第21話 泡モコエールが飲みたい!


 目覚めると、ピンクを背景にうさぎさんとくまさんが踊っている光景が目に飛び込んできた。なんやかんや改装を言い出せない、アイルの私室の天井だ。


 いつの間にか、アイルは天空城に戻っていたようである。


「アイル殿、大丈夫か⁉」

「いやあ、泡モコエール欠乏症で倒れちゃったみたい」

「そんな欠乏症は聞いたことないが⁉」


 ベッドに上がってきそうなほど前のめりなユーリウスの他に、リントもこの場にいるらしい。外の天気からして、あれから数時間かと算段をつけつつ、アイルは尋ねる。


「結局指輪はどうなったの?」

「あ、あぁ……注文は終わってたから問題ないと思うが……そんなことより、体調はどうなんだ? 熱もないようだし、一度医師を呼ぼうかとリントらと相談していたんだが――」

「大丈夫だよ。ただ月のが重たいだけだから」

「なっ……」


 途端、ユーリウスは顔を真っ赤にさせて。


「ゆ、ゆっくり休んでくれ!」


 と、慌ててアイルの部屋から飛び出していく。


 扉が閉まり、何かにぶつかったような音がして、足音が遠ざかり。

 賑やかな音がひとしきり止んでから、リントが苦笑交じりに肩をすくめた。


「まあ、うそがお上手なこと」

「バレた?」

「お嫁さまの洗濯をしているの、あたしだからね~」


 たとえウソがバレても、アイルとて本当のことを話すつもりはない。

 だからニコニコとしていれば、先に観念したのはリントのほうだった。


「まあ、心配ないならそれでいいけどさ。でも本当にヤバい時は早めに言いなさいよ。もうあたしたちは家族みたいなものなんだから」

「……うん。ありがと、リントちゃん」


 そうはそうとて、アイルは笑顔を崩すことなく。

 聞きたかったことを聞くことにする。


「ところで、今日行ったお店の店長とユーリウスはずいぶん仲良しなんだね?」

「あー、あの子ね。あるじの唯一と言っていい友達なんじゃないかしら。何代も前からお世話になっている店なんだけど、年も近いから幼馴染みたいな感じかしらねー」


 どうにも、あの若店主も若くして親を亡くしてしまい、周りの手を借りながらも十代半ばの頃から店の切り盛りを一人でしているらしい。


 ――似た境遇の幼馴染だったんだね。


 片や、空に浮かぶ不気味な島の伯爵として。

 片や、伝統ある武器屋の店主として。


 似た者同士だからこそ、『怪物』と『若店主』は互いの支えだったのだろう。


「ユーリウスは天涯孤独の身の上なのかと思ってたよ」

「あながち、それも間違いじゃないけどね。両親が立て続けに亡くなって、三歳くらいから寂しい思いをさせちゃっていた中で……幼馴染って存在は、あたしらにとってもありがたかったわね」


 リントはいつもより大人びた表情をしながら「あるじの剣を打ったにも彼よ。成人祝い。若いのにすごいわよねー」なんて懐かしんで。


 それに、アイルは少し切り込む。


「それにしては、ずいぶん寂れた様子だったけど……」

「あーね。少々金回りで失敗しちゃったらしくってさ。助ける意味もあって、お嫁さまの指輪の制作を依頼しようってなったわけだわよ。本当は直接融資してあげたいんだけど……それは断られちゃってね」

「なるほど……」


 ――つまり結婚も決まって順風満帆な怪物伯と違って、若店主は苦労真っ只中ってわけね。


 そんな二人の男たちを比べて、アイルはボソッと呟く。


「やっぱり、友達を倒すのはつらいよね」

「お嫁さま?」

「ううん、なんでもないよ」


 にっこりと笑顔で誤魔化したアイルに対して、リントは苦笑した。


「それで? あるじを追い払って聞きたかったのが、あるじの昔話?」

「いんや、ちがうよ?」


 即座に否定したアイルは、今日一番の笑みでジェスチャーする。


「泡モコエールを飲みに、連れていってもらおうと思って」


 それはもちろん、グイッとジョッキを飲み干す仕草だ。




「こんな夜更けにどうしたんですか⁉」

「一緒にお酒でもどうですか?」


 アイルが再び寂れた武器屋をノックすれば、若店主が驚いた顔で裏口に案内してくれた。


 それもそうだろう。なんたって美少女が酒瓶を片手に一人でふらっとやってきたのだ。家に入れない男はいない――と、アイルは勝手に思っている。


「ちなみに、ここに来たことをユーリウスは……」

「あ、内緒で来てますよ」

「まじか~」


 頭を掻く若店主の耳が赤く見えるのは、暖炉のせいか。


 ともあれ、裏口から住宅部分に案内されたアイル。そこにはキッチンと、家族用の木造テーブルが並ぶ、やたら整理整頓されたリビングがあった。むしろ、生活感がなさすぎるほどに。


「スッキリした部屋ですね」

「……物を置いておくのが、あまり好きじゃなくってさ」


 その一席にでーんとアイルが座れば、綺麗に磨かれたグラスが二つ出てくる。


「それじゃあ、私が――」

「そこはおれの役目でしょ」


 アイルがエールを注ごうとするも、酒瓶は奪われてしまって。

 手慣れた様子で注がれていくエールに、アイルは思わず感嘆の声を漏らした。


 黄金色がパチパチシュワシュワと、グラスの淵を飛び出して盛り上がるモコモコモコっと膨れる白い泡との対比が美しい。


 まさに芸術品である。さすがこの町の生まれ。エールの注ぎ方が上手い。


「それじゃあ、かんぱーい!」

「はは、乾杯」


 無理やりジョッキを合わせてから、アイルが一気に飲み干せば。喉を通っていく気持ちよい苦みと、鼻に残る柑橘を思わせる清涼感。一気に飲み干すのに、時間はかからなかった。


「寒い夜に冷たいエールもオツだねー。このアワアワの喉越しがサイコー」


 アイルが白いひげを作って飲み終わる頃には、若店主も気持ちよく一杯飲み干していた。その様子に、アイルも口元を拭いながら口角をあげる。


「いやあ、飲めるクチですねぇ」

「だてにこの町に生まれちゃいませんからね。てか、意外だなあ。まさかユーリウスのお嫁さんが酒好きなんて」

「あの人、お酒飲めませんからねぇ」

「いや、飲めるほうだと思うけどな。かわいい女の子の前だと緊張しているんじゃない?」

「ありえそうかも。怪物伯のくせに、変なところ小心者というか」

「ロマンチストだしね。指輪はおれのセンスでまともにしたつもりだけど……部屋とかさ、大丈夫? 前にチラッと相談受けたとき、けっこうだったと思うけど」

「あ、ダメです。うさぎとくまがダンスダンスしてます」

「あ、うん。どんまい」


 そんな共通の話題で盛り上がりながら、ふとアイルの脳裏によぎるのは、今度のパーティーのドレスのこと。


「もしかしたら、またピンクとレースのフリフリなマリアージュなドレスを提示されたりしますかね? あの人の女性の好みとかわかりますか?」

「女の好みは……大方の予想通り、昔から女の子らしい女の子に夢見ているよなあ」

「その発端とはあったりするんです?」

「おれが知る限りだと、あいつ小さい頃は本ばかり読んでいてな。まあ、空の上じゃそれしか娯楽がなかったからかもしれないが……それで読んだ本の影響がってやつかと」


 たしかに基本空の上で子供ひとりで楽しめることなど、たかが知れている。

 その中で、男の子らしく冒険小説とか読んでいたなら。

 その中で、登場するヒロイン……お姫様とかに憧れを抱いたのなら。


「まあ……こんなのんべえがお嫁さんでどんまいってやつですね」

「はは、でもお嬢さん見た目だけならお姫様も顔負けのかわいさだから」

「言葉通り喜んでおきますねー」


 若店主の失礼な言葉を酒の席の愛嬌だと流せば、彼はメモにサラサラっと何かを書いて渡してくる。

 

「それなら、ここのデザイナーのドレスが着てみたいとかおねだりするといいよ。おれの知り合いで、かなり信用できるデザイナーだから。隣町に彼の既製品が置いてある店もあるよ」

「へえ、明日にでも誘ってみようかな! 上目づかいで『一緒にデートしたいの♡』と言えばいいかなー」


 なんて、アイルがお茶らけて話せば、


「……うん、ぜひそうして」


 どことなく、若店主の表情が暗くなって。


 ――これはそろそろ、本題に入りますかね。


 アイルはさりげなく切り出した。


「ところで最近、お困りのことなどないですか?」

「おれ? 特にないけど――」

「私、これでもけっこう優秀な聖女だったので。お役に立てると思いますよ」


 アイルが聖女スマイルを作るも、若店主は頭を掻くだけ。


「気持ちはありがたいけど、おれ別に健康だしなぁ」

「身体は健康でも、心は死にかけかもしれないじゃないですか」


 そんなアイルの言葉に、若店主の瞳孔が少し開く。

 アイルはちびちびエールに口を付けながら、呑気に口を動かした。


「自殺だけはやめたほうがいいと思いますよ。悪魔になっちゃうんで」

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