第6話 ドラゴンの祝福

 ユーリウスの片腕にはおどろおどろしい文様がついていた。

 その黒い模様は、まさに鱗のよう。


 ――呪いだとしても、かなり強力だろうな。


 おそらくアイルには解けない。むしろ解ける人など誰もいないのではなかろうか。それこそ、ドラゴンなど超常的な存在でなければ。


 しかし、当の本人ユーリウスはあっさりしたものだった。


「フェルマン領主の証だ。生まれた時にこれがある者だけが、この飛行島の領主になれるんだ」


 そんな話、アイルは初耳である。


 空飛ぶ島は、怪物伯が住まう不気味な島。

 だってその島が頭上に来れば、必然と太陽が隠されて世界が闇に閉ざされてしまうのだから。


 それが一般人の常識で、だからこそ怪物伯が恐れられている理由の一つである。

 だけど、その領主はあっさりと、丁寧に説明してくれた。


「そもそもどうしてこの島が空に浮かんでいるかといえば、祖竜と呼ばれる太古の『暁のドラゴンモルゲンロート』がこの島にいるからなんだ。その祖竜の力を受け継いだ者の証がこの文様であり、実質祖竜の力を引き出して、俺がこの島を動かしているというのが実態だ」


 さらに彼が語るには、島自体を浮かしているのは祖竜自身であるという。その祖竜の魔力が世界各地を放浪しているからこそ、各地の魔物は祖竜に怯えて密かに暮らしているので、人間も比較的平和に生活できているのだという。それがなければ、どんなに冒険者たちが魔物を狩ろうとも、その力と数の暴力で、あっという間に人里など襲撃されてしまうだろうと。


 そんな大事な世界の秘密を、初めて耳にしたアイルは目を見開く。


「なんかあっさり話してくれちゃってるけど……それ、国家秘密に値する情報なんじゃ?」


 だって、もしその事実が公開されようものなら……その島を狙って、多くの者がこの『怪物伯』を捕らえようとするのではなかろうか。人間を操る術なんて、拷問や洗脳、薬や魔法、裏の世界には色々とあるものなのだから。


 それこそアイルは力ある聖女だ。人の心に関与する秘術だって使えないことはない。

 もし今ここでユーリウスの意識を乗っ取れば、脱走のみならず世界を牛耳ることだってできてしまうだろう。


 だからこそ、アイルは尋ねるのだ。


「そんなこと、私に話していいわけ?」

「きみに話さないで誰に話すんだ。きみは俺のお嫁さんなんだぞ?」


 それまた、壮大な話のわりにあっさりとした返答である。

 嫁だから、話した。


 それをまた顔を赤らめて言うものだから……アイルはまた言い返すことができない。しかも、ユーリウスは言うのだ。


「リントらが祖竜が人間と交わったことでできた直接のこどもでな。俺もそのこどものこどもの……遠い末裔だ。だからこいつらは俺のひいひいひいばあ――」

「あたしはお姉ちゃん。おーけい?」

「おーけい♡」


 ユーリウスが思いっきり足を踏まれて痛そうにしているのを見て、アイルは即座に受け入れる。そこで歯向かう理由はない。それよりもリントの小さい身体のどこに大男が痛がる重量があるのかのほうが謎である。


 それはともかく、そんなありがたい曰く付きの文様を見て、アイルは少し口を尖らせた。


「ご先祖様からの祝福を呪いだなんて言って悪かったわね」

「あ、いや……こちらこそありがとう」

「ありがとう?」


 思わぬ感謝の言葉にアイルが小首を傾げれば、ユーリウスはまたしても恥ずかしそうに顔を押さえていた。


「正直、地上から『空を飛んでいるなんて気持ち悪い大陸。落ちてきたら大変だなぁ」くらい思われていることも知っていたから……すんなり受け入れてくれて、この文様のことも『祝福』なんて素敵な言葉で言ってくれて……やっぱり女の子っていいな』

「そこで男と女は関係ないと思うよ」


 いい感じの雰囲気なんて刹那である。

 視線を潤ませるユーリウスに対してすぐジト目に戻ったアイルはため息交じりで聞いてみた。


「てか、地上からそんなこと言われっぱなしで『怪物伯』は悔しくなかったの?」

「悔しいというか……困ることはあったな、結婚とか」


 途端、言葉は出さないもののリントがわたわたと慌てだす。

 だけどそれに気づかないユーリウスは平然と話を続けた。


「物騒で薄気味わるい天空島だろ? まず招待しても誰も来てくれない。そもそも見合いの調書を送っても、向こうからよりよい返事を貰える方が少ない。なんせ不気味な島の怪物伯だからな。そんなこんなで三十連敗したのち、初めて先方から話しが来たのがアイル殿で。しかもこんな愛らしい女の子なんだ絶対に逃してたまるかと……あ。」


 思わずアイルが噴き出した時、ユーリウスはようやく喋りすぎていたことに気付く。

 そんなあからさまな半裸の大男が面白くて、アイルは大きな口を開けて笑った。


「あははっ、おっかしー。そんな情けない話を出会って初日の嫁にする?」

「そ、それを言うなら……きみだって男の半裸を見て恥ずかしく思ったりしないのか、女の子だろう⁉」

「いやぁ、たしかにいい身体だと思うけど、昔からけっこう見慣れて……うん。見慣れていたような気はね、するようなしないような……」

「なんだ、その歯切れの悪い物言いは?」

「……さあね」


 その質問に、アイルは答えない。

 代わりに少し前かがみになって、彼を見上げた。


「それよりも、これから晩酌にありつけるという話を聞いているのだけど?」


 口角をあげるアイルに、ユーリウスもまた嬉しそうに胸を叩く。


「あぁ! とびっきりの馳走を用意してやるから待ってろ!」

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