涙が溢れる毎日に

@himawari1024

第1話

電話を切った。

目の前が急に真っ白になった。

息をするのさえどんどん危うくなっていった。

しかし自分の状況をコントロールしなければならない。

授業があとちょっとで始まる。

教室には100人余りの生徒がいる。

そんな中で急に呼吸困難になるわけにはいかない、泣くわけにもいかない。みんなを困らせるわけにはいかないし、私の今の状況を誰かに説明するなんて、そんなことできない。

けど、今すぐ誰かに言いたい。


助けて


と。

誰か今すぐ私を病院に連れてって。

タクシーを呼んで。

自分で立ち上がれる自信がない。

病院まで辿り着く自信がない。

時間がない。

今すぐ向かわなければ。

授業が始まり、先生が教卓で話し始めた。しかし私はそれに反して、机にあるものを片付けだした。物語のヒロインだったら全てを置いていって何も考えずに教室を走って出ていっただろうか。

私はリュックに全てを入れ、先生の話の最中、クラスで一人立ち上がった。

皆が私を見る。しかしこんなこと気にしない。

私は教室の出口に勢いよく向かった。

生徒が勝手に立ち上がるなどよくあることだ、そこまで恐れる必要はない。せいぜい先生に質問されるくらいだ。

きた。

「 さん、どうかしましたか。」

先生の信頼をある程度得ておいてよかった。

「早退する時間だったの忘れてて、早退します。担任にもいってあります。」

話に来たのが大学生のお手伝いさんであるTAでよかった。担任はこの授業担当じゃないし、下の職員室にいるだろう。だからそう簡単にはバレない。バレたとしても、彼なら理解してくれる、、、と信じてる。

うまく説明できているだろうか。

声は震えていないだろうか。

うまく顔を作れているだろうか。

何もかもが心配だ。とにかく学校から出してくれ。今出ないと間に合わないんだ。本当に、、、

「わかりました。」

TAはあっさりいかせてくれた。この一連の会話を見て安心したのか、授業担当の先生も安心して、話を続けた。

この学校は防犯対策がつくづくなっていない。まあそんなところが楽で好きなのだが。

あとは一階に降りて、受付を通らずに出ればいい。幸いにも一般的なビルに入っている私の学校は一階と二階のそれぞれの部屋はビルの共通の階段もしくはエレベーターを使わないといけない。つまり、部屋に入らなくてもビルからは出れる。よって、階段で運悪く自分の担任にさえ出会わなければ、私はビルから簡単に出れるということだ。まあ最悪、自分のメンターに出会ったとしても、うまく誤魔化せばいいだろう。走るのもありだと思ったが、何気に自分のメンターは強いし、運動神経がいい。なんにせよ少林寺拳法を何年もやってきたのだ。それに対して私は学校に体育の授業がないのをいいことに、運動を一切していない、中学でも体育の実技にはものすごく苦労していた、元から運動神経の悪い、不甲斐ないJKだ。追いかけてきたのが仮に自分の担任でなかったとしても、普通に他の先生やTAに追いつかれるだろう。やはり日常的にポイント稼ぎをして自分の偶像を作るとは良いことだ。

私は最終関門である階段で誰にも会わずに、無事にビルから出ることができた。

そこからはタクシー探しだ。

幸いにもキャンパスの右脇にある、新宿方面の坂を登れば、ときたまタクシーが通ってる。そこに通ってなくても、左に曲がってちょっと歩けば大通りだ。タクシーぐらいいるだろう。

いや、いてくれないと困る。

私は全力を出せない代わりに小走りで坂を登り、タクシーがいるかを見渡した。坂の上の小道にはタクシーはいなかった。

そういえばこの坂では友達が二回も転んで毎回大出血をしてたっけ。

なぜこんな時にこんな無意味でどうしようもないことを考えているのか。

自分のことが嫌になりながらも、この考えを消し、タクシー探しを続行した。

心拍数が上がる。

いや、さっきからずっと上がりっぱなしだ。

目の中で堰き止めていた涙がもう決壊しそうだ。

涙袋よ頑張ってくれ。それが君の役割だろう?

街中で、しかも新宿の栄えている方の道のど真ん中で、遅刻して今登校中の学校の人も多い通学路で泣きたくはない。

お願いだから、

力を貸して。

心拍数が上がっているからだろうか、頭が他のことでいっぱいだからだろうか、心の余裕がないからだろうか、タクシーが全く来ないことに本当にイラつく。

時間が早く感じる。

きっとまだ学校から出て二十秒も経ってない。けど、この寒い冬の風に打たれながらタクシーが来ることを待ってる一秒一秒が無駄に感じる。今すぐタクシーに来てほしい。この祈ってる時間ですら無駄だ。今すぐ乗って病院へ向かいたい。向かわせてくれ。

私は左に曲がって、大通りに向かい始めようとした。そこで待ち始めて十秒しか経ってないのに、まだ来るかもしれないのに、私の中ではその十秒が永遠のように感じられ、すぐにタクシーに現れて欲しい欲が毎秒大きくなって、大通りへ足早に向かった。

動き始めた瞬間に、神の因果なのか、天使の優しさなのか、女神の慈悲なのか、ものすごい幸運にも、一台の黒いタクシーが現れた。しかも私が好きなタイプの、東京オリンピックに向けて大量に増えた、ボックス型の黒い少し大きめのタクシーだ。

この絶望的状況で、少しの希望の兆しを見せてくれたようだった。

「✖️✖️病院へ。」

乗ってすぐに、出せない声を振り絞って、叫ぶように震えた声で言っていた。自分でも限界だとわかっているのだ。

けどいくしかない。

行って私はどうするのだろう。きっと泣くことしかできないのに。

こんな現実的なことを考えてどうするのだろう。私は医者でも看護師でもない。そこに行ってできるのは泣くことだけだ。

当たり前だ。

私は一般人。

ましてやただのJKだ。

あとは、そんなことになってほしくないが、もしかしたら、、

最後を看取ること。

それが私が行ってできること。

尚更行きたくない。

けどみんなの無事を確認したい。

みんなに会わせて。

タクシーが運よく来てくれたのであれば、みんなも運良く助かってくれ。お願いだから。私はみんななしでは生きていけない、、、、

みんながいなければ、、

みんなのいない毎日なんて悲しい。寂しい。無理だ。

そもそも私はまだ高校生だ。自分の生活能力がない。

ていうか私は自分で言うのもなんだが、箱入り娘でおまけにお嬢様だ。アルバイトもしたことないし、住まいは恵比寿で自分の活動領域は山手線の品川から新大久保までだ。本当に少ない。これから私はどうすればいい?

家事もできない、勉強も全くできない。

私にあるのは語学とかわいい子でいること。このかわいい顔面は使えそうだ。できれば好きな人のために使いたいけど。

頭がまたもや白くなった。なぜ私はこんな時にまた自分のことを考えているのであろうか。本当に恥ずかしい限りだ。本当に私は、どうしようもない人間だ。

これじゃ彼氏がいないのもうなづける。何気に私のこと好きな男はいるんだけどね〜。どうしようもないことを考えると気が紛れる。けど絶対にこんな時にやるべきことじゃない。

けどじゃあ私はどうすればいいの?

スマホアプリのマップに書いてあるものによると私はこれから30分間車に揺られて病院まで行く。私はその間、ずっと両親と妹に何があったのか、具体的にわからず、ただただ心配しておかしくなりそうな状況に陥っていなければいけないのか。回線やインターネットという機械を伝ってスマホに聞こえた医師のその機械的な話を、私はその瞬間に受け入れなければならないのか。十分前までだった幸せを、素晴らしかった毎日が急になくなったかのようにしなければいけないのか。まだ何も確定していないのに。

私には到底無理だ。

第一まだ何も確定していない。

また笑えるかもしれない。

深く考えすぎだろうか。

たかが交通事故だ。

いや、でもされど交通事故。

車を持っていない家庭だから自分は交通事故への意識が低いのだろうか。

よく考えてみれば普通に交通事故で人は死ぬ。

私はなぜ両親と妹がそうでないと言い切れるのか。本当に世間を知らないにも甚だしい。

でもじゃあどうすればいいのか。

皆の無事を祈ればいいのか。

そんなこと存在しないただの心の拠り所に自分の運命を投げ出すことだ。

それはできない。

ぼーっとするのだ。何も考えない。

とにかく三十分揺られるのだ。

どうせ行ったこの無い病院である以上、着くまで私は着いたか着いていないのか分からない。

ある意味彼が私の運命を握っているから、今の私にとっての神様といえば、このタクシーの運転手だ。

彼がどれだけ真面目に運転し、賃料を多く取ることを考えず、どれだけ最短ルートを見つけ、どれだけ渋滞にハマらず、どれだけ私を尊重してくれるかに全てがかかっている。言っちゃなんだが、他力本願という宗教の形からしたら、この運転手は本当に私の神だ。

運転手の名は郷田さん。

今から三十分間、私は郷田教の敬虔な信者になろう。

活動内容は今から三十分間、自分ではどうしようもないことについて考えないこと。

家族の容体、彼らにあんなことが起きた原因、手術が成功するかしないか、、、これが考えてはいけないことだ!

改めて頭を真っ白にする。

真っ白にしようとすればしようとするほどできなくなる。

しかも真っ白になるんじゃなくて、「真っ白」と言う言葉で頭が埋め尽くされていく。

こんな時は特に。

というか頭は真っ白にするものではない、空っぽにするものだ。

だから頭を空虚にする、バカにする、の方が表現としては正しいような気もする。

木が緑だ。

空が青い。

少し暑い。

窓を開けよう。

風が冷たい。

冬だなあ。

赤い木々。

もう紅葉か。

ママと見たいって言ったっけ。

京都に行きたいみたいな話したよなー、、

ママは大阪がいいんだっけ。

それでうちは清水寺。

着物着れたらいいな。

本当にお金をいっぱい使おうと思って、ダメな娘だ。

だめだ。

何も考えない、ことはできなかったので、関係のないことについて考えようとした。しかし考えれば考えるほど家族の話が自然に出てくる。

無理もない、週7で家族と一緒にいて、おまけにパパはスペイン思考で家族愛が重すぎるめんどくさい父親だ。とにかく毎日喋ってる。頭から離れない、、、

どうすればいいのか。

タクシーでも泣きたくなかった。

泣いてしまったらタクシー運転手さんがとても気まずいから。私はどうすればいいのだろう。

涙袋よ。

もう一度言うが働いておくれ。君の意義は涙を止めることだろう。

悲憤、哀願、憤慨、後悔、憎悪、興味、困惑、恐怖、とにかく心の中で泣きたい理由となる思いの数々が渦巻き、私の心の臓を叩き、刺し、蹴り、内壁を何度も破ろうと試みていた。

だが止めようと必死だった心の臓の雄叫びも虚しく、感情たちは内壁を破り、私は一滴の大粒の涙をこぼした。

そこからは一瞬だった。

私の心の臓が感情で破裂し、それに応じて涙袋など決壊したダムのように絶えず涙を流した。

可愛いJKであろうと萌え袖を意識し続けていた両手で顔を覆い、朝に時間をかけてメイクをした、先程まで可愛かった、涙で不細工になった顔を隠そうと必死だった。いや、不細工さだけでなく、この先の不安、葛藤、恐怖、そして強い孤独感をも隠そうとしていたのだ。

涙を落とすたびに発する声もどんどん震えていき、嗚咽に成り果てていた。

予想通り、タクシーの運転手は最初の方は困惑した。しかしその後、予想に反し、何かを決めたかのように前方を睨みつけながら、真っ直ぐ素早く直進し始めた。

運転手は何も聞かず、とにかく直進し続けた。進み続け、三十分の道のりを、彼は十五分で完遂した。この運転手は偉大な神だ。

郷田教を信仰していてよかった。

病院に着いた私は、開いたドアから勢いよく体を放り出し、そのまま院内へ走り出した。

院内にいる大勢の人たちを目に留めることなく、邪魔な人たちをかき分けて受付の列に割り込み、先頭に君臨した。

「葱花です!私の家族が搬送されたと聞きました。どこですか!!」

自分で驚くほど強情で無神経な文言で、しかも叫び半分の声で受付の事務員に家族の場所を聞いた。

一連の私の身勝手な行動を見ていた事務員は驚き、若干軽蔑しながらも、私に同情する表情を見せ、すぐさま立ち上がった。

事務員は足早に受付カウンターから出て、小走りで左方向に動き出した。病院に着いたことで少し安心し、事務員の焦って走る姿に少し呆然としていた私に

「早くしてください!こちらです!大丈夫ですから一緒にいきましょう!」

エールを送りながら喝を入れ、私の体を心から動かした。

重かった足で一歩を踏み出し、私は徐々に小走りをしていった。

さっきまであんなに家族に会いたかったのに、急に怖くなった。

死んでしまっていたらどうしよう。

そんな不吉な思いが頭をよぎる。

パパが、ママが、りのが、あんなに強くて大好きな3人が死ぬはずがない。

頭を真っ白にするのと一緒の容量で、頭の中を3人が大丈夫だと言う言葉で埋め尽くした。

大丈夫

大丈夫

大丈夫

たった一つの言葉で自分を後押しして支えながら、溢れる大粒の涙で前がまともに見えない状態で、嗚咽のせいでうまく呼吸できない状態で、体が震えてうまくうコントロールできない足をなんとか動かす状態で、意識が遠のいていきそうになるのをギリギリのところで引き留めている状態で、とにかく早い事務員に置いて行かれまいとがっついていた。

事務員も私に希望を持たせるかのように、常に

大丈夫

大丈夫

きっと大丈夫

と言う言葉を繰り返しながら走っていた。

自分のコンディションが悪いからなのか、もしくは相手が本当に早くて私の足が遅いからなのかは知らないが、まだ走り続けていることに驚いていた。走り出してからものすごい時間が経ったようにしか思えなかった。

手術室はどこだ。

いくつもの廊下を無視し、いくつものドアを無視して走った。

いくつかのドアには手術中の赤いランプもあった。

この先にも手術室があるのか。

本当に大きい病院だ。

突如、事務員の足取りが遅くなった。どうやら院内無線で他の医者と話しているようだ。

途端、事務員の顔が蒼白になった。

彼女は私の手首を取り、手荒く歩き始めた。

来た道を少し戻り、とある手術室の前で止まった。

「ここです。あなたの家族はここで手術を受けていました。」

いました、、、?

どう言うことだろう?

「今はどこにいますか?」

事務員は難しい顔をした。最も効いてほしくなかった質問をされた人のように、彼女は悲痛の顔を浮かべ、押し黙った。

そして再び口を開けたかと思うと、

「妹さんは、まだこの中にいます。まだ少しでも助かる可能性があると言うことです。」

はあ。

この人は何が言いたいのだろうか。

今一番辛いのは私なのに、なぜ事務員は持っている情報をさっさとこちらに渡してくれないのか。なんでそんなに辛い顔をしているのか。

何を言われても、言われてなくても、一番辛いのは私なのに。

事務員は再び歩き始めた。

何も言ってくれなかったが、私はどうせ手術室内には入れない。その前にあるベンチで座って泣くこともできるが、それではより心が壊れてしまいそうだった。何か有用なことがしたかった。無意味な時間を過ごしたくなかった。家族のために動ける間は動きたかった。

事務員は右に曲がり、曲がってから3番目の左側の部屋の前で止まった。私を上から下まで見て、私を哀れむかのような表情を見せた。

事務員はドアを開けた。



②家族の死

頭が真っ白になるというのはこういうことか。

本当に何も浮かばない。

考えられもしない。

いや、思考を放棄している。

見ることすら放棄したい。

私の涙腺はいつの間にか枯れていた。

泣ける涙すらない。

感じる感情すらない。

ただただ、真っ白なのだ。

事務員がドアを開けてからの数十秒間、私は突っ立っていた。

最悪が起こってしまったのだ。

部屋に入らなくてもわかる。

ここが地獄だと言うことが。

きっとこれは夢だ。

信じなくてもいい夢。

きっと起きたら何もなかったかのように、全て忘れて、いつもの朝の準備をするのだ。

そうでしょう?事務員さん。

私はどんな顔をしていたのだろうか。隣にいる事務員さんにこれが夢だと確認するために右に顔を向けたとき、事務員は私を見て、目に涙を浮かべていた。

そして同情しながらも無神経に、音を発した。

「右の遺体がガジェゴ・エミリオ様、左の遺体が葱花緋愛様です。本日、、、」



死んだのだ。


家族が。



私はこれから一人なのか。




結局私は、家族の死亡届を書いた。

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