絶えない文化『乱交』
法律はガバガバ、下半身がガバガバの未開の地においては、乱交は世界各地で、理由をあげつらっては(あるいはそれさえも無く)よく取られた方法だ。
三世紀、つまり西暦200年中盤あたりには、日本でも豊穣にかこつけて乱交をおこなっていた。乱交といえば、イギリスの流刑地オーストラリアでも、罪人が大陸についたときにやはり乱交パーティーをやらかしている。こちらのオーストラリアの件はまたいずれ、私のコピペ文書を探し出して、また引用をおこなう。
以下が引用元。
『江戸の居酒屋』 著:伊藤善資 洋泉社 2017 p17,18
乱交パーティで豊穣を願う
三世紀前半で弥生時代は終わり、飛鳥時代になると、祭配権を持っていた各地の首長屋は「歌垣」などを主催し、飲酒が盛んに行われるようになっていた。
歌垣とは、 農村で春と秋に行われていた祭祀儀礼だ。とくに春の歌垣が盛大で、村の成人男女がこぞって酒や食べ物を携えて山に登る。満開の花を見たり(花見)、下界を見たり(国見) して、秋の収穫が成功するように神々に祈る。 これは前祝いの「予祝行事」と呼ばれる。
その後は、飲めや歌えの大騒ぎとなり、男女の間で歌合戦が繰り広げられ、はては性的解放へと進む。こうした行為はすべて神に奉げられ、飲食や歌舞、性的解放が盛んであればあるほど、 その年は豊作とされた。
つまり、酒を飲めば飲むほど神は喜び、 秋の大収穫を約束してくれるとされ、 あくまでも神に捧げる神聖な行事として行っていたのだ。
秋も同様で、その年に収穫された初穂(最初に実った霊力ある稲穂)と御神酒が神に供えられ、その後、御神酒と供物をいただく(神との共同飲食)。さらに歌や舞があり、神に感謝と祈りを捧げ、翌年の豊穣を祈念して祭は終わる。
歌垣の様子は、八世紀初め頃に編纂された「風土記』に、鮮やかに描かれているので、それ以前からの習慣と考えられる。
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