私のゆりかご

月島ノン

二人に芽生えたもの

「…この人好き…」


ある日、サヤという女性はあることに気づいた。

自分がハイブリストフィリアであるということ。


犯罪性愛、性的倒錯の一つなどと言われているハイブリストフィリア。

新聞の見出しとそれに付いていた写真で、そのことに気づいたのだ。


『過去最悪の無差別殺人鬼、ミヒャエル・レイが精神病院に収容!遺族からは死刑を望む声が…』


その見出しの横には写真があって、彼の顔が伺えた。

まぁ…マスクを被っていたが。


「どうしよう…彼が好き…こんなの感じたことがないよ…」


初恋は見事、殺人鬼に射止められたということになる。

どうしようもない思いに駆られ、精神病院の住所を調べ始める。


「わりと家の近く…読まれないだろうけど、手紙書いてみようかな。」


彼女はミヒャエルに手紙を書いた。


《宛先ミヒャエル・レイさん》

ミヒャエルさん、こんにちは。

あなたが殺人鬼ということは知っています。

私はあなたを好きになってしまったようです。

異常だということは理解しています。それでも、あなたが愛しい。

あなたが素顔を隠している理由はわからないけど、嫌じゃないよ。

私からすれば、ミステリアスでかっこいい!

もしそこから逃げ出して、人を殺めるなら私もその一人にしてほしいな。

住所も書いておくね。私の元に来れるように……

《あなたのファンより》


彼女の愛は歪であった。

彼に殺されることほどの誉れは無いと。


「後は送るだけ。ああ、ドキドキする!もし読んでくれたら、私の元に来てくれるかな…?いや、そんなの夢のまた夢だ…」


封筒に入れて住所と宛先を書いた後、外に出てポストまで歩く。


「あら、サヤちゃんこんにちは!」


近所のおばさんが挨拶をしてくれた。


「こんにちは。手紙を出しに行くところなんです~!」


サヤは明るく人当たりが良いので、近所の人からも慕われている。

ポストまで着いたので、手紙を入れて家に帰る。


「届きますよーに!」


ポストの前で祈っていると…


「おっとー?可愛い子ちゃん、ポストの前で祈るってなにしてんの?」


「…お前には一生理解できないよ。くそ野郎。」


話しかけてきたのは近所で有名なやんちゃボーイ、チャールズだった。


「俺と付き合ってくれたらいい待遇、約束するぜ?」


「お前なんかと一緒に歩きたくない。」


チャールズはサヤのことをかなり気に入っていて、かなりの確率でナンパされる。しかしサヤはチャールズを嫌っている。


嫌になったサヤは、さっさと家に帰ってしまった。


「相変わらず振り向いてはくれねぇか。ガードが固い女ほど燃えるって知らないのかよ…」


近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばし、チャールズはどこかに向かった…




その日の夜…精神病院にサヤの手紙が届いた。


「おいくそ野郎、手紙だとよ。お前なんかに宛てるなんて変わり者もいたもんだな!」


「………………………」


その言葉に一切反応することなく、ミヒャエルは黙って壁を見つめている。


「けっ…気味の悪い奴だ…」


覗き窓から手紙を入れ、看守はその場を去った。

しばらく経った後、ミヒャエルは手紙を拾いあげる。

無言で封筒を見つめ、中を覗く…


「……………?」


不思議そうに手紙を読んだ後、彼の心には…ある変化が起きていた。




「彼の行動からするに…脱走するのはこの日かな?」


一方、サヤはというとミヒャエルが脱走しそうな日を考察していた。


「これは収容所からの移送がある…ここだな。」


壁に貼られたボードに、たくさんの赤い線が引かれている。


「この日なら彼は逃げ出せる。住所わかってくれたかな…ていうか、読んでないか。」


少し悲しい気持ちを押し殺して、再び調べ始める。

…その日、サヤは徹夜でミヒャエルの脱走ルートを考察していた。


翌朝…


「ふぇ…?寝てたのか。」


気づいたら、ソファーの上で眠っていたらしい。

寝ぼけたまま、朝ごはんの準備をする。

国民食でもあるベーコンエッグだ。サヤは料理があまり得意ではないが、これなら作れる!と毎日続けている。


「うんまぁ…ミヒャエルにも、食べてほしいなぁ。」


二人で一緒にいたい。手を繋いでみたい。会いたい。

想いは募るばかり。


「彼はどんな風に私を殺すんだろう?胸に包丁かな。それとも絞殺?ふふ…面白くなってきた…!」


恍惚な表情を浮かべながら、自身の死に様を考えてみる。

はたから見たら、かなりヤバイ奴だろう。


「私は罪人つみびと…彼に殺されるに値する人間です。神様、私の声をお聞きください…少しばかりの血と引き換えに。」


彼女には自傷癖があり…

昔から、『死は希望であり、生きることは罪である。』という考えの下、生きてきた。そんな彼女はあることに希望を見いだし、生きている。


そう…それが自傷である。

血が流れる瞬間だけが、生きながら死に近づける。

それが辞められず、彼女の腕は傷痕でいっぱいになってしまった。


「今日の一本…」


今日も、自身の体に死を刻んだ。

血が流れると、少し心の昂りも落ち着く。

すると…


「夜8時のニュースをお届けします…」


「え!?もう8時…」


これはいけないと血を拭き取り、急いでお風呂に入る。

血が垂れていてもそんなことは気にしない。

そしてサヤには別の日課があり、それはお風呂で自分の気持ちを歌うこと。


「神よ…聞いて、聞いて、私の声を…」


今日の歌は、どうやら少しおかしい…


「私は罪人…彼は処刑人…私たちは踊るの…長い夜を…消えたくなるような哀しい夜を…」


彼女の心は、もう釘付けである。


「うふふ…発散できた!今日はちゃんと寝ようっと…」


ベッドに寝転び、またミヒャエルのことを考える。


「もうすぐ、彼が脱走するチャンスが訪れる。場所の検討は着いてるし…後は待つのみ!」


天に拳を突き上げ、サヤは眠りに着いた。




ミヒャエル「…………………」


「予定より早いが、これより移送を開始する…まずはミヒャエル・レイ、出てこい。」


ミヒャエルは無言でそれに従う。


「早く車に乗れ!」


看守がミヒャエルを蹴る。


「……………………」


微動だにせず、そのまま車に乗り込む。


「本当に気味の悪い野郎だな…」


他にも複数人の患者を乗せて、車は出発した…



午前8時、少し遅めの起床時間。


「起きた…何しようかな。そうだ、テレビで移送の状況確認しないと…」


テレビをつけると、そこには…


「…!? 精神病院の患者、移送中に事故発生…複数人が脱走…これって…ミヒャエル…?」


かなり焦り気味で、何かの準備をする。


「やだ…まだクッキー作ってない!お茶も煎れる準備しないと!」


少しも驚くことなく、急いでお菓子の準備を進めていく。


「速報です。◯◯州のガソリンスタンドで、何人かの遺体が発見されました。検察は先ほど脱走した患者が容疑者と…」


「ミヒャエル、やっぱり逃げたんだね!来てくれるかな…」


クッキーの味見をして、準備は終了。

あとは彼が来るかだが…


「忍耐強く待たないとね!ニュース見てよう…」


ニュースでミヒャエルの動きを観察しながら、今か今かと待っていると…


ピンポーン…


午後6時頃に、誰かが訪れた。


「誰だろう…ミヒャエルかな…!」


目を輝かせて扉を開けると…

そこには誰も居なかった。


「何だ…?おかしいぞ。まぁいいや。」


そう言って振り向いた時…


「!?」


「よお…こんな夜に裏口の鍵開けてちゃ駄目だろ?」


チャールズが居たのだ。


「何でここにいるんだよ…早く出ていけ!不法侵入だ!」


「そんな固いこと言うなって。お、クッキーあんじゃん。」


それに手を出そうとすると…


「それはお前のじゃない!さもないと殺すぞ!」


怒りを露にするサヤにチャールズが近づく。


「へぇ…お前でもそんなこと言うんだ?殺すとかなんだってさ…馬鹿らし。どうせできもしねぇくせに…」


少し怖がるサヤにどんどん近づいていき…


「っっ…触るな…!」


腕を押さえつけられて、抵抗できないサヤの首筋に触れる。


「なぁ…俺の女になれって。そうすれば丸く収まるだろ?だから早…」


グサッ…


チャールズの胸から包丁が飛び出す。


「がっっ…!?誰…」


ブシュッ…


今度は、勢いよく包丁が引き抜かれる。


「…?」


倒れるチャールズの後ろに目を向けると…


「ミ…ミヒャエル…?」


血塗れの服を着て、包丁を片手に持ち、マスクを被った男…そう、ミヒャエルがいた。


「………………?」


不思議そうにサヤを見つめる。


「ミヒャ…あ…あ…」


恐怖でろれつが回らないサヤの首を掴み、宙に持ち上げ壁に押し付ける。

包丁を胸に当てられ、今にも殺されそうな時でもサヤは…


「ミヒャ…エル…愛…し…てる…」


ミヒャエルへの愛を示した。

苦しい状態だが、なんとか言葉を絞り出す。


ミヒャエルはしばらくサヤを見つめた後、手を放した。


サヤは落ちる。


「げほっ…げほっ…あ…ごめん…名前言ってなかった…」


こんな時でも、サヤは変わらない。


「私はサヤっていって…えっと…お茶煎れるね?いいかな…」


「………………」


返事は無かったが、お茶を煎れ始める。


「あの…クッキー焼いたんだ…口に合えばいいんだけど…」


ソファーに案内し、テーブルにクッキーを置く。

ミヒャエルは何だかわかっていない様子なので、食べていいよと教える。


マスクを口元までめくり、クッキーを一口…

その様子を固唾を飲みながら見つめるサヤ。


かなり異様な光景だが…


「ど…どうかな…?」


無言でクッキーを口に運び続ける姿に、サヤはホッとする。


「じゃあお茶…煎れるから。」


急いでキッチンに行ってお湯を沸かす。


「気に入ってくれたのかな…?嬉しい。」


チャールズの死体があることなど忘れて、念願の時間を楽しむ。


「お茶できたよ。熱いから気をつけてね…」


クッキーを食べ終えていたミヒャエルの前にお茶を置く。


すると…


ポタポタッ


サヤの顔から、涙が滴り落ちる。


「あ…ごめん…なさい…怖いわけじゃ…ないんだけど…涙が…」


死体を見たショック、嬉しさ、恐怖、色々な感情が入り交じった涙だった。

お茶を飲んで一息ついたところで、サヤが話し始める。


「ミヒャエル…今日は来てくれてありがとう。あなたを愛する者の一人としてとても嬉しかった。」


「…………………」


返事が無くても、サヤは気にしない。


「なぜ喋らないのかとか…なぜ人を殺すのかとか…世の人は色々言いたいんだろうけど、私はあなたのすべてを受け入れるよ。改めて言わせてね…これからもずっと愛してる。ふふ…なんだかプロポーズみたい。」


優しく微笑むサヤの横に、ミヒャエルが座り込む。


ギュッ…


ミヒャエルがサヤを抱きしめた。

戸惑っているサヤだったが、慌てて抱き返す。


「うふふ…ありがとう…人生で一番幸せな時間になった…!」


すると…


「…サヤ…?」


「!? …喋るの…無理しなくていいんだよ…?」


「無理…じゃ…ない…」


ミヒャエルが口を開いたのだ。

ずっと無言を貫いていたので、サヤも心配する。


「さっき…は…ごめん…首…痛い…?」


「もう大丈夫だよ、気にしないで。私も最初、怖がってごめん…嫌だったよね…」


抱きしめるのをやめて、ミヒャエルはサヤの手元を見る。


「……………?」


そこにはたくさんの傷が。


「…あいつに…やられ…たの?」


「あ、違うよ!私が自分で…」


「なんで?」


サヤは答えに困った。

自分が死を望んでいることは、彼に伝えていない。


「私…ちっちゃい頃から、希死念慮?とかいうのがあって…それで…」


「死にたい…?」


ミヒャエルに問われ、サヤは初めて気づいた。


本当は、自分が死を恐れていたことに。

死はただの終わりにすぎないとわかっていたことに。


「僕は…君が好き…だからもう…やらないで…僕も人…を殺さないから…」


自分の気持ちと決別するのに、少し時間がかかったが…


「…うん…約束する…もうしないよ。」


約束を受け入れた。

すると、ミヒャエルはマスクを脱ぎ…


「僕の顔と…約束…覚えててね…」


微笑んでそう言ったあと、キスをした。


心と心が触れあった、世界一…愛の溢れるキスだった。


「覚えてる…!その瞳も…髪も…何もかも…ずっと覚えてるよ!」


サヤがそう言うと、ミヒャエルは立ち上がり玄関に向かった。


「ありが…とう…サヤ…そして…さようなら…」




その後、ミヒャエルは自ら警察に自首をし、逮捕された。

それがマスコミに知られると、すぐに記事になり…


『あの無差別殺人鬼が自首!?一体何が…』


真実を迫られても、彼は口を開かなかったそうだ。

今でも、私以外に真実を知る者はいない。


彼は数回の裁判の後、死刑を言い渡された。

己の間違いを知り、泣いて乞っても、彼が戻ることはなかった。


私は彼との約束を守るため、精神科に通うことになり…


今でも、私は自宅の庭にある小さなお墓に毎日通っている。

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