召喚直後の聖女は推しに求婚する 〜夢かと思ったら違っていたけど愛され妻になれました〜

柴野

前編

 目の前に、推しがいた。

 毎日のようにゲーム画面の中で見てきた相手だから間違いなかった。


 ほんのり茶色がかった赤毛に、見つめられるだけで思わず胸がときめくようなはちみつ色の瞳の美丈夫だ。少し悪戯っぽく歪められた唇、すらりと通った鼻筋まで、何もかもが美しくて目を奪われる。


 こんなイケメン、きっと世界中のどこを探しても他に見つからないだろう。

 ……三次元になった私の推し、最高過ぎる。


「あの」


「……何だ? 俺に何か言いたいことでもあるのか」


 形のいい眉を顰める彼に、私はぐいと身を乗り出す。

 すぐそこに毎日毎日私を癒し続けてくれた彼がいるのである。これがどうして平静など保っていられようか。少なくとも私には無理だった。


 たとえ、あとで虚しくなってしまっても構わない。

 興奮と勢いのままに、叫ぶようにして嘘偽りなき欲望を高らかに言い放ったのだった。


「私、朝比奈あさひな沙莉さりと申します。ディック様。良かったら私と結婚してくれませんかっ!?」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 格安アパートで一人暮らし中の、二十三歳の社畜OL。

 大学を卒業してからずっと毎日仕事に追われ続けっぱなしで働けども働けども成果は上がらず、上司に叱られながら心をすり減らして生きる私にとっての癒しは、スマホアプリで偶然見つけてプレイしてからどハマりした乙女ゲームだった。


 聖女として異世界から召喚された主人公が、七人の攻略対象と共に世界を救うための旅に出て恋をするというシナリオだ。

 メインヒーローの皇子や脳筋な剣士、渋いおじさま将軍から苛烈な魔王までいるが、私のお気に入り……いわゆる推しはただ一人。


 麗しき魔術師、ディック・レンブラン。

 彼の声を聞くだけで幸せな気持ちになれたし、難易度の高い攻略を進めていけばいくほど、少し揶揄うようでありながら愛が伝わってくるセリフの数々にキュンキュンさせられた。


 こんな彼氏が本当にいてくれたらいいなぁ、なんて思ったりするけれど、忙し過ぎる毎日の中で新たな出会いを見つける余裕なんてない。

 それに彼の……ディック様の代わりになれるほど魅力的な男性はなかなかいないだろうし……。


 私はその日も彼とのわずかな逢瀬を思い返しつつ通勤の電車に乗っていた。

 その最中のことだ。不意に足元に紋様が浮かんでそれが輝き出し、視界が真っ白に染め上げられたのは。


「――っ!?」


 声にならない悲鳴を漏らした私は、あまりの眩さに目を瞑ってしまう。

 そして次に目を開けた時――そこは、見慣れた電車の中などではなかった。


 豪華に飾り付けられた広間。

 赤いカーペットが敷かれた先には、いかにも金がかかっていそうな椅子……玉座らしきものに腰掛けた初老の男性の姿が見え、その男性を護るようにして鎧の男たちが取り囲んでいる。

 そしてぐるりと見渡せば他にも大勢の人がいた。


 私はポカンとなって立ち尽くした。

 だって、そうだろう。あまりにもわけがわからない。


「成功したのか?」

「あれが聖女様……」

「聖女様だ」

「降臨なされたぞ」

「おぉ……っ!」


 ヒソヒソと囁くように聞こえてくる声。

 その反応、どこかで見たことがある。それだけではない、見知らぬ光景なのになぜ既視感を感じるのだろう?


 そこまで考えて、私は気づいた。

 どハマりしている乙女ゲームの開幕早々のシーンとそっくりではなかろうか。


 私の立ち位置は、完全に乙女ゲームの主人公である聖女と同じだった。


 ――え、ちょっと待って。何これ、白昼夢??


「選ばれし聖女よ、よくぞ参られた。どうか貴女の力で世界を救ってほしい」


 玉座の上の男性、皇帝の声が右耳から左耳へと素通りしていく。

 答える余裕はもちろんない。


 混乱する私の目はとある少年の姿を捉えた。私より三歳くらいは歳下に見える、青髪の少年。その顔には覚えがあった。

 あのゲームのメインヒーローである皇子だ。そしてその隣には脳筋剣士。少し離れたところにおじさま将軍もいた。


 似過ぎている。でも、当然ながら乙女ゲームはVRでも何でもないから入り込んだような感覚にはならないはずだ。

 白昼夢、あるいは過労でぶっ倒れて夢でも見ていると考えた方がこの状況にまだしも納得がいく。目が覚めたら、少し無理をしてでも有給をもらおう。


 それにしてはやけに音も匂いも意識もはっきりしているから不思議だと思った、その直後。

 私の思考は全て吹き飛んだ。


 だってすぐそこにディック様がいたのだから。


 これは毎日倒れそうになって働いている私に神様が下さったご褒美だ。そうに違いないと確信した。

 どうせ夢であるのなら何をしたって問題ないはず。夢の中でくらい幸せになってもいいよね?


 後先なんてまるで考えていなかった。

 ゲームには本来必要な好感度上げもエンディングの告白シーンも全てすっ飛ばしての求婚。こんなことができたのは夢の中故の強気さのおかげだろう。


 意表を突かれたという風にはちみつ色の目を見開いたディック様がまじまじと私を見つめる。その視線は私の心の奥底まで覗くかのようだった。


 ――ディック様に見られてる! 私、ディック様に見ていただいてる!!

 もう彼以外の恋人なんて望まないし望めない。推しに認知してもらえるなんて。こんなこと、絶対に叶わないと思っていたのに……はぁ、幸せ過ぎる。


 夢だとしてもさすがにいきなりの求婚はまずかったか?

 でもまあ断られても仕方なしかと思っていたのだが。


「面白い。面白いな」


 ディック様はニヤリと楽しげに笑う。

 そして白く美しい手を、私のガサガサな掌の下に添え、口付けた。


「聖女サリ様は俺をご所望らしい。縁もゆかりもない地に招かれてこの度胸、気に入った。お望み通り俺の妻にして差し上げよう。――あとで後悔しても知らないぞ?」


 俺の手を取るのか? あとで後悔しても知らないぞ?

 それは、ディック様のルートに入った時のセリフ。それに主人公はこう答えるのだ。


「後悔など、するはずがありません」


 そしてこれは私の本心でもあった。


 私は別に彼のルートを攻略したわけでも何でもないし、彼にとっては突然現れて突然求婚してきた図々しい女でしかないだろうけれど。

 夢なんだからと細かいことは考えないことにする。ご都合主義万歳。


 うぉぉぉ、という歓声ともどよめきともつかない声が周りから次々に上がる。

 玉座の上の皇帝や攻略対象は絶句してこちらを眺めるだけだった。

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