第6話 北の谷の女悪魔
「寒い!」
「なんだ、この寒さは。見ろ、川が凍って盛り上がっているではないか」
雪も降っている。この地方で雪が降るのか。有り得ない現象である。
「ワイナ」
後ろからトゥパックの叫ぶ声が聞こえてきた。
「どうしたんだ」
「見ろ」
キイロアナコンダが凍っている。蛇は外温性動物と呼ばれ、ほとんど気温と変わらない体温をしている。だから気温がこれほど低くなると体が動かなくなる。外温性とは外の温度に支配されると言う事である。キイロアナコンダも例外ではない。
「アイダ」
アイダも戻って来た。
「アラカザンヴォーカザムスヴァーハー」
アイダの呪文で凍ったキイロアナコンダを解かそうというのだ。
「駄目だわ、呪文が効かない」
「仕方ない置いて行こう」
「えっ、でも」
「帰りに連れて帰ればいい」
「…………」
北の谷の女悪魔は大きな館に住んでいるという情報である。大きな館ならすぐ見つかるだろう。
「あれだ」
雪の中に忽然と建っている城が見えてきた。確かにあれは館である。
一行は寒さに震えながら館の表門に着いた。
「さあ、これからどうするんですか?」
「門を叩くのよ」
「…………」
「それが礼儀でしょ」
「確かに」
呼び鈴は無いようだから、門を叩くしかない。
門を叩こうとすると、
「あっ、開いた」
叩く前に、門がひとりでに開くではないか。
「とにかく寒いから早く入ろうぜ」
皆どやどやと入ったが、まだ建物の門まで距離がある。
「くそ、こうなったらダッシュだ」
皆駆け足で建物の門まで行くと、おかげで少し体が温まった。
見るとまた門が開くではないか。
「見ろ、開いてく」
「入れ入れ、寒い」
館の中は暖かいというほどではないが、寒くはなかった。
「皆さん、ようこそ我が館にいらっしゃいました」
カーブした広い階段を優雅に貴婦人が降りて来る。
「女悪魔か」
「よしなさい、そんな事を決めつけるのは。失礼ですよ」
「聞こえましたよ」
「ほらね」
貴婦人は3人の前まで歩いて来ると、
「外は寒かったでしょう。暖かい食事を用意してあります」
「また毒じゃないのか」
「よしなさいったら」
貴婦人は少し笑いながら、
「安心してお召し上がり下さい。毒は入っておりません」
「…………」
貴婦人に促されて別室に案内される。
大テーブルに着くと、ワインが開けられ執事が順に注いでゆく。
「本日は皆さんがいらっしゃるというので、特別な料理を用意しました。非常に珍しいものですよ」
執事がテーブルの中央に大きな楕円形の皿を運んできた。シルバーの蓋を取ると中央にやや長細い肉の塊があり、周囲を色とりどりな果物や野菜で盛り付けしてある。
「これは何ですか?」
アイダが質問した。
「南米に生息しているキイロアナコンダという蛇を料理しました」
「やろう!」
トゥパックが掛け声と共に大テーブルをひっくり返した。
「アラカザンヴォアラホシャザムスヴァーハー!」
アイダが呪文を唱え始めると同時に、ワイナがジャガーとなり貴婦人に襲い掛かる。しかしそこにもう貴婦人の姿は無い。
「くそ、どこに消えた」
「あそこだ!」
2階に上がって行く女悪魔の姿がある。ワイナが後を追い、駆け上がって行く。
「ワイナ、待って。1人で行くのは危険よ」
トゥパックもアイダもワイナのように早くは走れない。2階に来たが悪魔もワイナの姿も見えない。
「ワイナ、何処なの?」
「ワイナ!」
大きな部屋が入り組み迷路のようになっている。
「くそ、何処なんだワイナ」
その時、離れたところからアイダの声、
「ワイナ……、トゥパック、ワイナがやられたわ!」
「どこだ」
「こっちよ」
コーナーを回った所でワイナが血を流し倒れている。
「ワイナ、しっかりしろ」
「トゥパック……、奴は変わった武器を使う……、用心せよ」
ワイナは苦痛で顔をゆがめながら声を出した。腹が切り裂かれている。
「ひどい傷、だけど安心して、私が助ける」
アイダはワイナの傷口に手を当てた。
「アラカザンヴォアカスプシャザムスヴァーハー、これで血は止まるわ。でも、もう動かないでここに居なさい」
アイダはトゥパックの後を追って、コーナーを回った。
「トゥパック!」
今度はトゥパックが倒れているではないか。
「エッ」
振り向いたアイダの頬を何かがかする――!
かろうじて避けたが、それは鎌のような武器であった。悪魔が舌なめずりをしているようにアイダを見つめている。
「それが貴方の武器ね」
女悪魔が姿を現した。手に持つのは正に死神の持つ鎌だ。斜めに振り上げるそれは、圧倒的なスケールでアイダを威圧してくる。
「分かったわ、今度は私が相手よ」
アイダは呪文を唱えるのではなく、初めて剣を抜いた。だが、アイダの剣はさほど長くはない。ワイナやトゥパックのような長剣ではないのだ。
「フッフッフッ」
余裕を持った女悪魔が、不敵な笑みを浮かべ鎌を振って来た。アイダは素早く後ろに身を引くが、悪魔も執拗に迫って来る。ついにどこにも逃げられないコーナーに追い詰められたその時、アイダが言い放った。
「貴方の弱点が分かったわ」
「なに!」
悪魔の表情は明らかに怒っている。
「何を小癪な事を言う」
女悪魔が大鎌を振るって打ち込んで来た時、アイダの姿が一瞬沈んだ。
「ガッ」
鎌がアイダの後ろ、壁に食い込んだ音である。
「エエィー」
アイダの剣が下から女悪魔の胸に突き刺さった。
「グエッ」
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァーハー」
アイダは剣を女悪魔の胸に突き刺したまま呪文を唱えた。
「グアッーー!」
それは女悪魔の断末魔であった。
苦悶の表情を浮かべた女悪魔。
そして氷が解けるように、女悪魔の顔が崩れ、頭蓋骨がとろとろと流れだした――
「トゥパック、ワイナ、大丈夫?」
「アイダどうやって奴を倒したんだ?」
「リーチの差よ、あの大鎌は長いのが強みでもあるけど、逆にそれが弱みにもなるの」
もちろん2人とも回復してアイダと共に歩き出した。外に出ると雪が消えているではないか。川も凍ってはいない。だがそれ以上に驚いた事は、
「あれは!」
キイロアナコンダの姿が元通りそこに居る。もう凍ってはいなかった。あの女悪魔の蛇料理はフェイクだったのだ。
アイダは再びジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて歩き始める。手には執事を脅して探し出した女悪魔の秘宝、糖蜜を抱えていた。
「トゥパ様」
「アイダか、どうだ、糖蜜は持ってこれたのか?」
「はい」
アイダが糖蜜の入った壺を差し出すと、トゥパの盛大な笑い声が辺り一面に響いた。
「トゥパ様、わたくしは――」
「待て、それ以上言わずとも良いわ。其方の人界行きを許可しよう」
「ありがとうございます」
アイダは虹の精霊で、ダスザと呼ばれる風の神の1人娘である。ダスザの横に座るマドレ、水の母とも呼ばれる少女の母で、木々の精霊でもある。
「アイダ、人界に行くのはいいけれど、フアイチヴォがあなたの邪魔をしようとしているわ。気を付けるのですよ」
フアイチヴォは赤い眼の魔術師で、その背後には1万人の血肉を喰らい、不死の存在になったという血塗れの翼を持った人面怪鳥がいる。さらに木の棒で戦う無数の戦士達が従っている。
「お母さま、心配いりません。私には3人もの勇者が付いているのですよ」
アイダの背後にはジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダが控えて頭を垂れている。
「あなた方もアイダを守って下さい。よろしくね」
3人はかしこまって頭を下げるのだった。
アイダがジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを従えて歩き出すと、精霊界と人界との境界に位置するマスクの大地にやって来た。
「んっ、またお前か」
人間の頭蓋骨を模した黒曜石と翡翠のモザイクマスクで、モザイクのはめ石はターコイズと亜炭で作られ、その目は貝のリングと黄鉄鉱で出来ている。境界の守り主である。
「前回はお前に根負けして人界行きを許したが、そう毎回は許さんぞ」
「いえ、マスクさん、今回はトゥパ様の正式な許可を頂いております」
「なに、許可だと」
「はい」
アイダは許可されたというしるしの呪文を唱えて見せた。
「よかろう、通るがいい」
「ありがとうございます」
だが、アイダとジャガーのワイナ、ゴリラのトゥパック、キイロアナコンダたちが歩いて行く先には不穏な空気が流れていた。
赤い眼の魔術師フアイチヴォ、鶏肉を小麦粉とかき混ぜて鶏の首を切った血をかけ、酒・蝋燭・人の髪の毛を捧げて、生贄の胸を切り裂き心臓を取り出す。背後には1万人の血肉を喰らい不死の存在になったという、血塗れの翼を持った人面怪鳥がいる。さらに木の棒で戦う無数の戦士達が従っている。フアイチヴォ達は夜に徘徊しては人間のいけにえを求めるのだ。皆が寝静まった夜中に斧を振り下ろすと、首の無い朽ち果てた死体となって街をふらつくという。ほとんどの者は恐ろしいフアイチヴォを見た恐怖で命を落す。
「アイダの奴、勝手な真似はさせない。精霊界はこのフアイチヴォ様が牛耳るのだ」
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