第2話

「それでは今度の水曜日、定休日なんですけど、その日から来てくれますか?」

 定休日?なんでだろう?と思いつつも「わかりました。お世話になります。」深々と頭を下げた。


「すごいじゃない香!このマスターは従業員は雇わない主義の人なんだよ!」とパティシエ店長が私の肩を抱きながら興奮している。

「店長、なんで香をバイトで雇う事にOKしたの?」

 店長は「珈琲嫌いの子が、初めてウチの珈琲を飲んで、すぐに雇ってくれって言った。それだけですよ。」静かに、でもなんだか嬉しそうに話してくれた。

 水曜日、学校帰りに直接、お店に行く。初出勤である。


「こんにちは!今日からお世話になります!」

「よく来ましたね。まずはこれに着替えてください。」

 真新しい、白いカッターシャツ、黒いズボンとベストとネクタイ、丈の長い黒のエプロン・・・。



「これが、君の制服ですよ。汚れたら予備もありますからね。」

「それでは、始めましょうか。」ほうきとちりとり、バケツに雑巾を渡された。

「これって・・・。」

「はい、今からするのは大掃除です。そうしたら、どこに何があるか早く覚えやすいでしょ?」微笑みながら、マスターは言う。


「ハァ、ハァ、疲れた・・・。」

 自分の家でもこんなに掃除することはなかったので、疲れは倍・いや三倍。

「お疲れ様、珈琲をどうぞ。」



 出してくれたのは昨日の珈琲とたまごサンド。少し甘めのたまごが珈琲によく合う!

 ニコニコしながら味わっていると、

「本当に美味しそうな顔をしますね。」



 私はハッとして、「変な顔をしてませんでした?」

「大丈夫です。あなたの笑顔は周りを幸せにしますよ。そういう顔です。」

「ありがとうございます。それと、私のことは香と呼んでください。」

「さすがに、呼び捨てはできません。そうですね・・・これからは香さんと呼びましょう。」


「それと・・・」店長は真剣な顔をして、「私が珈琲を炒る時は、絶対に話しかけない事。約束してくれますね。」

「どうしてですか?」

「この部分で珈琲の味が変わりますから、集中したいのです。それと、僕の技術は基本、見て盗んでくださいね。」



「どうしてですか?」何度も聞いては失礼かな・・・。

「こればかりは、説明しようがないもので。自分でやってみて、自分で炒った珈琲を自分で飲む・・・。こうやって皆、成長するんですよ。」

「私も将来的には、マスターのような美味しい珈琲を淹れる事が出来るんですか?」

「いつか、きっと。もしかしたら、僕より美味しい珈琲を淹れるかもしれませんよ。」

「いえいえ、そんなことは、絶対にないです!」でも、少しうれしかった。


 こうして、バイト初日が終わり、次の日・・・。

「こんにちは。今日もお世話になります。」

「ああ、おはようございます。香さん、挨拶の仕方なんですけど、私に最初に会った時は、「おはようございます」か「お疲れ様です」と言ってくれませんか。」

「どうしてですか?」

「今日、私の顔を見るのは初めてでしょう?ですので朝、目覚めて家族や学校の友人に会う時と同じようなものと考えてください。これは、朝昼夕関係なしで、初めて会った時は「おはようございます」と言う。これがこの世界の常識なんですよ。」



「なるほど、初めて会った人には、おはようございますと・・・。」

 すると、店長は慌てて「お客さんには普通に「こんにちは」「こんばんは」でいいですからね!あくまでも、業界人との挨拶限定だと思ってください。」と訂正された。


「カランカラン」扉につけてある鐘の音色が聞こえる。

 今日初めてのお客さんだ。

「いらっしゃいませ。」「い、いらっしゃいませ!」

「おや、新人さんかい?マスターが人を雇うって珍しいね。」

「ほら香さん、お客さんにご挨拶をしてください。」

「は、初めまして!香って言います!よろしくお願いします!」ペコペコと  何度も頭を下げながら挨拶をする。


「ハッハッハァツ!面白い子だね!緊張しなくても大丈夫!とりあえず、お水とおしぼりをもらえるかい?」と腕時計を外しながら言ってくれた。

「わ、わかりました!」


 お水は冷水とレモンを入れたガラス製のサーバーがあるのでそこから。おしぼりは自家製で業者は入れてないとのこと・・・。なぜでしょうか?と質問をすると、そんなにお客さんは来ないからねと返ってきた。


 お客さんに、お水とおしぼりを出す。

 お客さんはおしぼりで手を拭きながら、「マスター・・」

「いつものですね。」

「相変わらず、解ってるね!」

「香ちゃん、マスターの動きをよく見てなよ!勉強になるから!」

「ハッ、ハイ!勉強させてもらいます!」


 マスターは何種類ものコーヒー豆を取り出し、ゆっくりと焦がさないように炒って行く・・・。私に出してくれた時とは違う匂いだ・・・。

「はい、どうぞ。」コーヒーミルをお客さんに差し出し、ゴリゴリと豆を挽くお客さんが、「これが、僕のオリジナルブレンドだよ。匂いを嗅いでみるかい?」とコーヒーミルの蓋を開ける・・・。



 「いい匂い・・・。でも少し大人っぽい香りですね・・・。」そう思ったことを正直に話すと、マスターとお客さんがヒソヒソと話をしている。

「マスター、この子、才能あるんじゃないか?」

「ええ、私もそう思います。」

「何の話ですか?」

「いえ、何でもないですよ。」とマスターとお客さんはニッコリ笑う。


 ドリップから、珈琲のいい匂いが立ち込め、マスターの動きを思わず見るのを忘れてた事に気づき、慌ててマスターの手に視線をやると、お客さんが

「香ちゃん、さっきはよく見ろって言ったけど、やっぱり今は勉強よりも、慣れる事と楽しむことに専念したら?」とアドバイスを受けました・・・。


「はい、お待ちどうさま。」私も小さなコップに入れた珈琲を試飲・・・。

 私が飲んだ珈琲よりも少し苦みがある匂いではあるのだが、決して嫌味な苦みではない・・・昨日面接した喫茶マカロンの珈琲となんで違うんだろう・・・?そのことをマスターに聞いてみた。



 すると、マスターは大笑い。後で作ってあげますよと言ってくれたけど、なんで今じゃないんだろう?でも、マスターは今から珈琲を淹れている・・・。


 一時間ほど経って「はい、お待ちどうさま」とだされた珈琲。

 思わず、「ウッ!」と声を上げてしまった。

「なんで、こんな珈琲になるかわかりますか?」

「これはね、長時間煮詰めていた結果の味なんですよ。いわゆる、作り置きと言う物ですね。そんな長時間火を入れ続けるような事をすると、香りも何もかも飛んでしまって、ただの苦い飲み物になってしまう訳ですよ。」


「あぁ、あの喫茶店の珈琲かい?あそこのはダメだね。安いばっかりで、飲めるもんじゃない。この店と大違いだ。」

「ひょっとして、このお店の珈琲って高いんですか?」

「ん?1500円だけど?」

「珈琲一杯で1500円!高い!」

「確かに高いね。でも、その価値はある。だから通う。それだけよ。」

 お客さんは笑いながら「それにそんなに高い店なら他の客も来ないから、こうやってゆったり出来る訳だ!」



「儲けたいのはやまやまなんですけどね。でも、どうしてもこの値段になってしまいます。本音はもっと値上げしたいぐらいですよ。」

「値上げってどれぐらいなんですか?」と恐る恐る聞くと

「ん~、一杯2500円〜3000円ぐらいですかね?それで、利益がでるかどうかと言うところです。」

 えー!珈琲一杯、3000円!いい所でランチが食べれますよ!そんなに高い物なの?珈琲って!

 だから、うちは「ブレンド」しか出さないのですけどね。とマスターは言っていた。




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 『喫茶 ちいさな窓』では今時珍しくレコードでJAZZを聞くことができる。


 私にはJAZZはよく解らないな~と思っていたら、「香ちゃんにも解る曲をかけてあげてよ!」とお客さんが言う。マスターがレコードを取り出すと、どこかで聞いたような、聞いたことがないような・・・。


「あっ、これってヱヴァの・・・?」

「そうそう、フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンって曲。」

「あの曲って、もともとジャスだったんですね!」

「そうだよ、元はジャズだったって曲が、他にもいっぱいあるから、ジャズをたしなんでみるのもいいよ。」


「さて、香ちゃんがジャズに興味を持ったところで、マスターあれ掛けて!」

 マスターがレコードを入れ替える・・・流れてくるのは、しゃがれた声のおじさんが何か英語で言っている・・・ラップ?いや違う。何だろうと思っていると、やさしい曲が流れてきた。


・・・「この素晴らしい世界」。どうやら、ルイ・アームストロングっていう人の曲らしい・・・英語はわからないけど、タイトルにぴったりの曲調で、この「しゃがれた声」でないといけないと思う位に心にしみる優しい曲・・・。

これからは、ジャズの勉強もしていこう

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