第3話 玉座の間にて

「ほう」


 やってきた勇者を一瞥して魔王は言った。


勇者そなたをも迷わせるのだな。この戦いは」


 魔王は部屋の奥にある玉座ではなく、白い月光が差し込むアーチ窓の前に立っていた。その姿は人間であれば十歳前後の少年。相違点は暗い印象のものと、頭部の湾曲した二本の角くらいであった。

 勇者レインは息を呑んだ。見破られている。

 魔王は視線を窓の外に戻し、呟くように言った。


「よい。覚悟は済ませている」


 魔王は自軍の勝利を決して諦めなかった。この戦いに負ければ世界がどう・・なるか、彼は知っていた。だがこの部屋に勇者がいる時点で、彼の勝ちは既に消え失せていた。それほどの力を彼女は持っていた。

 故に魔王は言葉の通りに覚悟を済ませたわけだが、しかしレインの迷いは情けなどではなかった。


「一つ、質問に答えて」レインは急いた調子で魔王の側まで歩き、その背中に聖剣を向けた。「あなたは人類ルマニスを正く導ける?」

「なんだと」


 魔王の眉間に皺が寄った。ルマニスの誰もを凌駕する知恵を持つ魔王でも、その言葉を理解するのには数秒かかった。

 少しして、魔王は自分の肩のあたりに顔を向けた。「貴様、まさか裏切るつもりか」

 その言葉は、勇者に重く突き刺さった。何度も頭に浮かび、その度に引っ込めて、それでも尚消えなかった言葉だ。


「答えて」


 レインは顔をしかめながら、聖剣の刃先を魔王に近づける。

 魔王は天井を仰いだ。


理解できんわからんな」魔王は勇者が攻撃してこないことを察していた。「それほどの力を持ちながらなぜ我に頼る」

「このまま勝てば人類ルマニスは道を外す!」


 レインの声が玉座の間を震わせた。


「この戦争を早く終わらせなくちゃいけない。けど負けるべきなのは魔族アマナじゃない!」レインの声に涙が滲む。「人類ルマニスなんだ」


 しゅの子孫とされる神王への狂信。腐った上位階級。魔族と密会した疑いを持たれた女の末路。それがルマニスにとって日常茶飯事であることがどんな意味を持つのか。

 その答えをずっと前に体験していたことに、レインは気づいた。それは勇者選定の儀式という名の狂気の沙汰である。


「もはや勇者そなたの口からそれが出るか」


 魔王は同じ懸念を持った人間を何人か知っていた。しかし彼らは魔王と関わった時点で、その後例外なく姿を消した。

 巨大な力を持った此奴こやつならあるいは違うかもしれないが。と魔王は思った。


「答えて」向けられた剣先に再び力がこもる。

「口だけで信用するのか?」

「誓約の魔法を使えばいい」

「……ほう、ルマニスの身であれを扱うのか」いくら勇者とはいえ、アマナに伝わる秘術をよく易々と。——それにしても、

「この我に誓約を強いるとはな」


 魔王は微笑して言った。そして窓の外の、地平線の向こうを眺めた。

 ルマニスの神王は極めて優秀な指導者であることを魔王は知っていた。それこそ、魔王が危険私するほどに。かの神王は、ルマニス領全域に漂っていた火種をまとめ上げ、一つの火柱をつくりあげた。その火は例え薪を失っても燃え続け、消えず、やがてあるゆるものを焼き尽くしていく。

 それに火種を発生させた原因の多くはむしろ——。と魔王は思った。

 彼は目を瞑る。そして一つ深めに呼吸し、また開いた。


「では答えよう」言って、魔王はレインの方に振り返った。活発な性格が故に思い悩んだ少女がそこにいた。

「魔王の名に誓って言う。必ずやり遂げてみせよう」


 勇者レインは喜ぶような素振りを一切見せず、黙って聖剣を腰の鞘に収めた。

 そして重い顔持ちのまま言った。


「じゃあ早めに誓約を——」

「待て」魔王が制止する。「誓約に交換条件を設けさせてもらう」


 魔王の胸の内にあったのは、アマナと、勇者と、魔王のための交換条件だった。

 それは絶対に必要な交換条件だった。

 それは魔王が最後の最後まで言い出せなかった交換条件だった。

 それはこの世界の歴史上で最も忌むべき交換条件だった。

 魔王はその条件を口にした。

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