理由あって追放されました

七つ味

第1話 ジャンキー・イン・ダ・ダンジョン

『魔蛆の幽谷』

 

 飾り窓の硝子ごしに、水銀の乙女が自らの秘部を弄っていて、時計の長針と短針がちょうど零時を刺すために重なり合おうとしている夜半頃、渦巻きの明かりにつられて、苔の張り付いた石畳を四つん這いで歩いていた。

 キーツの根を煎じつめた包装を、なかでもとびきりに純度の高いやつを試した。そんなわけで、鋳物のような背骨から吹き出した髄液の香水が再び鼻腔に返ってくるという、心地の良い繰り返しを堪能しながら、明日、ウラナスの地底畑でフクロネズミの首をへし折るだけの退屈な作業に従事する予定を忘れようと努めていたり。

「ロア!」

 交尾にありつけなかったオス猫が、夜通しで発す喘ぎのようなそれが自分を呼びつけたものであるのに気がついたのは、声の主に胸ぐらを掴まれ顔を地に押し当てられてからだった。

 なめし革の匂いのする籠手はトリップしたあとの先鋭化した意識の中では巨大な魔獣に特有の、腹の苔むした贅肉のように思えた。

「なんだ、ビボロヌスくんじゃないか」

 偉丈夫である。顔の輪郭に未だ若さを備えたその男はわたくしの親愛なる友人で、その顔はいつもの朗らかな笑顔を忘れさせるような険しい表情をしている。

「何度も何度も。俺の名前はバビロヌスだと言っているだろ!それよりも、通行手形を買っておけと言ったはずだろう。ふざけやがって。金はどうした?いや、聞くまでもない。どうせまた馬鹿みたいにその手に持った葉クズに使ったんだろう。殺してやるよ」

 殺すだと?おまえが俺を?

 呆れてものも言えないとはこのことだ。それよりも通行手形とはなんのことだろうか。この先に進むにはあの意地汚い、銀貨の奴隷たちが科した通行税などというものを払わなくてはいけない。しかし、それはたしか、あの女、いや、誰かが払っておくと言っていたような気がするのだ。

「あのなぁ」

 そのつんのめりそうなほど吊り上がった肩に手を置き、彼を宥めようとする。

「やめろ!その吐瀉物臭い手で俺に触れるな」

 そういってバブなんたらくんは、肘でわたくしの美しく隆起した鼻をこずく。するとそれまでの濁った意識が一瞬にして整理整頓されて、鈍い痛みが脳を突き刺した。

 気がつくと、わたしは反射的に腰に提げたダガーに手をかけていた。

「やめな」

 ぼくとその忌まわしい彼の間に立ったのは、これまた親愛なるわたしの相棒だった。思い出せないが、いかにも教養のない親が名付けたのだろうという俗っぽい名前をしていたはずだ。ずいぶん親しみの持てる女性で、その均等のとれた体躯と美しい髪は、売春婦の母譲りなのだろう。

 ああ、そうだ。だんだんと意識がハッキリとしてくる。

「誤解しないでくれよ、ステラ。先に殴ってきたのは彼の方だ」

「ええ、でも殴られても文句は言えないんじゃない?」

「急に殴られて文句を言わないなんてことがあるか」

「あんたのそういうところが我慢なんないのよ。『銀翼』だから大目にみていたけれど、はっきり言って邪魔で仕方ないの」

「分かっただろう。そういうことだ。パーティーは解消させてもらうから、好きにするといい」

 なんだって。話が違うじゃないか。お前らをこんなところにまで連れてきてやったのは誰だ。

「まてよ。帰りの分の支払いがまだだろう」

「ああ?文句を言える立場かよ。協会の仲介だからってこんな役立たずをよこされた上に、金まで満額払えってか。これ以上おれたちの邪魔すんなら、痛い目を見るぞ」

 そう言って彼は美しく装飾された剣を抜いた。その刃に灯篭石の橙色の光が反射する。

「もうやめてください!」

 先ほどから裏路地の陰に隠れていた小柄な少女が身を乗り出して、金切り声で叫んだ。

「なによ。あんたも来たの?」

「うぅ」

 それは俺と同じように雇われの同行者で、耳馴染みのない、ミイハだか、そんな南方の島しょ部特有の名前をしていた記憶がある。顔を覆い隠すように布地のスカーフを巻いているせいで彼女の表情は窺い知れない。しかし、どうせあの陰気臭い顔、自分はありあまる不幸を両手に提げていますというよくある類の自愛的悲観主義者お得意の引き立った顔に違いないのだろうけれど。

「黙ってな。こっからは踏破まで冒険者同士の競い合いなんだ。あんな額を易々と渡すわけねぇだろ。そっちの『祈り手』の方はまだマシだからよ、取捨選択はしねぇとなぁ」

 やはりこの男は冒険者だったわけだ。迷宮でネズミを殴打し小銭を稼ぐような人種ではないと思っていたが、それにしたって随分と身なりがいい。

「おまえ北レリームのディーン人だろ。どうりでコスいわけだ。そんであの女はくず鉄商人やってるお父さんの妾かなんかか?」

 男の青白い顔が沸騰するように赤く染まっていく。ついに怒りをこらえきれなくなった男は手に持ったその古美術品の剣を振りかぶり、獣のような声を発しながらそれをふりおろしたのだった。


◇◇◇


『フィラリア』


 琥珀湾を望む港を囲むように旧時代の、石積みの防壁が周っている。その防壁の背後には半島を縦断する高山帯の連峰が、春先だというのに積雪で白んでいる。絵画の題材にうってつけのその美しい景観と対照的に、フィラリアの港街は時代的にも文化的にも統一感のない雑然とした街並みが、まとまると言うにはあまりにもぎゅうぎゅう詰めになって防壁の中に収まっていた。

 その一角に港湾労働者が集う酒場があった。軒先に吊るされた看板には、フィラリア周辺の言葉で『酒場』、大陸共通語で『冒険者協会』を意味する文字とが彫られている。

 その隙間風を防ぐつもりのない粗悪な立て付けの扉を開くと、開店の準備を忙ぐ女中たちに紛れて、半裸の男がカウンターに居座っている。

「聴いたところ、すべてあなたの過失であるように思うのだけど」

 ロアが話し終わるのを遮って、『受付嬢』のアーシアが呟いた。彼女は手元にある羊皮紙を指でなぞる。

「依頼内容は二名の要人の護送と『魔蛆の幽谷』での魔獣討伐」

「要人の護衛ってのも、そいつらの身内の商人の馬車を迷宮近郊の街に送り届けて、荷積みの手伝いをさせられたんだ。きわめつけは若い冒険者のアベックをお世話しながらの迷宮探検って、おれはあいつらの傭兵奴隷かっての」

「それはこちらの、協会側の落ち度だと?」

「そうは言ってないだろ。ただ違約金だかで金になるもん全部持ってかれてよ」

「あら、どうりでそんな格好なのね。ついに魔獣キノコが脳まで侵食したのかと思ったわ。でもそれで私にどうしろと?」

「前にもこんなことがあっただろ?なんだったっけか、『ビザンの逆城』に潜ったときの」

「黒翼竜の殲滅」

「そうだった。資材費をかき集めて迷宮に潜ったのに、領主の許可が取れずに翼竜のいる階層どころか迷宮の入り口に近づくことさえできなかった。それで大損をこいて」

「当時の協会側があなた達の損害を補償したのは事実だけれど、今の管理官が同じ采配をするとは限らないわ」

「そこをどうにか頼むよ『管理官代理』」

 俺はいくつかの酒を混ぜたせいで濁ったグラスの中身を飲み干す。

「とりあえず事情は分かったわ。ただ、取り急ぎあなたに話を聞きたいって人がいてね。出て来てくれる?」

 そう彼女が言うと、裏口から5人組の男が現れる。彼らは統一された暑苦しい服装に身を包み、髭を剃り、規律の股から生まれ落ちたような間抜けな顔をしている。

「衛兵なんかが何の用だよ」

 しかもこいつら、フィラリアの街角で突っ立っているような傭兵まがいの下級役人ではない。

 かれらの羽織ったマントに刺繍された三つ足の怪鳥は王家を意味する。王の威光を身にまとえるのは正規の兵士、衛兵か祭司、それを除けばあとは王族しかいない。

 わざわざ平民を訪ねてきたことから察するに、普段は王都勤めをしている衛兵ってのが妥当なところだろう。

「協会の御仁には退出いただきましょう」

 かれらのエスコートのもとアーシアはその場を後にする。一瞬、彼女がこちらに目配せをした。それは謝罪でもなければ哀れみでもなく、単に「店を荒らすなよ」という忠告だろう。

 顎から口元にかけて裂けたような傷跡のある馬面の男が隣に腰をかける。この男がかれらの上司であるらしい。

 気がつくと開店の準備をしていたはずの女中たちはすっかりといなくなっていた。

「あると言ったら?」

 おれはしたり顔でつぶやく。かれらはそれを挑戦的であると受け取ったらしく、衛兵らしい決まりきった動きで剣の柄に手を伸ばした。

 しかしそれを諌めるように馬面の男がふとももをこぶしで2回強く叩いた。すぐさま衛兵達は直立不動となり、男はそれを一瞥して再びこちらへ鋭い眼光を向ける。なんとも品の良い。

「ひとつ聞くが、なんでおまえは下着一丁で、そんなに堂々としていられるんだ?」

 馬面の男は呆れた表情で聞き返してくる。

「おれはこれでも筋金入りの冒険者でよぉ。こんな修羅場はいくつもくぐってきた」

「なるほど聞いていたとおり、お前は名のある冒険者らしい。だがそんな格好ではどうにも出来まい。いや、それともその下ばきに隠した短刀でわたしの喉を掻っ切るかい?」

「何を言っているんだ?これはおれの膨れ上がったいちもつだ」

「よし、こいつをひん剥け」

 その号令で非情にも衛兵達がおれの上に覆い被さり、皮のくたびれた靴だけが残った。ひとりの衛兵がおれから奪ったその短刀を馬面の男に手渡そうとするが、男は顔を顰めてそれを拒んだ。

「ロアといったな?いくつか質問するが、あまりふざけた態度をとるとこちらもそれなりの対応をさせてもらうからな」

「そんな分かりきったことをわざわざ口にするなんて、よっぽど王都には間抜けが多いらしい」

 鞘の先で頬をこずかれる。これはおれが悪い。

「おまえはバビロヌスという男に同行していたな」

 男は手元の羊皮紙を広げ、そうおれに尋ねた。

「ああ」

 簡潔に答える。

「その理由は」

「協会に依頼されたからだ」

「そうだな。では、同行者は何人だ」

「その若い男を含めて7人か、途中まではもっといたな」

「アッハからイギュールまでだな」

 そうだ。どうしても依頼主が陸路にこだわるせいで海岸線を南北に縦断した。アッハはフィラリアから北に半日ほど歩けばつくが、アッハからイギュールまでは馬車で10日。この歳になるとむしろ馬車に乗る方が腰にくるので、そのほとんどは徒歩である。馬車なんてのはつまるところ荷か売られていく幼子を運ぶためのものなのだ。

「そんなことよりも、その、バビロヌスくんはなにかとんでもない罪でもおかしたのかい?あんたら王都の衛兵が出張ってくるなんて」

「残念なことにバビロヌスと連れの女は、死体になって発見されたよ。イギュールのある宿屋でな」

 殺された!はは、ざまあない。惜しい人をなくしたよ。いや。

「それは迷宮の外でか?」

「ああ、街の中心地の宿屋さ」

 だんだんと状況がつかめてきた。2人が殺されたとすれば、当然、最初に話を聞きに向かうべきは彼らの仲間。そして彼らから十分な殺人の証拠が得られない場合、次に怪しまれるのは。

「お前はこの街に住んでいるのか?」

「拠点はそうだ。街の外れで寝泊まりしている」

「冒険者稼業も世知辛いもんだな」

 おれはよく掃除の行き届いた床であぐらを組み頬杖をつく。

「不満はないさ」

「そりゃご立派なことだ。イギュールに着くと男の仲間は街で荷を売り払った。これは旅費の支払いに使ったとの証言があるが」

「鉄製品、といっても大したものじゃない。鍋だとか装飾のないランタン、南方の織物、そんなところだ。おれが荷をほどいたから覚えてる」

「とくに不可解な点もない。やはり問題は迷宮の中、おまえの本業の方の仕事ぶりを教えてもらおうか」

「あんたがおれを怪しむのも分かるよ。まず依頼の内容どおりおれたちは『魔蛆の幽谷』に潜った。3月の初めだ。迷宮を管理する協会の帳簿を当たれば確かだって証明できる」

「その依頼ってのはなんだ?」

「フクロネズミってわかるかい。よくなめし革になっている。もしかすると、あんたのその腰の吊るしの革がそうかもしれない」

「バカやろうこれは牛皮だ」

 男は腰に見えるそのなめし革の剣の吊るし具に触れながら憤慨する。

「とにかくそのフクロネズミとか言うのは迷宮のモンスターなんだな」

「知らないのも無理はないさ。あいつらは地下じゃあ貴重な食糧だから、地上に出回るのはその厚い皮ばかりだよ」

「お前たちはネズミを食うのか」

 赤くなったり青くなったりと忙しいやつだな。

「食うぜ。あんたら育ちのいいお歴歴からすればとんでもないことだろうけど。そういえばバビロヌスくんも随分と見栄えのいい男だったなぁ」

 後ろに控えた衛兵のひとりが、ぴくりと眉を動かしたのが見えた。

「あまりいらん気を回すんじゃない」

 男が急に顔色を変える。

「お前はなぜパーティを抜けた?聞いた話だと支払われたのは前金のみ、ほとんど追放される形で迷宮を後にしたらしいじゃないか。腹が立っただろう」

 まあ疑われるのは当然だろうな。だが、残念ながら俺はあいつらを殺していない。いや、そういえばあの女はどうなったのだろう。

「『祈り手』の女がいただろう。彼女はどうした?」

「『祈り手』?ああ、教令会の従者か。殺された南方人の女がそうだったのか?」

「いいや、もう1人の方だ。気味の悪い真っ黒なローブを纏った」

 そこで気がつく。明らかにこの証言は嘘くさい。なぜなら『黒いローブの祈り手』というのはよく知られた、冒険者のほら話のひとつなのだ。

 我ながら葉っぱのやりすぎで、いくらか痴呆になり始めているらしい。

「『黒いローブの祈り手』と言ったな?」

 男はぎょっとしたような表情になり、先ほどとは比べ物にならないほど顔を蒼白にして、他の衛兵となにやらひそひそと話し始めてしまった。

 ちなみに『黒いローブの祈り手』とは、本来なら冒険者の傷を癒やし魂を加護する役目を果たす祈り手が、実は黒魔術を使う『死』の手先で、その悍ましい魔術師は仲間たちの傷を癒すが、その魔術の代償としてかれらは気が狂い、互いのはらわたを食い合い、最後には『死』が微笑むという作り話である。

「急にどうしたって言うんだ」

「俺たちじゃあ手に負えない。くそ、まだ続いていたんだ。すぐに王都へ引き返す」

「おい、なんの話をしてやがる」

 衛兵たちは急ぎその酒場兼冒険者協会を後にする。それは当然馬面の男もで、俺に目もくれず足早に去ろうとして。

「そうだロアくん。指折りの冒険者である君なら関係のない話だろうが、これからしばらくは夜道に気をつけるといい」

「なら何人か護衛をつけてくれよ」

「そういう類のモノではないのでね。それに何よりも部下を無駄死にさせるやつは上に立つ資格はない」

 そう言い残して、男は、今度は正面から堂々と帰っていった。

 ならずものならば死んでからでも遅くないと、本気で思っている様子だな。それよりも、嫌味とも忠告ともとれる言い草だ。何一つとして説明はなかったが、殺人の容疑は晴れたらしい。ただ、それが幸運なのか、別の不幸との過渡期、一時の平穏であるのか。さあ、どうしたものか。

 よっと腕を振り、奪われたはずの短剣を宙で回した。

 一つ言えるのはマジで金なくてやばいと言うことだ。

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