第2話 怪物伯が泣いた
さて、所せましと並べられたスイーツである。
ケーキはもちろん、クッキーなどの焼き菓子やゼリーやプリンまで、アイルの記憶にあるすべての甘味が目の前にあると思う。どれも色鮮やかで、王宮で出されても遜色ない逸品である。
見上げれば、怪物伯ことユーリウス=フェルマンがニコニコとアイルのことを見ていた。そわそわしている。早く食べてほしい。口に出さずとも、そう思っていることが窺える動物っぽさだ。
対してアイルは、あのまま教会にいたら、いつ『禁酒』を命じられてもおかしくない状況だった。なので、たとえ自分に待つのが生贄としての『死』だとしても、それまで好きなだけ酒が飲めるならという一点だけでついてきたアイルは尋ねる。
「これ、毒入り?」
「んなわけあるか」
ユーリウスはあからさまに落胆した様子だった。だけどすぐさま気を取り直して、手近のクッキーをモグモグと食す。そして、その皿をアイルの前に差し出した。
「これでいいだろう? さぁ、食べてみろ」
「すみません。私、甘い物があまり好きではなくて」
「…………」
毒が入れられている可能性は捨てられない。痺れ毒で動かなくさせてからバリバリ食すのかもしれない。そう、目の前のクッキーのように。
――あるいは、私を太らせてから食べるとか?
アイルはどちらかといえば細身である。
現にユーリウスは何も言ってこない。
読みが当たったかと見上げれば……彼はシクシクと泣いていた。
「女なのに……甘い物が好きではないだと……」
「いや、それ偏見」
そして、怪物伯はヨレヨレと食堂を出て行ってしまう。
「ていうか、お酒は⁉」
スイーツの酒池肉林ではなく、ガチの酒池を待っていたアイルとしては唖然とするしかない。
「本当に歓迎のしるしだったとか?」
まぁ、たとえ毒が入っていようとも、即死でなければ自分で解毒もできる。
彼が食べていたクッキーを一枚、おそるおそる食べてみる。甘すぎず、だけどチョコレートのザクザク感がたのしいクッキーだ。淹れられていた紅茶も一口。砂糖が入っておらず、まさにスイーツの口直しとして最適なほどよい渋みとわずかな甘み。少しだけブランデーの香りがする。ブランデーの香りだけ紅茶に移したティーロワイヤルである。
「悪くはないかな」
アイルがまた他の菓子に手を伸ばそうとした時だった。
「ちゃんとしたお酒は夜に用意してあるわよー」
「先ほどはあるじが失礼を働きましてすみません」
入ってきたのは、とても小さなメイドと執事だった。ぱっと見、五歳くらいだろうか。メイド服と燕尾服がまるで衣装のようでとてもかわいらしい。そっくりな暁色の瞳からして、双子だろう。だけど見た目にそぐわないしっかりした口調に、アイルは警戒を崩さない。
対して、メイドっこはケラケラ笑っていた。
「あたしはさっきも会ったんだけど、こちらの姿では初めましてだね。リントちゃんで~す。これでもあなたよりお姉さんだから、遠慮なく頼ってちょうだいな」
「お姉さんって、おばあさんの間違いじゃ――」
執事っこからの指摘に、メイドっこが思いっきり肘鉄を食らわす。
だけど執事っこも痛がるそぶりはなく、礼儀正しく頭を下げてきた。
「ぼくはヴルムといいます。この城にはあるじと我々しかおりませんので、どうぞ気兼ねなくお過ごしください」
「待って、我々しかいないって――」
今いる食堂だけでも、簡単なパーティーができそうな広さがある。それなのに使用人が二人しかいないとはどういうことか。
しかしアイルの疑問も彼らの想定内だったのだろう。メイドっこリントはにっこりと微笑んだまま説明を続けた。
「なんせドラゴンの住処だからね。しかも空飛んでいるわけだし。まともな人間はこんな場所で働きたくないでしょ?」
ドラゴン――アイルの記憶では、それは伝説上の生き物だ。
『竜』と名の付く魔物はいれど、あくまで魔物。知性は獣と同等レベルの、基本は羽の生えた巨大トカゲである。
だけど、ドラゴンは違う。人間と同等、もしかしたらそれよりも高い知性を持ち、永遠とも呼べる長い時間を生きる架空の生物……のはずなのに。
リントは自身を指してニヤニヤしていた。
「お嫁さまは、怪物伯はドラゴンを使役するって噂は聞いたことない?」
「その話は、ただ竜を誇張しただけかと思っていたんだけど……」
「それが本物のドラゴンなんだな~! さっきはあたしが二人を運んであげたの。これからはあたしたちがどこにだって連れていってあげちゃうわよ。あたしのお気に入りの場所、たっくさん案内してあげちゃうわね!」
――まじかぁ……。
この少年少女らの話が本当だとするならば、ドラゴンが擬態化して人間の姿になっているのだろう。聖女のアイルが目を凝らせば、かなりの魔力を秘めていることが窺える。
「つまり私は、まじでドラゴンに食べられると……」
「まぁ……そういった表現もあながち間違いじゃあない?」
「ちょっとリント」
どうやら、リントというメイドっこがお茶目なタイプで、ヴルムという執事っこが真面目で損な役回りをする関係であるらしい。
――どんなにかわいい双子であれ、私が生贄であることは変わりないんだけどね。
だけど、アイルもそれなりの好奇心がある。
「ドラゴンってことは、二人はいったい何歳――」
「それは聞いたらダメで~す♡」
「は~い♡」
リントの笑みから禍々しい魔力が漏れている。
どうせ死ぬのだとしても、アイルも『お姉さまに年齢を聞いたら殺されました☆』なんて滑稽な理由で早死にしたくはない。なので物わかりよく返事をすれば、二人はほとんど手を付けられていないテーブルを残念そうに見てから、アイルを促した。
「それでは、お嫁さまのお部屋に案内しますね」
もちろん、アイルは大人しくついていく。
果たして、どんな部屋が用意されているのだろうか。
普通に考えれば牢獄か。無駄に怪我をさせないように何もない場合もある。
アイルはどんな部屋を案内されても、驚かないように決めた。
そして、心の中でひっそり意気込むのだ。
――こっそり、食べられる前に抜け出す算段をつけてやる!
そんな覚悟を胸に、開けられた扉の中を覗く。
だけど思わず、真顔でツッコまざるを得なかった。
「新手の拷問か?」
壁から床からベッドから、すべてがピンク。
そんな女々しさを盛大に勘違いした部屋に、アイルは眩暈を覚えた。
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