わたしの脳内仙人

カニカマもどき

わたしの脳内仙人

 仕事帰り。スーパーの冷蔵食品コーナーにて。

 わたしは大いに悩んでいた。

 夕食後のデザートに、シュークリームを買うべきか。ヨーグルトを買うべきか。

 それが問題だ。


 いや、食べたいほうを正直に選ぶとすれば、わたしはシュークリームが食べたいのである。

 しかし、コトはそう単純ではない。

 今のわたしは、十代の頃のわたしとは違うのだ。

 何が違うって、運動量とか新陳代謝とかが違う。

 欲望のままにカロリーを摂取し続けるのはマズイということを、にわかに実感し始めるお年頃なのである。

 よって健康面を考慮すると、ここは低カロリーかつビフィズス菌が豊富な、ヨーグルトを選択するのがベターと思われる。

 いやでも、頑張った自分へのご褒美としてシュークリームを頬張ることこそが心の健康にとってはより良い選択であり、それが結果として身体にも好影響を……


 うーん、ダメだ。

 わたしだけでは判断できない。

 だけど大丈夫。わたしには、こういうときのための秘策があるのだ。

 その策とは――

 脳内で、仙人に相談することである。


 ☆ ☆ ☆


「ほっほっほ。いかがなされた」

 呼びかけに応じ、脳内相談スペースに仙人が権現する。

 白いヒゲと眉毛に顔の大部分を覆われた、推定六百歳のおじいさん仙人だ。

「実は、かくかくしかじか」

「ほう、食後のデザートとな」

 仙人は思案するように、しばし首を傾げ……そして、ゆっくりと口を開く。

「むしろ」

「むしろ?」

「いずれも食わぬというのはいかがか」

「いずれも!」

 なんとまあ。

「どちらかを選ばねばならぬという固定観念を捨てよ。あと欲も捨てよ。かすみを食うて生きるのじゃ」

「で、でもそれだと心の健康が……」

「おぬし、そんなことでは立派な仙人になれんぞ」

 いや、別にわたしは仙人になりたい訳ではない。

 うーん、でも、そっか。そういう回答になるよね。

 食の相談を仙人に持ち込んだ、わたしが間違っていたのだ。

 仙人は霞しか食わないからなあ。


 〇 〇 〇


 気を取り直して買い物を済ませ、わたしは帰路につく。

 時間を使い過ぎたようで、辺りはもうすっかり暗くなっていた。

 さて。ここで早くも、次の問題が浮上する。

 ちょっと暗くて人通りが少ない近道を使って帰るべきか、それとも明るい大通りを使って帰るべきか。

 近道したいのは山々なのだが、わたしとて、うら若き乙女の端くれ。

 暗い夜道の独り歩きは、何かと危ないのではないか。

 ここは再度、仙人に相談してみよう。


 ☆ ☆ ☆


「ほっほっほ。今度はいかがなされた」

「実は、かくかく……」

「しかじかという訳か。なるほどのう」

 仙人はヒゲを触りながら考える。

「ふむ。夜道にはどのような危険が潜んでおるかの。狐狸こり妖怪の類か?」

「妖怪は出ないけど……出るとしたら、引ったくりか変質者か」

「であれば、仙術や気功で撃退できよう……と言いたいところじゃが、未熟者のおぬしではまだ無理じゃな」

 いや、今後仙術を使えるようになる予定もないが。

「うむ。ここは無難に大通りを行くのがよかろう」


 〇 〇 〇


 そういう訳で、わたしは明るい大通りをてくてくと歩く。

 うん、やはり明るい道は安心感が違う。

 急がば回れとも言うし、こちらを選んで正解だったな。

 仙人、ナイスジャッジ。

 などと考えていた矢先、目の前に不審な男が現れる。

「動くな! 身ぐるみ全部置いていけ!」


 ……これは完全に想定外。

 この令和の時代に、よもや追いぎに出くわそうとは。

 隠れるという行為をやめた、イケイケなタイプの追い剥ぎさんなどは、こういった明るい大通りにも出現し得るのだなあ。


 などと、のんきなことを考えている場合ではない。

 わたしは状況を確認する。

 周囲に人はいるが、突然現れた追い剥ぎがホンモノとは信じがたいようで、すぐには助けてくれそうにない。

 大声で助けを求めたいところだが、そういった行動に出ると、追い剥ぎさんの持っている薙刀なぎなた(これまた古風!)でバッサリやられそうだ。

 つまるところ、大ピンチである。

 仕方ない。

 こういう、危機が差し迫った状況で使うのは初めてだけど……


 ☆ ☆ ☆


「ほっほ……」

「かくかくしかじかっ!」

 わたしは仙人に緊急相談を持ち込む。

 当然ながら、相談中にもピンチは続いているので、急がなければならない。

「ふむ。こういうときのために、仙術や気功を習得しておけばよかったのにのう」

「いや、習得できないから! 何か無いの、他にこの場を切り抜ける方法!」

 この仙人、意外とバトル脳だから困ってしまう。

 少しの間、仙人は眉を下げて考えるが……

「……無いのう。こうなったら、流れに身を任せるしかあるまい」

「ジーザス!」


 〇 〇 〇


 そんなこんなで、ピンチ継続。

「さっさと身ぐるみ置いてかねえと、こうだぞ!」

 追い剥ぎさんが吠えて、薙刀を突き出してくる。

「危な! ちょっ、落ち着くのじゃ!」

 慌てるあまり、ちょっと仙人口調がうつってしまった。

 口調を真似したからといって、仙術が使えるようになる訳でもない。

 うむ。万事休すか。


 そのとき。

「ふんっ!」

 声とともに、追い剥ぎさんの首に、背後から誰かの腕が巻き付いた。

「ギエーッ!」

 腕は、ギリギリと追い剥ぎさんの喉を締め上げ――あっと言う間に、意識を刈り取ってしまった。

 どさり。

 追い剥ぎさんが倒れると、背後に立っていた男の姿があらわになる。

 わたしを助けてくれた、なんかやたら強いその人は、一見どこにでも居そうなサラリーマンの姿をしていた。


 その後のことは、あまりよく覚えていない。

 サラリーマンの人や、通報を受けて駆け付けた警察の人などといろいろ話したはずなのだが、ふわふわして現実味が無くて、ほとんど上の空だったのだ。


 でも今、改めて考えるに――

 わたしの脳内に仙人が居るように、あのサラリーマンの脳内には、きっと、コマンドーとかグリーンベレーとか、そういった存在が居るのかもしれない。

 あのサラリーマンは、そのコマンドーとかのアドバイスをよく聴いて、日頃から心身を鍛えているのだろう。

「……わたしも」

 仙術や気功は無理だが――近々、太極拳でも初めてみるか。

 自宅のリビングでシュークリームを頬張りながら、わたしはそんな風に思った。

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わたしの脳内仙人 カニカマもどき @wasabi014

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