第14話 ザ・ダイス・イズ・キャスト


早朝、電話が鳴りシヴァは応対を終えると大きな息を吐いた。

『どうしたんです?』

『ああ、今日の夜戻る予定だったがあと三日ほど待つ必要があるようだよ。』

『うん?何かあったんですか?』

『そのようだ。』

シヴァは電話の内容を簡単に説明した。どうやら引越し先の近所に空き巣が入ったようで鍵を変える必要があるらしい。

『…でも、あの辺りって家ありましたか?』

『うん、離れてはいるがね…空き巣が鍵を開けたらしいんだよ。それで変えざるを得ないようだよ。』

『ああ…換えて貰えるなら親切ではありますね。』

『そうだな。で、どうしようか?今日戻るとして、またホテルになるがいいか?』

『かまいません。片づけも終わってますしね。』

フフとカイルが笑うと立ち上がりシヴァの手を取った。

『食事をしましょう。うちは自分で作るようになってるので。』

『そうか、ならそうしよう。』

二人で城のキッチンへと向かうとミラーが食事を作っていた。

『あら、おはよう。』

ミラーはフライパンを上手く振るっている。

『姉様、おはようございます。珍しいですね?』

フライパンの上には綺麗に巻かれたオムレツが入っており、それを皿に乗せた。

『ええ、いつもアント兄が作ってくれるんだけど、今日はまだ寝てるの。あ、シヴァ昨日は悪かったわね。』

『いや…あの後ディアに聞いたから。』

二人の会話にカイルが首をかしげた。

『姉様、何かしたんですか?』

ミラーは皿を持ってフフフと笑った。

『父様に言われて誘惑を、ね?』

『はあ?』

カイルが声を上げるとキッチンにディアが入ってきた。

『なんだい?朝からかしましいね。』

『父様!シヴァに何かしたでしょう!』

『うん?』

ディアはシヴァとミラーを見るとああ、と笑った。

『そうだね。誘惑をしたんだよ。従兄弟のアントもろくでもない女を連れてきたからね。あの子も酷かったなあ…。』

『父様!あれはあなたが誘惑して兄様は別れたんじゃないですか!』

『そうだっけ?でもそんな子と一緒になってもね。』

カイルが怒っている傍でディアは冷蔵庫を開けると食材を取り出した。

『それで、何か作るのかい?一緒に作ろうか?』

そう言って三人分を調理し始める。

シヴァは怒るカイルをなだめてからディアの隣に立った。

『おや、手伝ってくれるのかい?』

『手伝ってもいいですが…あなたを軽蔑しそうですよ。』

『フフ。ではシヴァはこれを炒めて。私は飲み物とフルーツを用意しよう。』

フライパンを受け取るとシヴァは仕方なくそれを振るい、ある程度すると皿に盛り付けた。準備が整いキッチンを出ると食堂へ運び込む。ミラーはすでに食事を終えて座って待っていた。席についたカイルの顔を覗きこむ。

『それでさっきの話だけど、私は悪くないからね?それにシヴァは誘いには乗らなかったし、めでたしめでたしよ?』

カイルが眉をひそめて怒るとミラーは両手を前で振った。

『わかったわよ、悪かったわ。でも苦情は父様にしてね?』

テーブルの上に置かれたフルーツを一つ摘むとミラーは食堂を後にした。シヴァとカイル、その前にディアが席に着くと食事が始まった。綺麗に平らげて暖かいカップを口にしてカイルは父親を睨んだ。

『本当に、もう止めて下さいね?』

ディアはその顔に目を細める。

『カイルは本当にクリスに似ているな…久しぶりに幸せだよ。』

『もう!』

シヴァはカイルの背中をぽんと叩くと微笑んだ。

『わかったから、私は気にしてないから…ね?』

『はい。ごめんなさい、シヴァ。』

『いいさ。』

二人が微笑み合うのを見てからディアは頬杖をついて笑う。

『仲がいいね、私とクリスのようだよ。で、君たちはもう帰ってしまうのか?』

『ええ、あまりお世話になってもいけないので。』

シヴァの言葉にディアは首を傾げる。

『そんなことはないよ?』

『…。』

『また黙り込む。困った男だね…美しい男が無口になると絵になるからな。だからヴァンパイアの男は皆美しく、おしゃべりが少ないんだろうな。』

『聞いたことありませんよ。』

シヴァは息を吐くと眉をしかめた。


『それで、何か話したいことでもあるのでは?』

『フフ、やっぱり君は勘がいいね。沢山あるさ、聞きたいこともあるしね。でも殆どはどうでもいいとして、君の友人のドクターゼロについてだ。』

『ゼロですか?』

『ああ、彼は最近私の教えた薬を使っているようなんだが…妙な話も聞いてね。君は彼がどのような薬を使っているのか知っているのかい?』

ディアは頬杖をつく。

『私には奴のことはわかりかねる…。』

『そう…。こんな田舎町にもそのような薬は流れてくるものでね。困った町の人たちが私の知り合いの医者に泣きついたそうだよ。倅の腹が腐ってるって。』

シヴァは視線を外すと眉をひそめた。

『大変高額なものらしくてね…その倅ってのが金回りの良い職についているらしくて…それで知り合いの医者からドクターゼロの名前が出たんだよ。彼は有名人だから。』

シヴァが黙り込むとディアは肩眉を上げた。

『まあ、知らないのなら仕方がない。私も彼の連絡先は知っているしね…ただ彼が作ったとなるとややこしい連中が問題を起こすかも知れなくてね?』

『うん?』

『私は昔…薬を作っていたこともあってね。その時に一緒に働いていた奴らでもあるんだが今は政府の下に入って彼らに奉仕しているようなんだ。安全なものをより安全に、そうして作られたものが政府に買い上げられる。まあ、殆どは下々には渡らない。私が離れた後のことは人づての話だから誇張も含まれるだろうがね。』

『なるほど…。』

『そこに高額な麻薬ドラッグがやり取りされていて、けどそれによる症状が明らかになってその連中が慌てているそうだよ。最近も政府の人間が死亡したニュースが流れていたが多分それだろう…彼らの生死なんてものも今ではあの連中が全て握っているからね。』

『それも人づてに?』

『そう…知り合いの医者はそこと繋がっているからね。私がそこの者だったとは知らないが。』

『ゼロに連絡はしたんですか?』

『ううん、それなんだがね。彼は素直に本当のことを言うだろうか?』

『さあ…。』

『それに名前が出たと言ってもその薬は製薬会社から売られているしちゃんとした正規ルートでもあるんだ。罪に問われることはない。だからこそ連中は確認したがっている…んだと思うんだ。』

ディアは真面目な顔で息を吐く。

『シヴァ、君に頼みたい。ドクター・ゼロにこれ以上の麻薬を作らないように言ってくれないか?』

『話してはみますが…どうなるかはわかりませんよ?彼は彼のやりたいようにするでしょうから。』

『ああ、そうしてくれると助かるよ。大変危ない道を彼は渡ってる…早々切り上げればなんとかなるかも知れないから。』

『わかりました。けれどあまり期待されても困るが…私は奴とは友人ではあるが深い仲ではないので。』

『わかっているよ…でも忠告はしたからね、私からも連絡はしてみるが。』

ディアは立ち上がると食堂を出て行った。



少ない荷物と車に乗り込み城を後にする。車はゆったりと走り出すと国道に入った。

助手席のカイルは難しい顔をして座っている。

『どうした?ディアとの話か?』

シヴァはサングラスをかけるとシートにもたれた。

『はい、父の話ではゼロさんに危険があると言っているようでしたが違うんでしょうか?』

『確かにな。ただあいつはいつもの事だからな。人を救いもすれば捨てもする。』

『そうなんですか?じゃあ話は…。』

『…うん、そうだな。カイルはどう思う?この件は多分本人はよく分かっているとは思うんだ、だから外からどうこう言うのは違うと私は思っている。』

カイルは黙り込むと俯いた。

『どうなんでしょう…。』

シヴァは苦笑すると片手でカイルの頭に触れた。

『心配しなくていい、話はする。ディアとも約束をしたからね。』

『そう…ですね。あの…聞いても?』

『うん?』

『ゼロさんってその麻薬を作ってるんでしょうか?』

シヴァは首を横に振る。

『詳しくはわからん…ただ昔からドラッグをばら撒いていたことはある。それはあいつが直接撒いてはいたんだが、今回は正規ルートだと言うし、その辺は私もわからないからな。』

『そっか。』

『ゼロが心配か?』

『少し…。』

『フフ、わかった。カイルの意を汲んでみよう。』

『本当ですか?』

カイルが安堵したような顔をするとシヴァは頷いた。

『ああ…それで実家はどうだった?』

『え?ああ、そうですね。久しぶりに家族に会えたのは良かったです。』

『フフ、そうか、じゃあ来て良かった。』

『あ、でも…姉様のしたこと、父様の仕業だったとか…笑えません。ごめんなさい。』

深々と頭を下げると情けない顔をあげた。


『あの人たち、そういうことするんです。というか父様がなんですけど。昔小さい頃に聞いたことがあるんです。なんで新しい人に意地悪するの?って。』

『うん。』

『我が一族に入るには資格がいるのだなんたら言ってました。私は小さすぎてわからなかったのもありますけど…でも今は少しわかる気がします。昔従兄弟が連れてきた女性は人間だったんですよ。勿論恋人がヴァンパイアだって言うのは知っていて一緒に来たんだと思います。でもその人と一緒になるということがどういうことかっていうのは理解していなかったのかな…って。』

『なるほど。』

『彼女は好き、愛してるって言ってました。でもそれが未来永劫続くなんて思ってもいないわけでしょ?従兄弟はそれでもいいって言ってたみたいですけどね。それまでだって他のヴァンパイアたちは同じようにしてきたわけだし。』

『うん。』

『でも父は母が人間で二人の子供を産んで、病気で死んじゃったんです。私たちだって寒かったら風邪を引くように人間も風邪をひきますよね?父は何度も母に血を与えようとしたそうです。半分はヴァンパイアになれるからって…。けど母は嫌だって。退屈になるじゃない?って言って…それでも享年五十でしたが。』

『ああ…そうか。』

『私はずっと産まれてからヴァンパイアですから…それにそんなに沢山の人を見送ってきたわけじゃない。シヴァは沢山見送ってきたんですよね?』

『うん。ヴァンパイアと人は違うからね。同じ時間を駆けていてもそれを感じるスピードは違う。私がゆっくり歩いているのに彼らは全速力だ。でもその儚さが私を虜にしていたのかもしれないな…カイルに会うまではね。』

カイルはフフと笑うとシートにもたれこんだ。

『でも…人間でなくても全ての生き物は美しいと母は話してました。そして愛を示すものは尊いって。』

『フフ、良いお母さんだな。』

『そうですね、父がああですから、母は素敵な人で良かったです。』

シヴァは笑うとハンドルをゆっくりと切った。少し車を見かけるようになってきたら市街地に近い。

『さて、今日はホテルになるが…時間もあるから私はゼロに会って来ようかと思う。君はどうする?』

『うーん、お邪魔じゃなければ行きたいですが…。私のこの姿も見せたいですし。』

『ああ…そう、だね?』

シヴァが少し言葉を濁したのでカイルが顔を覗きこむ。

『うん?何かあるんですか?』

『…あいつは美人が好きなんだ。まあ、美人と言っても色々とあるんだがね。その中でもヴァンパイアは本当に好きで…この間ティルに会っただろ?あの反応以上と考えてもいいかもしれない。』

『ああ…。』

カイルが何か思い出したのか苦笑した。

『ティルさん…そういえば凄かったですね。フフ。あ、じゃあティルさんにもいてもらっては?』

『いや、それはどうだろう…ゼロはどこまで彼女に話しているのかはわからないから。』

『そうですね。』

『とりあえず私だけでゼロと話をする形にしよう。いいだろうか?』

『はい。ありがとうございます。』


車が都心へと入り込むといつものように病院へと向かう。地下駐車場へ入る前に見えた地上の駐車場がごった返している。

『珍しいな…。』

シヴァはぽつりと呟くと地下駐車場へと滑り込んだ。地下駐車場は殆ど使用されておらずがらんとしている。車を降りエレベーターに乗り込むと上階で降りた。病院のフロントは取材クルーと記者か何かでざわめき立っていた。シヴァはカイルの背中を押すと廊下のほうへと移動する。

『なんでしょう?』

『さあ…ただ何か起きているのかも知れないな。』

シヴァはポケットの電話をかけるがコールするのみで繋がらない。

『繋がりませんか?』

『ああ…ナースステーションへ行ってみよう。』

『はい。』

二人がナースステーションにたどり着くとそこも対応に追われている。声をかけようにも誰かもが捕まりそうにない。シヴァが途方に暮れているとナースが一人駆け出てきた。手には電話を持ち話しながらきょろきょろと何を探している。ふとナースとシヴァの目が合うと、ナースがあっ、と声を上げた。彼女は電話を切るとシヴァたちの前にやって来た。

『あ、すいません。なんだか今日はやたら忙しくて。』

『いや、かまわない。それよりドクターゼロに会いたいんだが…。』

ナースはにこりと笑う。

『ああ、やっぱりそうでしたか。ドクターのお客様でしたらお連れするようにと電話で言われまして。』

『ああ…。』

『ご案内します。』

ナースは二人を連れて騒がしい棟のエレベーターを乗り継いで、静かな場所へと案内した。しんと静まり返った廊下にカイルはシヴァの手を握る。

『ここは関係者のみなので、下のああいった輩はおりません。』

ナースは片目をパチリと瞑ると微笑んだ。

『そうか。』

壁に貼られた部屋のプレートには研究室とだけ書かれている。

『あ、ここです。』

彼女は一番奥の部屋で立ち止まるとドアを叩いた。

『ドクター?お連れしましたよー。あとはよろしくお願いしますねー。』

奥からくぐもった声がしてナースは二人に軽く会釈すると行ってしまった。

『あー、すいません。お待たせしました。』

中から現れたのはゼロではなく、知らない男だ。白衣を着ているからドクターなのだろうがシヴァは一歩下がるとカイルを後ろに隠した。

『ああ、すいません。そんなに警戒しないで。僕はドクターミライです。殆ど研究室にいるのでこんな感じですが…ドクターゼロとは色々としてまして。』

『…。』

シヴァが黙っているのでミライは苦笑した。

『ええと…理由を説明するのでとりあえず中へ。廊下にいると目立つんで。』

『わかった。』

研究室に通されると中は机が複数並び、その上にビーカーやら資料やらが所狭しと置いてある。

ミライは中に入るとまずは二人に椅子に座るように促した。そして棚の上に置いてあった紙を取りシヴァへと差し出す。

『まず、僕がどうしてあなたたちを呼んだのかを説明します。』

『ああ、そうしてくれ。』

シヴァはミライから紙を受け取ると視線を落とした。

『ドクターゼロですが今、政府の査問委員会とやらに呼び出されています。時期に戻るでしょうが、ちょっとややこしくて。それでもしあなたが来たら僕がと言っておいたんです。』

シヴァが黙ったままなのでミライは続ける。

『こんなわけのわからない場所に通されて本当かどうかも分からないことに付き合わされるのは面倒ですよね?すいません。ただあなたが来るとしたら説明をしなければいけなくなるとはドクターゼロも言っていたのでね。』

『それで?』

『はい、まずはドクターゼロからの伝言がそこにあります。』

ミライはシヴァの持っている紙の一番下を指差した。視線をずらすと確かにゼロの字で、僕が不在でごめんね、ミライに聞いてね、ラビュ と書かれている。シヴァが軽く舌打ちをするとミライは苦笑した。


『それで話を続けたいのですが、あなたはどれくらいこの件についてご存知ですか?』

『ああ、麻薬については少しだが聞いた。腹を腐らせるだとか、代議士が死んでいるだとか。』

『はい、その通りです。巷で流行っているドラックを改良した新しい物、この情報を製薬会社に渡したんです。』

『なるほど。…高額に設定したのはそもそものターゲットはそこか?』

『はい。話がスムーズで助かります。まあ、高額に設定したのは製薬会社ではあるんですが、麻薬そのものは殆どが高額で取引されていますよね?』

『ターゲットはあくまでもそこであって、庶民ではないと。』

ミライは笑う。

『庶民には安価で危険なものが出回ってはいますが病院で対処できます。それに彼らは日常の苦しみから逃れたい一心で手を出しているだけで、本心では逃れたいと願っている。だから病院で手当された連中は悪さはしません。』

『ほう…。なんだか理由がありそうだが。』

『…この病院には小児科はあるにはあるんですが、実際は仮設なんです。だから少し前に医者を呼んだりとやって。初めはそれで済んでいたんですよ、でもどんどん増えてきて。』

『ああ…そういえば以前誘拐事件にあったな。カイルは思い出したくないだろうが…。』

シヴァの言葉にカイルは苦笑して俯く。

『ああ、そうか。その方はあの時の…無事でよかったです。とりあえず誘拐事件のようなものは防げてはいるとは思いますが、運ばれてくる子供の数が酷くて、方々手を尽くしてもなんともならなくて。それでドクターゼロが情報を集めて、僕の方でもネットを通じて動いていたんです。』

『それで何かわかった?』

ミライは大きく頷いた。

『はい。大本まではたどり着けないんですが、下っ端のルートは見つけたんです。今回ドクターゼロが出ている査問委員会を開いている連中がその下っ端です。』

『なるほど、ということは…大本はそういうことか。』

『はい。本当に理解が早くて助かります。』

『では下で騒がしくしている連中は?』

『ああ、あれは…誰かのリークでしょうね。ドクターゼロが麻薬を作っていると。』

『しかし、実際に作っていただろう?』

『ハハ、ご存知でしたか。昔は確かに作ってはいたんですがあれは庶民のもの。使えばハイになる、でも何度も使いたくなるものではないんですよ。』

『ああ、中毒性を消したのか。』

『はい。使い続けると悪夢を見ます。ハイになって悪夢なんて見るもんじゃありません…だから使った連中はドクターゼロの元へ駆け込んできてたんです。若い子が多いです。皆何かに疲れて怯えてどうにかしたくて薬に逃げた。皆一生懸命に生きてるんですよ。』

『ふむ。』

『まあドクターゼロは庶民の味方でもあるということです。フフ…。』

『しかし政府が動くとなるとゼロも難しいのではないのか?』

『ああ、それは大丈夫です。関係ありません。チェンバーの製造者はそもそも名前が分かりません。それに元々足は付かないんです。今のシステム上では利用したい人間が利用しやすいように構築してあって、だから穴だらけです。勿論中に入るか、状況を知るかしないと分からないようにはなってますがね。』

『だからそっちの搦め手か?』

『なってもいませんけどね。…これで大体の説明は済みましたが大丈夫でしょうか?』

ミライは姿勢を正すとシヴァをまっすぐに見た。

『ああ、十分だ。では私のほうからも少し情報を出す。それが必要だろう?』

『ありがとうございます。』

『私の知り合いからの忠告だ、政府の下で動いている薬屋と言ってもいいだろうか?その連中がゼロの名前に食いついたようだ。』

『なるほど…僕らも知らない連中がいるんですね。でも薬屋となると政府の命すら握ることができると判断できますね。』

『ああ、そういうことになる。それをよく知る者が気をつけるようにと。それと出来れば手を引くようにとの助言だ。』

ミライの顔が少し引きつった。

『なるほど…危険ということですね。了解しました。忠告ありがとうございます。』

『いや、でも本当に気をつけて。』

シヴァは持っていた紙をそっと返すとミライはにこりと受け取った。

『今日はお会いできて光栄でした。いつもはモニターで見ているだけでしたから…。』

『モニター?』

『はい、僕の趣味で。綺麗な方だなって思ってて、お連れの方も美しいです。』

シヴァが苦虫を噛み潰すとミライは笑った。


『すいません。変な人間で…。』

『いや。かまわんさ。じゃあこれで。』

シヴァが立ち上がると同時にミライの電話が鳴り、シヴァを制止して彼は電話に出た。何度か相槌を打ちすぐに電話を切る。

『あの、ドクターゼロが戻られました。今からこちらに来ると。』

ミライがそう言った矢先にドアががらりと開く。ゼロだ。中にいたシヴァに気付くとさっきまで疲れていた顔がぱっと明るくなった。

『シヴァ!』

ゼロはシヴァを抱きしめると幸せそうに微笑み、傍にいたカイルを見て目を大きく見開いた。

『…カイル?もしかして、カイル?』

カイルはにこりと笑うと小さく頷く。ゼロがすぐさまカイルに抱きつこうとしたのでシヴァが間に割って入った。

『やめろ、彼女は見てのとおり女性だ。抱きつくのは恋人だけにしろ。』

『ううー、僕としては君もカイルも恋人だよ。』

『ありえん。それよりもドクターミライに感謝するんだな。』

ゼロは顔を上げるとミライを見る。

『あ、そうだった。ご苦労だったね、本当に君は優秀だ。』

ミライはうんざりと息を吐くと腕組をした。

『ドクター、僕は怒ってるんですからね?トモノさんにあんな危ないことさせるなんて!』

『ああ、トモノは自分からああなったんだから仕方ないよ。僕は多少の忠告はしたけど、自分で望んだことは他人がどうこうすることじゃないからね。君だって分かってるだろ?彼女が薬を売らなければ始まりも終わりもないってね。』

シヴァが首を傾げるとゼロが言う。

『製薬会社の販売員だよ。それにそもそも彼女を選んだのは僕じゃない、君だミライ。』

『でも手を出したのはあなたですよ?ドクター。』

『仕方ないだろ?あんなに魅力的で素敵な子を放っておくほうがおかしい。』

ゼロは当たり前のようにぷいっと顔を背ける。

『本当、何考えてるんですか!魅力的なのは知ってますよ!』

ミライが激怒しているのでシヴァが困った顔で言った。

『落ち着け。状況も何もわからないが。それでそのトモノさんとやらは今も同じ職場で?』

『いえ、僕が新しく紹介した場所で仕事をしています。安全で快適で給金も休みも確実です。家族を一人迎えると聞きましたから。』

『そうなのか?』

『ええ、今ではママと呼ばれているそうです。実家に戻ったらしくて彼女の母親もバアバと。幸せそうです。』

ゼロは唇を突き出すとぶうぶうと文句を言う。

『あーもう、幸せならいいじゃないさ。それに君は連絡取ってるんじゃないか?僕は取ってないよ。どういうことさ。』

『知りませんよ。』

シヴァが噴出すとカイルも笑う。

『それで査問委員会とやらはどうだったんだ?』

『ああ、あれ?くっだらないのよ…ただの弱いものいじめだよ。』

ゼロは椅子に座ると足を組んだ。

『ちょっとミライ、コーヒーくれる?もう喉もカラカラだよ。査問委員会ってのは名ばかりだよ。だって事情もへったくれもない、一から説明しろだなんだって。呼ばれた僕がわかんないのにさあ。』

ミライが持ってきた冷たいコーヒーをゼロは一口飲む。

『ありがと。でさ、そんなことはどうでもいいんだよね?あの人たち、必死でチェンバーは誰が作った?ってさ。顔色真っ青だよ…。やってんだろうね。』

ミライは息を吐くとゼロを見た。

『ドクターゼロ、実はさっきこの方から新しい情報を頂きました。政府の下にある薬屋というのがあなたのことを気にしていると。』

『へえ?面白いのが来たね。シヴァ、もしかしてあの人から?』

『ああ。』

『なるほどね。なんかあるとは思ってたけど、そういう連中か…。』

シヴァは腕を組むと溜息をついた。


『お前が危険だと…忠告だそうだ。』

『うん、よく分かるよ。ここ数日さ…ティルが言ってたんだ、なんか家の中がおかしいって。』

『え?ドクターティルって…自宅じゃないですか。』

『そう。入られてる感じがするって言ってて、ティルはラミアだろ?誰か異質な気配はわかるみたいだけど、なんか変な感じだって。それで今日はホテルに泊まるように言ったけど。』

ミライはうーんと唸ると顔を上げた。

『身辺調査、もしくは弱みを探してるんですかね?』

『かもね。まああの家には何もないからね、本当に新婚さんのお家みたいにしてあるからね~。』

『ドクターティル、よくそれで怒りませんね?』

『彼女だって分かってるからね。となるとシヴァたちは少しここへ来るのを控えたほうがいいかもね。頭のおかしい医者の知り合いってだけなら見逃してくれるかも知れないけど…賢いかも知れないし。』

シヴァが笑うとカイルが心配そうに見る。

『大丈夫だよ、君たちには守ってくれる人がいるからね。ただ、関わりがあるとわかればややこしくなる。』

『どっちみち何らかの形で何かする必要も出てくるだろうがな。』

シヴァはカイルの肩を抱くと苦笑した。

『まあ、とにかく。君たちが必要になる分のカプセルは常に補充して対応しておく。それといつもどおりに僕に連絡してもらってかまわない。』

『ああ、いつもどおりだな。』

『そう、何も変わらずね。』

ゼロはそういうと態度をころりと変えてシヴァに抱きついた。

『で、もう帰っちゃうの?』

『ああ、その通りだ。じゃあな。』

カイルの手を引いて研究室を出る。あっけない別れにカイルは驚いたがシヴァが頷いたので黙って歩いていく。シヴァはカイルの手を引き寄せるとそっと呟いた。

『私が言いというまではこうして仲睦まじいカップルのように振舞って。』

カイルは優しく微笑むと頷いた。

『見られると恥ずかしいですよ?』

『ああ、…あの部屋は多分防音だろうし、きっちり管理されている。私たちがどんな声を出しても聞かれはしないよ。』

シヴァはカイルに微笑みかける。

『そうですね…ドキドキしました。知らないことばかりで。』

『ああ確かに。スリリングではあるが…でも知らないよりは知っていたほうが楽しめる。』

エレベーターに乗り込み、廊下を渡って地下駐車場へと向かう。車に乗り込むとすぐに飛び出した。シヴァはさっきまでと同じように少し甘い声で話す。

『食事は必要か?』

『いえ、でも何か飲みますか?お酒とか…?』

『ハハ、珍しいな。そんな風に言ってくれるのは。』

『ウフフ。』

シヴァは運転しながらカイルに電話を持たせるとスピーカーにする。自動音声が鳴り、ホテル名を告げるとそこのフロントへと繋がった。

『はい、ホテルサイトムーンです。』

品の良い女の声が響く。

『ああ、最上階の一番良い部屋に泊まりたいんだが。』

『かしこまりました。お待ちしております。』

ホテルサイトムーンの駐車場に着くと、ドアマンが出迎えてくれた。

『車を頼む。』

ドアマンに鍵を渡し、シヴァはカイルを連れてフロントへ行き案内された部屋へと入った。


『カイルもういい。』

カイルが大きく息を吐くとシヴァは声を上げて笑う。

『いや、カイルは案外上手にこなすな。』

『でもここは大丈夫なんですか?』

『ああ、ホテルサイトムーンは高級ホテルの中でも星を獲得してる。信頼できるホテルだ。顧客を大事にする、権力にもたてつくくらいにね。』

『わあ…でもよく知ってましたね。』

『うん、昔泊まったことがあってね。それで知っていたんだ。』

シヴァがカイルを先に行かせると彼女は部屋を見てまわった。

『凄い。綺麗!あ、お風呂に薔薇!素敵だなあ!』

先ほどまでの緊張感はどこへやら、シヴァはソファに座るとふうと息を吐いた。

ある程度してカイルが戻ってくるとシヴァの隣に座る。

『当分ここに?』

『ああ、そうしたほうがいいと思う。新しい家にもなんらかあるだろうからね。』

『うーん、嫌な感じだな。』

『ふふ、そうか…。ああ、奥のクローゼットには服が用意されてる。』

『ええ?』

『着の身着のままで来る客もいるのさ。それにドレスやらも用意してくれる。』

カイルが少し苦笑するとくたっとソファにもたれかかった。

『どうした?』

『頭が着いていきません。すごいんですね…高級ホテル。』

『ハハハ。でもこんなことがなかったら泊まる機会なんてないかも知れないな。』

『そっか。なら楽しみます。』

カイルはパタパタ走ると浴室へと消えて行った。シヴァは部屋の隅にあるオーディオの電源を入れると音楽をかけた。スピーカーからは古いジャズが流れている。

『これから途方もない問題に直面するんだろうな…。』

ぽつりと呟いて窓の外を見る。確かに安全な場所だ。予定していたホテルではカイルのことを守るのは難しいかも知れない。相手が何かをしてきたらの話だが。今夜は眠れる。明日のことは明日考えればいい。シヴァは目を閉じると疲れた顔のゼロを思い出した。

『本当にお前はバカだよ。』



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