しているという。しかも最近、アイルが所属していた教会支部付近で大規模な魔物が発見されたことにより、その被害が急増した。


 その魔物自体は勇者クルトが討伐に向かったとのことだが……その被害者たちの治療で、今や教会は阿鼻叫喚の状態らしい。


 もちろん、依頼書にはアイルへの報酬も記載されていた。ユーリウスが見ても、なかなか悪くない金額だ。それこそ、彼女が身売りされた値段よりも高い。


 だけど、ユーリウスの答えは変わらない。


「そんな依頼、受ける必要ないだろ。言い値で買った俺が言える筋合いではないが、あんな破格できみを売った男だしな」

「いや、ほんとそれで買ったあなたが言えるセリフじゃないけどね」


 アイルが冷たい眼差しで言い放った途端、ユーリウスは「だから俺、めちゃくちゃ大切にしているじゃないか……」と項垂れるも、アイルは聞こえていないのか、何喰わぬ顔で手にこびりついた白い粕を落とし始める。どうやら仕込みが終わったようだ。


「まあ、いいよ。連れてってもらえるなら手伝うよ」

「どうして⁉」

「ずっとあなたに養ってもらうのも悪いなーって思ってたし」

「そんなの、きみはお嫁さんなんだから当然――」


 男たるもの、娶った女を養う義務がある。

 そんな思想は男の矜持だと信じて疑わないユーリウスだが、同時に、わざわざそのことに罪悪感を覚えていたアイルがいじらしいとも思う。男心も複雑なのだ。


 ともあれ、アイルは今日もかわいく笑っていた。


「それに、久々に教会の聖水をたんまり飲むのもいいかなって思ってね」




 そうして、アイルを教会に連れていったのは翌日だった。


「これは……」

「なかなかひどいね……」


 たしかに、教会の中は怪我人の死臭で充満していた。

 元から小規模の教会だったとはいえ、治療魔法が使える聖女や司祭が十人以上は所属している場所だった。しかし、今はその数も半分くらいか。所せましと床に横たわった怪我人・病人たちの間を、彼らはとても忙しなく駆けずり回っている。どの人も、今にも倒れそうなほど顔色を青くしながら。


 そんな光景に、一瞬眉をしかめたアイルが一歩踏み入る。


梟の祝福フェイ・オブ・オウル


 途端、彼女のまわりに光の魔法陣が包まれる。そこから放たれし温かな光が、教会中に広がった。次の瞬間、ユーリウスは臭いの変化に気が付く。目に見える変化はないが、淀んだ臭いが、どこかスッキリしたような気がしたのだ。どことなく空気も軽くなったような気がする。


 その変化に気がついだのは、当然ユーリウスだけではない。

 ずっと駆けずり回っていたうちの一人、一番小柄ながらに年のいった初老が振り返る。


「アイル……」

「とりあえず清浄の結界を張っておいたよ。なんか流行り病も便乗しちゃってるでしょ?」

「あぁ、本当にすまないね」


 それは、彼女を格安で売り飛ばした張本人である司教だった。彼女と生活を始めて一か月程度だが、その間で少しやせたのか。疲れ切った顔を隠せないようだが、その顔は彼女を売ったとは思えないほど優しい顔をしていた。


「無理を言ってすまないね。少しだけでいい、手を借りられたら――」

「御託は後でいいから。とりあえずあの二人は少し裏で寝かせよう。私は重症人から手当たり次第治療していけばいいよね?」

「あぁ、あぁ、本当にすまないね」


 何回も頭を下げる小さな司教に、アイルは「いいお酒楽しみしてるから」と小さく笑って。

 すぐさま、彼女が患者たちの輪へと入っていく。その途中で、元同僚だった者たちに休むように伝えれば、彼もアイルに向かって目を潤ませながら感謝を告げていた。


 ――なんだ、この状況は?


 彼女は教会から無理やり追い出されたような立場だったはずだ。いくら援軍に来たといっても……ここまで自然に出迎えられ、しかも感謝されるようなものなのだろうか。


 しかも、少し眺めているだけで、アイルがとても有能な聖女であるということがわかる。いや、先日のダブルデートのときも、そうだった。十数人がかりで行うはずの修繕を、ひとりであっという間にやってのけてしまったのだ。


 たとえ性格に難があろうとも、有能な聖女をあんな格安で身請けに出すとは考えにくい。


 ――何か、彼女にはとんでもない秘密があるんじゃ?


 ただの『のんべえ』だけには収まらない、とてつもない秘密が……。


「――と、ぼんやりしている場合じゃないな」


 何か遭ったらと同行したユーリウスだが、こんな惨状をぼうっと見ているだけにもいかない。

 外にはヴルムも待たせてあるし、物資の輸送や単純な力仕事など、何か自分にもできることはないかと指示を仰ごうとしたときだった。


「アイルに……司教も邪魔だから休んで来いと言われてしまいましてねぇ」


 やたらのんびりと、柔和に話しかけてきたのは司教である。

 アイルをもらい受けたときにも会話をしたが、やはりこの一か月で相当痩せていたようだ。今ではあからさまに目のクマも作った男が「少々お茶でも付き合ってもらえませんか?」などと言ってくる。


 こんな大量の病人らを前にして、流暢にお茶なんて……。

 そう思わないでもないが、その申し出はユーリウスにとっても渡りに船だ。


 促されるまま客間に通されると、司教はお茶を出すこともなくソファに浅く腰掛ける。

 そして、彼は神妙な面持ちで話し出した。


「あの子……アイルは、他人の未来を一つ知る能力の対価に、自分の幸せを一つ、その都度払わなければならない体質なのです」

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